[ファイトクラブ]プロレスラーの第二の人生。プロレス界のセカンド・キャリアとは

[週刊ファイト12月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼プロレスラーの第二の人生。プロレス界のセカンド・キャリアとは
 by 安威川敏樹
・プロレスラーのセカンド・キャリアについて考える
・プロレス指導者への道は狭き門
・解説者になるのはもっと難しい
・遠藤幸吉『オスメスを決する』!?
・元レスラーにとって、サラリーマンは超難関
・第二の人生を飲食業に賭ける元レスラーが多い
・キラー・カーン『ふぞろいの林檎たち』での役名は『屈強な男』
・レスラーの新たなセカンド・キャリア、政治家
・レスラーと政治家は相性がいい!?
・プロレス界のセカンド・キャリアに対する試みとは?
・新日クーデターの原因『アントン・ハイセル』もセカンド・キャリア事業の一環


 プロ野球ではオフ・シーズンになっても、ドラフト指名された大物ルーキーが華やかな入団会見を行ったり、FA宣言をしたスター選手の動向が注目されたり、もう試合は行われていないにも関わらず景気のいいニュースが駆け巡る。
 その裏で、戦力外通告された選手がヒッソリと球界を去ったり、ほとんど合格する見込みのないトライアウトを受けたりする姿も、この時期の恒例行事となった。ちなみに、トライアウトの合格率は1割にも満たない。球団が欲しいと思う選手は、トライアウトが始まる前に触手が伸びるからだ。そして、球界を寂しく去る選手は、間違いなく数年前はドラフト指名を受け、期待に胸を躍らせて華やかな入団会見を行っていた。

 以前、筆者はプロレスラーになる道筋に関する記事を書いた。しかし、プロレスを始めた以上は必ず、辞める時が来る。ところが、引退の際に大々的に報じられるのは、ほんの一握りの人気レスラーだけ。多くの無名レスラーは、プロレス専門誌にすら載ることがなく、誰にも知られずにリングを降りる。

 プロレス界に入ったとき、第二の人生について考えているレスラーがどれだけいるだろうか。今回は少々重いテーマになるが、プロレスラーのセカンド・キャリアについて考えてみたい。

▼[ファイトクラブ]プロレス界のドラフト会議!? プロレスラーになるためには

[ファイトクラブ]プロレス界のドラフト会議!? プロレスラーになるためには

プロレス指導者への道は狭き門

 プロ野球選手のセカンド・キャリアと言って真っ先に思い浮かべるのは、指導者になることだ。その最高峰が一軍監督で、日本に僅か12人しかいない。大臣の数より少ないという、超狭き門だ。しかも、現役時代によほどの実績がないと、監督にはなれないのである。
 しかし、プロ野球の指導者は一軍監督だけではない。二軍監督もいればコーチもいる。コーチも投手コーチや打撃コーチ、守備走塁コーチなど種類も様々だ。さらに、12球団もあるので、1球団に20人の首脳陣がいるとすれば、プロ野球(NPB)に携わっている指導者は約240人ということになる。

 ところが、プロレス界には専任のコーチは少ない。かつての新日本プロレスでは山本小鉄がコーチを務めていたが、現役のレスラーが兼任コーチになることも少なくないだろう。ましてやインディー団体になると専任コーチに給料を払うだけの余裕はなく、エース社長が自らコーチ役を買って出たりする。
 最近ではアニマル浜口レスリング道場のようなプロレス学校も増えてきたが、目的はあくまでもレスラーの養成で、生活のために開校するわけではないだろう。しかも、プロレス学校を開校するためには資金が必要で、決して儲かる商売ではあるまい。かつては新日本プロレス学校も存在したが、多くのレスラーが巣立ったものの長くは続かず閉校した。
 つまり、レスラーのセカンド・キャリアとして、指導者あるいはコーチになるのはかなりの狭き門だと言える。

▼アニマル浜口レスリング道場

 プロ野球界で指導者になれるのも、実は一握り。コーチにはなれなくても野球界に残りたいのなら、バッティング投手やブルペン捕手、用具係などの裏方になるという道もある。あるいは球団職員として、スコアラーやスカウトという仕事に就く元選手も多い。
 しかし、プロレス界ではそれも少ないだろう。現場の仕事はレスラー兼任であることが多く、フロント入りできるのはかなり恵まれた方と言える。残された現場仕事と言えばレフェリーぐらいだが、それとて人数は少ない。
 つまり、元レスラーがプロレス界に残るのは、かなりハードルが高いのだ。

