今こそ『ギブUPまで待てない!!』復活か?

 評価というのは、時代と共に変わるものである。
 アルベルト・アインシュタインが提唱していた宇宙モデルは、宇宙の大きさは永遠に一定であるという『定常宇宙』だった。ところが、アインシュタイン自身が完成させた一般相対性理論の『重力場の方程式』に当てはめると、宇宙は収縮されて潰れてしまう。そこでアインシュタインは『重力場の方程式』に、宇宙に斥力を持たせる『宇宙項』を入れて、宇宙が潰れないような計算式にした。
 しかし、エドウィン・ハッブル(ハッブル宇宙望遠鏡の名で有名)の観測によると、宇宙は膨張しており、アインシュタインが唱えた『定常宇宙』とは反する結果になったのである。観測結果を見せられたアインシュタインは「仕方ない、宇宙は膨張している」と自らの誤りを認め、「『宇宙項』を挿入したのは、生涯最大の不覚だった」と後悔した。

 かつてはアインシュタインが否定した『宇宙膨張論』から発展したジョージ・ガモフの『ビッグバン理論』が定説となり、宇宙は大昔(138億年前とされる)に起こった大爆発から始まった、ということが判ったのである。だが、なぜビッグバンが起こったのか、それは謎のままだった。
 ところが、1981年に佐藤勝彦が提唱した『インフレーション理論』が『ビッグバン理論』の謎を解いたのだ。そして『インフレーション理論』の計算式に現れたのが、生前にアインシュタインが導入した『宇宙項』だったのである。つまり、アインシュタインが「生涯最大の不覚」と悔やんだ『宇宙項』が、アインシュタインの死後に亡霊の如く甦ったのだった。

 既に本誌でお伝えした通り、今年の4月からBS朝日で『ワールドプロレスリング リターンズ』が金曜夜8時に放送される。かつては『プロレス・タイム』と呼ばれていた金曜夜8時に、プロレスが帰って来るのだ。BS朝日は、地上波と同じく無料視聴が可能である。
 しかし『ワールドプロレスリング』には、金曜夜8時の座から追いやられた歴史があった。そして、ゴールデン・タイムからの撤退を余儀なくされ、平成以降ではプロレス中継が二度とゴールデン・タイムでの地上波定期放送に復活することはなかったのである。
 その頃に生まれたのが『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』だ。『ギブUPまで待てない~』は不評を買い、プロレス定期放送のゴールデン撤退に拍車をかけた。

▼金曜夜8時にプロレスが帰って来る!

金曜夜8時にプロレスが帰って来る!


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▼新日金曜8時とMSG単独-WWEネットワーク方向転換か!?-メディア考

[ファイトクラブ]新日金曜8時とMSG単独-WWEネットワーク方向転換か!?-メディア考

日本テレビからNET(現:テレビ朝日)に移行した金曜夜8時

 そもそも金曜夜8時がなぜプロレス・タイムとなったのか、それは1958年から日本テレビで放送されていた『三菱ダイヤモンドアワー プロレスリング中継』に端を発する。力道山が興した日本プロレスを中継していたが、番組名を見れば判るように、この頃のプロレス中継は三菱電機の1社提供。ただし毎週放送していたわけではなく、ディズニー番組との交互で隔週放送だった。
 力道山の死後も三菱電機はスポンサーを降りず、日本プロレスを放送し続けた。そしてディズニー放送から撤退し、毎週金曜夜8時から日プロを定期放送していたのである。

 ところが、プロレス人気に目を付けたNET(現:テレビ朝日)が定期放送を日プロに打診、もちろん日テレは大反対したものの、そのまま押し切られて日プロの定期放送を日テレとNETが2局放送することになった。この際の、日テレが出した条件は、ジャイアント馬場と坂口征二の試合は日テレの独占中継にするということだったのである(その後、坂口の方はなし崩しにされた)。そのため、馬場の試合を放送できないNETは、アントニオ猪木をエースとして押し立てた。

 しかし1971年12月、日プロは会社乗っ取りを企てたとして猪木を永久除名。追放された猪木は新日本プロレスを立ち上げることになる。困ったのはエースを失ったNETで、日プロに馬場の試合を放送させてもらうように交渉、日プロが日テレとの約束を反故にして馬場の試合をNETに売ってしまったため、日テレは激怒して日プロの定期放送を打ち切った。そして日テレは馬場に独立するように勧め、馬場は日プロを脱退して全日本プロレスを設立する。
 日テレは、土曜夜8時から全日本プロレス中継を放送することになった。ちなみに、日テレが空いた金曜夜8時に放送を始めたのが人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』である。

