高田延彦もビックリ!? 濃すぎる大阪文化

 大阪は、日本の中でも特殊な街だとよく言われる。テリー伊藤などは「大阪は治外法権。おそらく大阪には時差があるのだろう」とさえ言っているぐらいだ。
 2月16日(土)、テレビ大阪で『文化の時間 やっぱ好きやねんSP』という番組が放送された。もちろん、大阪文化についての考察である。

 この番組に、横浜出身の高田延彦がパネラーとしてゲスト出演した。MCはなぜか、秋田出身の壇蜜。他のパネラーは、関西を代表する漫才師であるNON STYLEの石田明に、堺市出身の堀ちえみ。
 2人の大阪出身者に挟まれた高田だが、高田とて大阪出身の前田日明に厳しく育てられた男。大阪については熟知しているはずだ。
 しかし、高田にとっても、大阪文化は驚愕の内容だった……。


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阪神は大阪で人気がなかった!? 近鉄バファローズの驚くべき実態

 まず、調査に当たったのは大阪の自転車事情から。大阪は、自転車の利用率が異様に高い。全国での人口当たりの自転車購入数では、大阪は1位。
 その理由として、大阪は自転車産業が発達していたこと、もう一つは大阪市内には坂が少ないことが挙げられる。自転車産業と言えば、堺は元々刀や包丁の職人が多かったため、鉄の加工技術のレベルが高かったので、堺は自転車の街となったのである。
 坂に関しては、筆者も東京へ行ったときには、坂の多さに驚いたものだ。しかし大阪市内は、坂が少ない。つまり、自転車を利用する際に、登り坂でしんどい思いをすることがないので、東京に比べて大阪では自転車を利用することが多いのである。渋滞知らずで満員電車とも無縁なので、自転車は非常に便利で速い乗り物というわけだ。

 そして、次の話題はプロ野球に。関西のプロ野球と言えば、現在では阪神タイガースとオリックス・バファローズの2球団だが、圧倒的に人気があるのは阪神の方。
 ところが、かつては関西にはプロ野球チームが4球団あって、阪神の他には南海ホークス(現:福岡ソフトバンク・ホークス)、阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)、近鉄バファローズ(現在はオリックスに吸収合併されて事実上の消滅)が存在していた。

 その中でも、ダントツの人気を誇っていたのは阪神……、だったわけではない。むしろ阪神は、大阪でも不人気球団だった。
 昭和30年代、大阪で絶大な人気を誇っていたのは南海ホークス。大阪市内で人気のあった球団は、南海と巨人(読売ジャイアンツ)がそれぞれ3~4割で拮抗し、残りの1割程度を阪神と西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)が分け合っていたというのだ。
 阪神を応援していたのは、せいぜい阪神電鉄の職員か、阪神沿線の住民だったそうである。

 その流れが変わったのが、昭和40年代から。巨人が9連覇時代を迎え、日本テレビ系列で巨人戦を全国ネット中継したために、巨人人気が爆発した。さらに、そのライバル球団として阪神の人気に火が点いたのである。阪神のホーム・ゲームを、神戸のサンテレビが完全中継したのも阪神人気に一役買った。

 一方の近鉄バファローズは、球団創設当初から絶望的に弱くて、当然のことながら不人気球団。1952年度の本拠地観客動員数に関しては、南海が約65万人で阪神はその半分以下の約25万人、近鉄に至っては約9万人という有様である。年間の入場者数が9万人って、今の甲子園での阪神戦なら2試合で達成できる数字だ。
 実際に、近鉄は大阪の球団にもかかわらず、南海ファンや阪神ファンに比べて、大阪でも圧倒的に少数派だったのである。

 ここで、近鉄の四番打者として活躍していた栗橋茂から出題された。近鉄の本拠地だった藤井寺球場で、栗橋は驚くべき光景を目にしたのだという。それは、どんなことだったのか?

 この問題に、高田が出した答えは「(ファンが)野球をやってた!」。さすが、かつては野球少年だった高田らしい答えである。さらにノンスタ石田も、その答えに乗っかり「そっちの方が接戦やった」と解答。爆笑する高田。
 正解は「ファンが外野席に七輪を持ち込んで、焼肉をやっていた」。いかにも藤井寺球場らしい、牧歌的な光景である。

 その後、近鉄は優勝を経験して人気球団になったものの、またもや人気が下降してオリックス・ブルーウェーブに吸収合併され、近鉄は事実上消滅してしまう。
 合併当初、オリックスは2球団が合併したので倍の観客動員を見込んだにもかかわらず、実際にはファンは減ってしまった。現在でもオリックスの観客動員数は、12球団で最低である。
 2004年に勃発した球団再編騒動は、まさしくファン無視のことであって、それが15年経った今でも続いていると言えよう。

▼近鉄バファローズが消滅し、主を失って解体される藤井寺球場

『浪花のモーツァルト』キダ・タローの偉大さに、誰も気付いていない?

 話題は、関西が生んだ偉大な音楽家、キダ・タローに言及した。キダ・タローと言えば『浪花のモーツァルト』とも称された人物。
 筆者などは、キダ・タロー先生を『浪花のモーツァルト』と言うのは失礼な話で、モーツァルトこそが『ウィーンのキダ・タロー』と呼ばれるべきだとさえ思っている。

 キダ・タローが作曲したのは5千曲にも及ぶと言われている。『言われている』というのは曖昧な表現だが、要するにキダ・タローですら、自分が作曲した曲数など覚えていないのだ。
 この状況をかつて、上岡龍太郎は『粗製濫造』という四字熟語で表現した。

 西のキダ・タローに対して、東の横綱が小林亜星。小林亜星が日立の『この木なんの木 気になる木』を作曲したとき、キダ・タローは「負けた!」と思ったという。
 ノンスタ石田が、東西のライバル関係に関して「一瞬、2人がボクサーに見えた」と言えば、高田も「どっちかと言えばヘビー級だね」と答えた。

▼キダ・タローが作曲した代表作『かに道楽

 続いては、大阪の『ポン酢文化』。大阪人は、どんな料理でもポン酢をかけてしまう。大阪の家庭では、料理に合わせて冷蔵庫に数種類のポン酢が並んでいるぐらいだ。
 高田は「揚げ物にポン酢をかけるって、初めて知った」と驚いていた。前田日明は揚げ物にポン酢をかけてなかったのだろうか。

 そして、最後は大阪人最強のキーワード『知らんけど』。大阪人は、語尾に必ずと言っていいぐらい『知らんけど』を付け足す。東京人からすれば「知らないんだったら言うな!」と不快感を示す意見が大多数だったが、大阪人にとってみれば、これほど便利な言葉はないという。何しろ、知らないんだから自分の言葉に責任を取らなくてもいいのだ。
 高田も「たまに聞くね、たしかに」と納得の様子。前田日明も、語尾に『知らんけど』を付けるのだろうか? そんな優柔不断な前田は見たくないのだが……。

 調査の結果、『知らんけど』が使われだしたのは、1990年代の学生ということがわかった。現在で言えば、40代ぐらいの人である。それが、若者世代にも浸透し、大阪では語尾に無責任な『知らんけど』を付ける風潮が蔓延したのだ!

 ……知らんけど。


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