解説者になるのはもっと難しい

 プロ野球の場合、指導者ではなくても、マスコミ界で生き残ることができる。いわゆる評論家と呼ばれるテレビ解説者などだ。
 ところが、地上波中継で視聴率が20%を超えていた頃に比べて、CS放送が中心となった野球解説者のギャラは暴落している。しかも公式戦は半年間だけなので、テレビ解説の仕事だけでは食っていけないのが現状だ。ただし、解説者として名を売っておくと、コーチとしてお声がかかることもある。

 プロレス界の場合、もっと深刻である。現在、プロレスを地上波中継しているのは新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』のみで、しかもテレビ朝日が深夜に細々と続けているだけだ。プロレス放送もCSが中心となっているが、それとてテレビ中継をしている団体は少ない。
 そもそも、元プロレスラーの解説者が少ないのが実情だ。プロレス中継の場合、なぜか解説者はプロレス経験のないプロレス記者が務めることが多い。
 元レスラーどころか、現役のレスラーが解説者となることもあり、『元レスラー』の解説枠は少ないと言えるだろう。つまり、セカンド・キャリアとしてプロレス解説者は、あまり現実的ではないと思える。

 元レスラーの解説者として有名だったのは山本小鉄だ。山本小鉄が解説を務める前の『ワールドプロレスリング』での解説者だったのは、やはり元レスラーの遠藤幸吉だが、相当酷い解説だったらしい。
 らしい、というのは、さすがに筆者は遠藤幸吉の解説を直に聞いたことはないわけで、聞いた話によると遠藤幸吉は『雌雄を決する』を『オスメスを決する』と言っていたそうだ。訓読みだし、メスとオスが逆になっているし。「あれは『シユウ』って読むんだよ!」と周りから指摘されると、遠藤幸吉は「いつからそう読むようになったの!?」と言っていたんだとか。

 そこへいくと山本小鉄は、解説者としてちゃんと喋るために、日本語話し方学校の通信教育を受けたというのだから立派なもの。もっとも、そのときに初めて『目の当たりにする』を『まのあたりにする』と読むことを知ったそうで、あまり褒められたものではないが。
 それでも、山本小鉄の解説は聞き取りやすく、プロレス記者の解説と違い技のポイントなどを説明するので、視聴者には評判が良かった。

 山本小鉄は引退してから解説者になるという、プロ野球解説者と同じような道を歩んだが、それでも前述したようにコーチも務めており、また審判部長としてレフェリーも兼任していたから、元プロレスラーが解説者専門になるのは難しいようだ。

▼解説者だけではなく、コーチやレフェリーも兼任した山本小鉄

元レスラーにとって、サラリーマンは超難関

 プロ野球選手でも、引退後に指導者や解説者になれるのはほんの一握り。多くの人は野球界から離れて、新たな仕事を探さなければならない。
 最も安定している仕事と言えばサラリーマンだが、これが非常に難しい。大学を卒業している選手でも、大学時代はほとんど野球に明け暮れており、まともな就職活動なんてしたことがない。アルバイトの経験もほとんどないだろう。しかも新卒ではないので、コネでもない限り大企業への就職は夢また夢だ。
 ましてや高卒でプロ入りした選手など、プロ野球以外の世界は見たことがないのだから、一般社会で生きていくのは至難の業である。社会的な常識やマナーを身に着けていない選手が多く、運よく会社員になれたとしても、すぐに挫折する元プロ野球選手は多い。ある高卒の元プロ野球選手は引退後、知人のコネでサラリーマンになったものの、取引先の会社へ訪問する前に好物のニンニクを食ってしまい、商談が破談になったなんてことがあった。
 それでも、社会人野球出身の選手は、まだマシだ。一応はサラリーマン経験があるので、社会の仕組みはわかっている。
 同じサラリーマンでも営業ならツブシが利きやすく、元プロ野球選手というだけで話題が広がるし、贔屓にしてもらえる場合も多い。社交性があって話が巧みで、社会的常識を身に着ければ、比較的こなしやすいポジションだ。

 プロレスラーの場合、いきなりプロレス界に飛び込んで来る選手も多いので、やはりセカンド・キャリアとしてサラリーマンの道は険しい。最近では少なくなったが、かつては相撲界のように中学を卒業すればプロレス団体に入門するレスラーも多くいた。
 現在では高校を卒業する選手がほとんどだが、やはりプロレス界以外のことは何も知らない。レスラー引退後に、サラリーマンになるのは難しいだろう。
 ただ、最近では大学を卒業してからプロレスラーになる選手も増えてきた。しかも、レスリング部や柔道部などのスポーツ推薦がある体育会系ではなく、プロレス同好会出身のレスラーなら一般入試に合格して、授業もちゃんと受けているし、単位も取っている。プロレス同好会出身の棚橋弘至は関西の名門私学・立命館大学の法学部卒で、かなりのインテリだ。

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