本誌1月30日号のオフレコ対談記事で、アニメーション『機動戦士ガンダム』について書かれていた。記事中にいきなりガンダムの絵が出てきて驚かれた読者も多いだろうが、いかにも『週刊ファイト』らしい幅広さ及び柔軟性とも言える。
名古屋テレビ(テレビ朝日系)の『機動戦士ガンダム』の第1回放送があった1979年4月7日17時30分、裏番組では日本テレビの『全日本プロレス中継』が土曜夜8時から降格した初回放送があった、という記事の内容だった。蛇足ながら今年の4月から、BS朝日で新日本プロレスの中継が金曜夜8時に復活する。
さて、『機動戦士ガンダム』は言うまでもなく『巨大ロボット物』という範疇のアニメであるが、かつては『ロボット・プロレス物』とも呼ばれていた。つまり『巨大ロボット物』はプロレスの要素がある、と思われていたわけだ。
もっとも、アニメにも造詣が深いSF作家の高千穂遥氏は『ロボット・プロレス物』という呼称が気に入らなかったという。『巨大ロボット物』の戦闘シーンについて「あの程度の格闘ではプロレスに対する冒涜」と高千穂氏は語っていた。ちなみに『高千穂遥』というペンネームは、無名時代の高千穂明久つまり後のザ・グレート・カブキと、永源遥から取っているのだから、相当なプロレス・マニアである。その高千穂氏は『機動戦士ガンダム』のことを「偉大な失敗作」と評していた。とはいえ、当時の高千穂氏としては最大級の賛辞だったのだが、なぜ『機動戦士ガンダム』が『偉大』かつ『失敗作』だったのか、それを説明すると長くなるので本稿では割愛する。
▼SF作家・高千穂遥氏のペンネームの元となったザ・グレート・カブキ
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マジンガーZやゲッターロボに共通する、70年代以前のプロレス
日本で本格的な『巨大ロボット物』のアニメが始まったのは、1972年に放送開始された『マジンガーZ』からだろう。それまでも1963年に放送を開始した『鉄人28号』があったが、こちらは「良いも悪いもリモコン次第」の遠隔操作型で、パイロットが巨大ロボットに乗り込んで操縦する、という点で『マジンガーZ』は画期的だった。
そして1974年からは『ゲッターロボ』が放送を開始。こちらは3機の戦闘機が合体する巨大ロボットで、それ以降に登場する『巨大ロボット物』の基本は、『マジンガーZ』と『ゲッターロボ』に集約されていると言っていい。ちなみに『マジンガーZ』も『ゲッターロボ』も、原作者は獣神サンダー・ライガーを生み出した永井豪氏である。
▼永井豪氏が生んだ獣神サンダー・ライガーは、マジンガーZやゲッターロボと言わば兄弟!?
ただし、この頃の『巨大ロボット物』のパターンは全て同じ。世界征服を狙う悪の組織があって、その魔の手から正義の巨大ロボットが地球を守る、というものである。
悪の組織は強力な巨大ロボットを造って街を破壊するが、そこへ正義の巨大ロボットがやって来て悪のロボットを倒してしまう。悪の組織、たとえば『マジンガーZ』の地下帝国が本気で世界征服を狙うのなら、10体ぐらいの機械獣を投入すればマジンガーZやアフロダイA、ボスボロット(は、どーでもいいだろうが)などあっという間に倒すことができるのに、Dr.ヘルはほぼ1体ずつの機械獣をマジンガーZと戦わせる。Dr.ヘルも悪辣なツラ構えに似合わず律儀というか、案外フェアプレイ精神の持ち主なのかも知れない。
正義の味方のロボットは、最初は強力かつ卑怯な(1対1のフェアプレイを除く)悪のロボットに苦戦するが、最終的には切り札的兵器で敵ロボットを倒す。マジンガーZで言えばブレストファイヤー、ゲッターロボGならシャインスパークなどが切り札的兵器だ。
しかし、マジンガーZで最も有名な武器であるロケットパンチで、敵ロボットを破壊したのを見た記憶がない。ロケットパンチなんか出している暇があったら、さっさとブレストファイヤーで勝負を決めちゃえよ、なんて思っていたものだ。
これ、何かに似ていないか。そう、昔のプロレスだ。力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木がエースを務めていた頃のプロレスと、パターンがソックリなのである。
