長州力と武藤敬司がリモート呑み会。レスラーの呑み方が変わる!?

 長州力と武藤敬司による『リモート呑み会』が話題になっている。リモート呑み会とは、新型コロナウイルスの影響で外へ呑みに行くことがままならなくなり、自宅でパソコンなどのビデオチャットにより仲間の顔を見て会話しながら酒を呑むという方法だ。
 武藤は「電波が悪くなると、長州さんが何を言っているのかサッパリ判らなかった」とボヤキつつも、人生初のリモート呑み会を楽しんだようである。長州も、たった2杯のハイボールで酔ってしまったそうだが、武藤との酒を堪能していた。

 長州と言えば、典型的な昭和の体育会系で、超アナログ人間だったが、最近ではツイッターを始めるなどデジタル分野にも積極的に参加している。長州がツイッターで何かを呟くたびに、ネットニュースになるほどだ。
 長州もまさか、若い頃は自分がSNSを使うなんて夢にも思わなかっただろう。と言っても、その頃はSNS自体がなかったのだが、昔のプロレスラーと言えば外で豪快に酒を呑むのも仕事の一つと思われていた。
 そんなプロレス界のイメージを、長州が変えてしまうかも知れない!?

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新日本プロレスとUWFによる旅館破壊事件

 プロレス界での呑み会の武勇伝として有名なのが、新日本プロレス勢とUWF勢が旅館を破壊した事件だろう。
 UWF(第一次)と言えば、1984年に新日本プロレスから分離して『格闘プロレス』を唱えていた団体。しかし資金繰りが上手くいかず、1986年には新日にUターンした。
 こうして新日勢とUWF勢が抗争する形となったが、リング内のみならずリング外でも双方の選手はギクシャクしている。もちろん、試合がガチンコだった訳ではないのだが、それでもこの頃の新日本vs.UWFの緊迫感は凄かった。一触即発のムードだったのである。
 ちなみに、この時の長州力はジャパンプロレスを率いて全日本プロレスに参戦していたので、新日本プロレスにはいない。武藤敬司は、まだ若手レスラーだった。

 UWF勢が新日に合流してから1年後の1987年1月23日、熊本県水俣市の旅館で、両陣営による親睦会が開かれることになった。1年も経ったのだから、いつまでもいがみ合わないで仲良くやろうよ、という趣旨である。
 しかし、ここからが参加者による証言に食い違いがあって、真相は判らない。何しろ、全員が泥酔していたのである。一部始終を覚えている者などいる訳がない。
 一つ言えるのは、酒が入ったことにより親睦を図るどころか、火に油を注ぐ結果になったということだ。

 両陣営の緊張をほぐすため、焼酎の一気呑み大会が始まる(良い子の皆さんはマネしないでください)。ところが、新日側の坂口征二が飲んでいたのは水で、それをUWF側の高田延彦が見破り、血気盛んで既に酔いが回っていた前田日明が怒った。さらに、前田と武藤の殴り合いが始まり、大乱闘に発展する。

 しかも、大のレスラーたちが過度の飲酒によるリバースのオンパレード。大量の嘔吐物により、トイレが詰まってしまうのは想像に難くない。というより、想像したくない。
 旅館のあちこちが破壊され、トイレは使えず、旅館中に酒や嘔吐物の臭いが充満したため、しばらくは営業できなくなった。新日本プロレスは、ン百万円の弁償代を支払ったという。それでも、被害額はもっと多かったに違いない。旅館の経営者にとって、プロレスラーはコロナよりもタチが悪かっただろう。不幸中の幸いだったのは、この場に長州がいなかったことぐらいか。

 リモート呑み会なら乱闘もできないし、怒って物を破壊しても、大量の飲酒で嘔吐しても、被害を受けるのは自宅だ。つまり、損するのは自分ということになる。
 時代が違うので無理だが、親睦を図るためには新日本プロレスとUWFはリモート呑み会にすべきだったのかも知れない。

▼旅館破壊事件に参加した武藤敬司、前田日明、藤波辰爾、坂口征二らも今は和解

谷津嘉章、プロレス入りして酒の洗礼を浴びる

 坂口征二が酒を呑むふりをして水を飲んでいたと書いたが、プロレス界では結構この手は使われるようだ。
 1980年、新日本プロレスに1人の大型新人が入団する。谷津嘉章だ。谷津は同年に行われたモスクワ・オリンピックで、レスリングでの金メダル候補と言われていたが、日本が政治的な理由によりボイコット、オリンピックに出場できなかった。
 谷津には4年後のロサンゼルス・オリンピックを目指すという選択肢もあったが、結局はプロレス界入りする。

