「血はリングに咲く花」
かのグレート東郷の名言とされている。
アマチュアレスリングのテクニックを持つジョージ岡村一夫がプロのリングに立った時、日系人故にその全ての技を捨てざるを得なかった。
時あたかも第二次世界大戦の直後、真珠湾に奇襲攻撃をかけた日本人は米国民にとって憎悪の対象だった。
“偉大なる”東条を名乗りリングに上がったものの、東条(英機)はあまりにリスキーであるとして東郷(平八郎)に変更。
グレート東郷は奇襲攻撃、卑怯なジャップを演じ続け、アメリカ国民の憎しみを一身に受け、彼の国に住む日本人からは売国奴と睨まれながら、経済的な成功を手に入れた。
「ミーの目標はジム・ロンドスさんね」
と口にしていた東郷だが、尊敬していたのは彼のレスリング・テクニックでも“黄金のギリシア人”の華やかなレスラー・イメージでもない。ロンドスがプロレスで大金を手にしたという一点だ。その割り切った姿勢には、むしろすがすがしさを覚える。
むろん、ハリウッド映画で悪役を演じて観客の憎しみを買う役者もいるものだ。だが、映画は作り物であることを観客も知っているから、悪役が本当の悪人であることも心の中では納得している。それに比べ、当時のプロレスはあくまで建前はスポーツであり、悪い東郷はそのまま悪いジャップと認識されていた。
自ら悪人となって、自分が白人にやっつけられる姿を期待して観客がお金を払う。悪い日系レスラーをビジネスとして成立させたわけだ。
時が流れ、プロレス・ファンもリングに勧善懲悪という図式を求めなくなって来た。
そんな中で、“演出なし”と銘打った番組に出演していた女子レスラーの訃報が世間を騒がせた。
これが“演出なし”という演出の人間ドラマであったとしたら、まさにプロレスの世界なのである。
ここで悪役レスラーそのままのアピールというか、出演俳優に「ふざけた帽子かぶってんじゃねえよ!」とはたき落としことで、木村花さんはSNSで匿名の中傷を受けることになったという。
考えてみて欲しい。
プロレスのリングで同じことを彼女が叫んだら、会場にブーイングが起きることはあっても、本当の意味でそれを非難する者はいないだろう。それが(現在の)プロレス・ファンなのである。
木村さんに向けられたSNSでの中傷はブーイングではなく、古いマット界でグレート東郷が満身に受けた憎悪に近いものである。今のプロレス・ファンがプロレスを観るように、視聴者が番組を見ていたら決して生まれることはなかった中傷なのだ。
“演出なき演出”を楽しむ洗練された目があれば、視聴者が言葉のナイフを持って22歳の無垢な女性の心を傷つけることもなっかったろうに・・・。
彼女がその死を以って我々に伝えることは、あまりにも大きい。
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▼木村花:SNS誹謗中傷の教訓~墓掘人The Last Ride3~国内外動向
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’20年06月04日号木村花追悼特集-悲嘆と教訓 AEW頂点Double-Nothing Hレイス再検証