悪役外国人レスラーが来日する。外国人レスラーは下っ端の日本人レスラーたちを蹴散らし、最終的にはエース日本人レスラーに挑戦。エース日本人レスラーは外国人レスラーの反則攻撃やパワー溢れる技に大苦戦するも、最後は必殺技を繰り出して逆転勝ちする。『巨大ロボット物』と違うのは、エース日本人レスラーが負ける場合もあることだが。
力道山が空手チョップでバッタバッタと外国人レスラーをなぎ倒し、ジャイアント馬場は16文キックからのランニング・ネックブリーカー・ドロップでフォール勝ち、アントニオ猪木は延髄斬りで相手を倒して卍固めでギブアップを奪う。巨大ロボットの切り札的兵器と同じである。
力道山がキー・ロックでギブアップ勝ちしても似合わないし、ジャイアント馬場がヤシの実割りでフォールを奪ったのを見たことがなく、アントニオ猪木がインディアン・デスロックでギブアップ勝ちしてもファンは喜ばないだろう。これらの技は、マジンガーZで言うロケットパンチだ。
また、エース日本人レスラーの必殺技を、外国人レスラーがどう防ぐかというのも見ものである。これは『巨大ロボット物』でもよく見られた。
マジンガーZのブレストファイヤーやゲッターロボGのシャインスパークが敵ロボットによって封じられたとき、チビッ子のボルテージは最高潮に達したのである。マジンガーZやゲッターロボGはどうなるんだろう、とハラハラドキドキしたものだ。
この心理状況も、当時のプロレスと似ているのである。
▼ジャイアント馬場が大好きだった『水戸黄門』も、プロレスや巨大ロボット物と共通していた
80年代、巨大ロボット物もプロレスもリアリティを求めるようになった
子供向けアニメに過ぎなかった『巨大ロボット物』に、革命を起こしたのが1979年放送開始の『機動戦士ガンダム』だ。総監督の富野喜幸(現:富野由悠季)氏は、『巨大ロボット物』を本格的なSF作品にしようとしたのである(実はここに、高千穂遥氏が言った『偉大な失敗作』の真意がある)。
そして、富野氏にとって巨大な敵がいた。それが、1974年に放送開始された『宇宙戦艦ヤマト』だ。『アルプスの少女ハイジ』の裏番組だった『宇宙戦艦ヤマト』は初回放送こそ視聴率が振るわなかったものの、再放送からじわじわと人気が上がっていき、『機動戦士ガンダム』が放送開始される頃には『宇宙戦艦ヤマト』のシリーズが人気絶頂になっていたのだ。
前述のように『機動戦士ガンダム』の第1回放送は1979年4月7日17時30分からだったが、奇しくもこの日の19時から、よみうりテレビ(日本テレビ系)で『宇宙戦艦ヤマト2』の最終回が放送されている。視聴率ではもちろん『宇宙戦艦ヤマト2』の圧勝だった。
しかし、富野氏は『宇宙戦艦ヤマト(いわゆるファースト・ヤマト)』にスタッフ(絵コンテ)として参加していたが、『宇宙戦艦ヤマト』のような作品は絶対に作らない、と心に誓ったという。そして、こう宣言した。「『機動戦士ガンダム』が『宇宙戦艦ヤマト』を潰す」と。
『宇宙戦艦ヤマト』は、太平洋戦争中に出撃・沈没した戦艦大和を宇宙戦艦に改造して、14万8千光年の宇宙の彼方へ大航海に出るという、『巨大ロボット物』とは一線を画した壮大な内容だった。そのため、子供向けではなく若年層に熱狂的な支持を受けたのである。
しかしストーリーとしては、ガミラス星が地球を侵略しようとして、それをヤマトが救うという点で言えば『巨大ロボット物』と同じだった。それまでの地球艦はガミラス艦に歯が立たなかったが、ヤマトが完成すると1隻でガミラス艦をなぎ倒すようになったのである。しかもヤマトには、波動砲という超兵器があった。いわばマジンガーZのブレストファイヤーやゲッターロボGのシャインスパークのようなものだ。いや、それを遥かに超えると言っていい。
ガミラス星人が地球を侵略したのは、ガミラス星が寿命を迎えていたために地球に移住しようとした、即ち侵略する理由はあったのだが(もちろん、地球人にとってはいい迷惑だが)、それ以降の『ヤマト・シリーズ』に登場する敵は白色彗星など、宇宙征服を企むような単なる悪ばかり。つまり『宇宙戦艦ヤマト』は、『巨大ロボット物』の勧善懲悪から抜け切れなかったのだ。