 レスリングでの実績充分の谷津は、もちろん実力に関して絶対的な自信はあった。それと同じぐらい自信があったのが、酒である。
 日本酒だったら2升、ウィスキーならボトル2本は軽いという、相当なウワバミだ。
 ところが、谷津は国内デビュー戦でスタン・ハンセンとアブドーラ・ザ・ブッチャーに、コテンパンにやられるというプロの洗礼を浴びたが、それ以前に酒の洗礼を浴びていた。

 酒には自信があった谷津も、先輩レスラーの呑みっぷりを見てビックリ仰天したのだ。谷津の歓迎会で、先輩たちは焼酎を大きなドンブリになみなみと注ぎ、旨そうに飲み干していく。しかも一気に呑んで、平気の平左だ。
 谷津の歓迎会なのだから、当然のことながら谷津にお鉢が回って来る。しかも、自分は酒豪だと豪語していたのだから、先輩と同じように呑まなければならない。
 だが、いくら谷津でも先輩のようには呑めず、ギブアップしてしまった。

 ところが、後で同じレスリング出身の先輩である長州力から「先輩たちが飲んでいたのは水だ」と聞かされ、谷津はプロレス界に幻滅したという。
 その後の谷津は、酒好きは変わらなかったものの、糖尿病のため右足を切断してしまった。こればかりは先輩レスラーを見習って、水を飲んでいた方が良かったかも知れない。

▼酒の面で『プロレス界の真実』を知った谷津嘉章

リモート呑み会もほどほどに……

 先輩が若手レスラーにトコトン酒を呑ませるのは新日本プロレスだけではない。谷津嘉章にとって高校の後輩にあたる川田利明が、足利工大附を卒業して全日本プロレスの合宿所に行くと、そこには高校の1年先輩である三沢光晴のダウンしている姿があった。その横には嘔吐物がある。
 どうやら、先輩に酒をしこたま呑まされたらしい。この時の三沢は19歳で未成年。とんでもない世界に来てしまったと、川田は思った。

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 プロ野球界でも、掛布雅之が習志野高校から阪神タイガースに入団した時、新人歓迎会があった。先輩が新人に、プロの酒の呑み方を教えるという趣旨だが、まだ18歳だった掛布は「これが習志野の呑み方です」と言って、ビール、日本酒、焼酎、ウィスキーをチャンポンして一気呑みしたという。もっとも、呑んだ瞬間に記憶がブッ飛んで倒れてしまったそうだが。
 それ以来、掛布は20歳になるまで禁酒の誓いを立てた。と言っても、18歳の禁酒なんて褒められたものではないし、掛布の言い方からすると高校時代から飲酒していたということか。そもそも、当時の阪神では先輩が未成年に酒を呑ませていたのだ。

 現在のプロ野球界では、優勝の時のビールかけでも、未成年者には『未成年』と書かれたタスキをかけるなどして、その選手にはビールをかけないようにしている。ビールかけはテレビ中継されるため、直接の飲酒ではなくても大批判を浴びるからだ。
 昔は未成年者でもビールかけに参加するという、大らかな時代だったのである。

 最近のレスラーは、昔と違って呑めなくなるまで酒を呑んだり、呑まされたりすることは少なくなった。何よりもコンディションを優先するという訳である。これは他のスポーツ界でもそうだし、プロレス界だけではなく若い人の気質なのだろう。
 これを、今のレスラーには豪傑がいなくなった、と嘆く人も少なくない。しかし、プロとしての節度があるとも言えよう。

 もちろん、今の若いレスラーにも酒好きは大勢いる。それでも、最近のレスラーにとっては、昔のような呑み会よりもリモート呑み会の方が合っているかも知れない。
 ただし、気を付けて欲しいのは、リモート呑み会は外で呑むよりもついつい呑み過ぎてしまうことだ。店で呑むのなら閉店時間があるが、家の中ならいつまでだって呑める。終電を気にする必要もない。終電がなくなれば高いタクシー代が飛んで行く、という心配も無用だろう。しかも、店で呑むのは値段が高くなるが、家で呑むのなら酒代が安くつく。それが命取りにもなるのだ。

 その気になれば、安い値段で毎日のように徹夜酒もできるのだから、アルコール依存症に陥りやすい。リモート呑み会にハマってしまうと、そういう心配もある。
 気軽に呑めるリモート呑み会だからこそ、自制が必要なのだ。

▼コロナが終息すれば、大阪での呑み会は『観光プロレス居酒屋リングサイド大阪』で


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