 そして、日テレが金曜夜8時のプロレス中継を辞めたために、そこに入り込んだのがNETだった。それまでは月曜夜8時の放送だったのが、ちゃっかりと金曜夜8時のプロレス放送に切り替えたのだ。
 やがて、坂口征二が新日本プロレスに移籍したためNETは日本プロレスの中継を打ち切り、1973年4月から毎週金曜夜8時に新日本プロレス中継を始めるようになった。これが現在まで続く新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』である。
 その後、新日本プロレス・ブームも相まって『ワールドプロレスリング』の視聴率は常に20%超え、『金曜夜8時はプロレス・タイム』というイメージが定着した。

 金曜夜8時というのは、プロレス中継にとって都合が良かったのである。現在ではプロ野球は月曜日が休養日となっているが、当時は月曜の他に金曜日も試合がないことが多かったのだ。つまりプロ野球は、火曜から木曜まで3連戦、金曜は移動日となって土曜日にナイターかデーゲーム、日曜日はダブルヘッダーなんてこともあったのである。
 しかも日テレは巨人戦中継でプロレス放送が潰れることも多かったが、テレ朝ではその可能性は低い。つまり、『ワールドプロレスリング』がナイターにより放送されないことは少なかった。

 実は、『ワールドプロレスリング』で奇跡が起こったことがある。1982年10月8日の金曜日、この日は珍しくナイター中継の予定が入っていたため『ワールドプロレスリング』はいわゆる雨傘番組だった。しかし野球は雨天中止、急遽『ワールドプロレスリング』を生放送したのである。
 この日、長州力が藤波辰巳(現:辰爾)と仲間割れ、『噛ませ犬発言』により一介の若手レスラーに過ぎなかった長州が一気に大ブレイクした。
 もし、雨が降らずに予定通りプロ野球が行われていたら、あるいは現在のようにドーム球場での試合だったら、長州の『噛ませ犬発言』はテレビ電波には乗らなかったのだ。つまり、長州の反逆事件は歴史に埋もれていた可能性があったのである。
 長州や新日本プロレスにとって、まさしく『恵みの雨』だったに違いない。

▼長州力と藤波辰巳の抗争の始まりは、ナイター中継が雨天中止になったため生放送された

斬新なプロレス中継『ギブUPまで待てない』は僅か半年で終了

『ワールドプロレスリング』に暗雲が立ち込めるのは1986年頃。選手大量離脱により視聴率も低下、同年10月に金曜夜8時から撤退し月曜夜8時からの放送となる。
 選手は新日に戻ってきたものの、視聴率の低下は止まらず、1987年4月から火曜夜8時の放送に移行した。これが悲劇の番組『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』である。

 当時のテレビ朝日の新聞広告を見ると『これはテレビへの凶器攻撃だ』という宣伝文句と共に、アントニオ猪木が山田邦子にスリーパー・ホールドをかけている写真が掲載されていた。つまり、猪木もこの番組に相当な意欲を持っていたわけだ。
 出演者には『司会:山田邦子、レギュラー:男闘呼組、ラサール石井、笑福亭笑瓶、志村香』と、プロレスとは全く関係のない名前が並ぶ。要するに、プロレス・ファン以外の視聴者を取り込もうとしたのである。

 しかし『ギブUPまで待てない』がいかに不評だったかは周知の通りだ。従来のプロレス中継とは異なり、スタジオからレポートという形で試合を紹介する。司会の山田邦子は試合そっちのけでハシャギまくり「私は(当時若手だった)武藤敬司クンが大好き!」と素人丸出しの発言をして、プロレス・ファンから顰蹙を買った。試合中でも突然、スタジオにいる山田邦子の顔がアップになることもあったのである。
 そして、あのあまりにも有名なシーン、スタジオにゲストで来ていた当時若手の馳浩に「血ってすぐに止まるものなんですか?」という山田邦子の質問に対し、「つまらないこと聞くなよ。止まるわけないだろ!」と馳が一喝した。そして、スタジオの空気が凍り付いたのである。
 これは、どう考えても山田邦子ではなくて馳が悪い。素人がプロレスに関して素朴な質問をしているのに、激怒して番組をシラケさせたのはプロ意識が欠けている。この一件から『ギブUPまで待てない』の番組中に山田邦子の持ち味である明るさが消えてしまった。それでも、なんとか番組を成立させようとしていた山田邦子は、やはりプロである。