そこへ『機動戦士ガンダム』が登場した。宇宙戦艦から巨大ロボットへ逆戻り、時代に逆行しているように思われたが、『機動戦士ガンダム』の世界には世界征服を狙う悪もなければ、地球や平和を守る正義もない。描かれているのは地球連邦軍vs.ジオン公国軍という、地球人同士の『戦争』のみである。戦争には正義も悪もない。あるのは敵と味方、そして生と死だけだ。
主人公でガンダムのパイロットでもあるアムロ・レイは、闘いたくて闘っているわけではない。正義のため、地球のために闘っているわけでもない。闘わなければ自分が死ぬから『やむなく』闘っているのである。アムロは、たまたま戦争に巻き込まれただけだ。
またガンダムの兵器には、切り札となる武器はない。ガンダムのビーム・ライフルは、敵将のシャア・アズナブルによると「戦艦のビーム砲並みの威力」らしいが、「当たらなければ、どうということはない」とも言っている。当然のことだ。
そして、最終回は「この戦いの後、地球連邦政府とジオン共和国の間に終戦協定が結ばれた」というナレーションで終わり、どちらが勝ったかについては言及していない。ちなみにナレーターは『サザエさん』の磯野波平役でお馴染みの永井一郎だ。
状況から言って連邦軍が勝ったのは間違いないが、勝敗を分けたのはガンダムの活躍ではなく『ジム』の量産にあったのだろう。『機動戦士ガンダム』の世界では巨大ロボットのことを『モビルスーツ』と呼ぶが、開戦当初はモビルスーツの量産化にいち早く成功したジオン軍が圧倒的優勢だった。しかし連邦軍も、ジオン軍の量産型モビルスーツ『ザク』を遥かに上回るガンダムを開発する。とはいえ、ガンダム1機だけではどうにもならない。
本来なら連邦軍もガンダムを量産したかったところだが、時間とコストの面でそれは叶わず、ガンダムを簡略化したジムを量産し、ジオン軍の優位は崩れた。作品中ではヤラレ役というイメージが強かったジムだが、実際にはジムを量産できなかったら、連邦軍の勝利はなかっただろう。国力では地球連邦の方が圧倒的に上だったため、物量作戦でジオン公国を凌駕したのだ。
▼古舘伊知郎アナはジミー・スヌーカの肉体を「筋肉という名のモビルスーツ」と称した
『機動戦士ガンダム』のヒットの要因は、そのリアリティさにあったと言える。モビルスーツの対決も、1対1ではなく多数vs.多数が多かった。戦争なのだから当然である。
『宇宙戦艦ヤマト』はお涙頂戴の浪花節的なストーリーだが、『機動戦士ガンダム』は極めてドライな作品だった。勧善懲悪を廃した『機動戦士ガンダム』はまさしくアニメ界に革命を起こし、初回放送ではストーリーが難解だったため視聴率は振るわなかったものの、当時のアニメ雑誌は人気絶頂の『宇宙戦艦ヤマト』そっちのけで『機動戦士ガンダム』ばかり取り上げていた。
再放送で『機動戦士ガンダム』の人気が爆発した1980年代、日本のプロレス界も転換期を迎える。それまでの『ベビー・フェイスの日本人vs.ヒールの外国人』というパターンは飽きられ、外国人には不要な反則なく、しかも本当の強さが求められたのだ。
代表的ヒールだったアブドーラ・ザ・ブッチャーやタイガー・ジェット・シンのような凶器攻撃ばかりの悪役よりも、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ハルク・ホーガンのようなデカくて強くてパワーのある外国人と、日本人レスラーとの真っ向勝負が好まれるようになったのである。
アンドレvs.ハンセンという外国人対決が熱狂を生んだのもこの頃だ。アントニオ猪木&ボブ・バックランドの日米コンビが、第1回MSGタッグ・リーグ戦で優勝したのも1980年である。
そして、長州力vs.藤波辰巳(現:藤波辰爾)のような日本人同士のシビアな対決がブームとなった。さらには、よりリアリティがあって格闘色の強いUWFを生み出したのである。ファン受けする大技よりも、地味でも実用的な技を重視するUWFのファイト・スタイルは、まさしくガンダム的だった。
80年代初頭は、プロレスも『マジンガーZ型』から『ガンダム型』へ移り変わる時代だったと言えよう。
▼前田日明の新日若手時代、入場曲は富野由悠季作品『聖戦士ダンバイン』の主題歌だった
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