[週刊ファイト12月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼記者座談会
ドーム興行の裏事情。団体間の交渉で相手の足元を見たのは・・・
・新日本プロレスが東京ドームに初進出してから今年でちょうど30年
・旧・新日プロの東京ドーム大会には必ず切り札的なカードがありましたね
・坂口社長も永島さんも対抗戦が過去最高と言ってました
・「ドーム興行がコケたら会社が傾く」は最初から言われていたこと
1989年4月24日、アントニオ猪木率いる新日本プロレスが東京ドームに初進出してから今年でちょうど30年。92年から恒例化したイッテンヨンは、ブシロード体制となった現在も継続されているが、今では当たり前のドーム興行も昔はバクチだった。そこで今号の記者座談会では当時のドーム興行の裏事情について語り合った。
(*編注 A=『マット界舞台裏』特約記者、B=スポーツ紙記者 C=フリーのべテラン記者)
A 坂口さん(現・新日プロ相談役)はドーム興行の話が出たときによくこう言ってました。「最初の頃はまったく勝算がなく夜も眠れなかった」と。
坂口征二
B そりゃそうですよ。テレビ視聴率が20%台の頃に国技館でやって観客動員数は1万人に達していてもチケットは1万枚売れなかった。常識的に考えれば、その4、5倍売れるはずがない。
C 最終的には猪木さんが決断したようですが、強気の猪木さんにしてもソ連の強豪格闘家の新日マット参戦という切り札がなければ、89年の時点で東京ドームに進出していなかったと思います。
A 旧・新日プロの東京ドーム大会には必ず切り札的なカードがありましたね。
B 器がデカ過ぎるので1つじゃダメなんです。3つも4つも提供しないとね。それは現在の東京ドーム大会も同じですが。
C 団体を丸ごと担ぎ出したり超大物を投入するわけだから交渉も大変。レスラーは皆、勝ち負けにこだわるので場合によっては新日プロの選手も説得しなければならない。そうすると、猪木vs.チョチョシビリ(ソ連の柔道家)、武藤vs.高田(UWFインター)などのエース対決は1勝1敗にせざる得ないわけで・・・。だから、その点ではパッケージプロレスを貫く今のマッチメーカーのほうが気が楽ですよ(笑)。レスラー気質もだいぶ変わったし。
B 新日ドームに主力選手を貸し出した団体の中で馬場・全日プロと三沢・ノアは違うけれど、Uインター、WAR、武藤・全日プロの3団体には資金繰りに苦しんでいるという共通点があったじゃないですか。普通なら新日プロに足元を見られるはずなのに、逆に「目玉カードが必要なんだろ」とばかりにUインターなどは新日プロの足元を見て交渉に入った(笑)。
ジャイアント馬場
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