▼馳浩が山田邦子に激昂、スタジオに冷たい空気が流れた

 この頃、読売新聞のテレビ欄にある『放送塔』というコーナーで、購読者が『ギブUPまで待てない』に関して感想を寄せていた。その全てが批判的な意見である。
 スタジオ中継が中心で、リングの緊迫感が全く伝わってこない。面白く見せて視聴率を稼ごうとすると、却って本当のファンが逃げてしまう、という内容だった。しかも『同様の意見が6通』などと書かれている。
 全日本プロレス中継を放送している日本テレビの同グループである読売新聞だったからかも知れないが、『ギブUPまで待てない』に関して何通も『放送塔』に掲載され、好意的な意見は全くなかった。おふざけでプロレス中継をするな、というのが当時のプロレス・ファンの思いだったのである。
 結局『ギブUPまで待てない』は僅か半年で終了、あっさりギブアップしてしまった。

▼山田邦子、2020年になって33年前の馳浩との確執について語る(1分過ぎから)

▼現在でもプロレス・ファンという山田邦子は、3月19日にリアルジャパンを観戦していた

『ギブUPまで待てない』はアインシュタインの『宇宙項』となるか!?

 元の中継スタイルに戻ったものの、『ワールドプロレスリング』の視聴率低下は止まらない。新日本プロレス、あるいはアントニオ猪木が焦り過ぎたのか、乱入事件だの海賊亡霊だのを乱発して、却ってプロレス・ファンを遠ざける結果になってしまう。
 そして1988年4月、『ワールドプロレスリング』は遂にゴールデン・タイムから撤退することになった。昭和で言えば63年、事実上の昭和最後の年である(昭和64年は1週間で終わった)。ちょうど同じ頃、日本テレビの全日本プロレス中継もゴールデンから撤退。昭和の終わりと共に、昭和プロレスも終わりを告げ、平成時代にプロレスの定期放送がゴールデン・タイムに復活することはなかった。

 そして、令和となった今年の4月から、地上波ではないとはいえ金曜夜8時のプロレス中継が復活、視聴者は無料で夜8時からのプロレスを楽しめるようになったのである。
 BSでのゴールデン復帰は、地上波のプロレス中継ゴールデンが却って遠のいたのではないか、という意見もあるが、そもそも現代でプロレス定期放送の地上波ゴールデン・タイムは無理だろう。これだけインターネットが発達した時代に、地上波のゴールデンでのプロレス定期放送は不可能と思える。地上波のゴールデンは何よりも視聴率が求められるので、今のプロレス人気では2クール(半年)で放送終了になるのがオチだ。いくらプロレス人気がV字回復と言っても、ゴールデンでの視聴率2桁は望めないだろう。それならば、無料BSのゴールデンで着実にファンを集め、年に一度でも地上波ゴールデンでのプロレス特番を目指した方がいい。

 そして、BSながらゴールデンに復帰した『ワールドプロレスリング リターンズ』は、今こそ『ギブUPまで待てない』の放送スタイルを継承すればいいのではないか。30年以上前のプロレス・ファンは、何よりもプロレスに我が人生を重ね、プロレスを茶化すことが許せなかったのである。
 だが、今はファン気質も変わった。プロレスにお笑いを求めることに抵抗感がなくなったのだ。

 それならば、80年代の山田邦子のような人気タレントを司会に据えて、スタジオからのプロレス中継をすれば、既存のプロレス・ファン以外の視聴者を取り込むことも可能である。しかも地上波と違ってBSなら、視聴率を気にせず思い切ったことも試せる。最近では、BSや深夜枠で番組を実験的に作って、人気があるようなら地上波ゴールデンに移行するという手法が増えた。
 BSなので昔の山田邦子のようにギャラが高そうな大物タレントは呼べないだろうが、そこそこ知名度のあるタレントなら司会に起用するという方法もある。たとえばAKBグループでもギャラが安そうなB級アイドルを司会にすれば、ヲタクをプロレスに引き込むことも可能だ。

 かつての『ギブUPまで待てない』は、散々な批判を浴びて僅か半年で打ち切られた。しかし今となっては、あの番組作りはアリだと思われる。アインシュタインが「生涯最大の不覚」と後悔した『宇宙項』が、アインシュタインの死後に復活したように、『ギブUPまで待てない』も30年以上経った現在なら、受け入れられると思う。
 特に今では、コロナの影響により新日本プロレスの大会が次々と中止になった。『ワールドプロレスリング リターンズ』にとっては出鼻をくじかれた形になったが、それを逆手にとって思い切った番組作りも可能ではないか。

 現在なら、プロレス中継にとって「最大の不覚」とも言われた『ギブUPまで待てない』の復活も、プロレス人気の起爆剤となるかも知れない。


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