二コリ・ボルコフさん死去!本年『レッスルマニア週間』では元気だったのに・・・

 ニコリ ボルコフさん死亡との悲しいニュースが流れてきた。享年70歳。先般のレッスル・コンで元気な姿を見せていたのが最期になってしまった。

 1970年にWWWFにザ・モンゴルズ(ジート&ベーポ)として登場。同年6月15日にMSG王者チーム(ビクター・リベラ&トニー・マリノを破りWWWFインターナショナルタッグ王者を奪取するという実績を持ち初来日している。
 ここで一番印象に残っている試合は1972年7月『第2次サマー・ビックシリーズ』にジートとのタッグ”ザ・モンゴルズ”として来日したシリーズが印象深い。
 
 日本プロレスは猪木が去り、次期シリーズ前には馬場も決別するという暗雲立ち込める中、坂口征二が弧軍奮闘する中で人気者ミル・マスカラスとその人気をロスで二分するエル・ソリタリオの2トップと一緒に来日。いかんせん小柄なメキシコの選手では坂口の相手ができないと見て、福岡では坂口のUN王者にベーポ・モンゴルが挑戦することが発表される。当初はジャイアント馬場&坂口征二vs.ミル・マスカラス&エル・ソリタリオのインタータッグ戦も集客やテレビ視聴率のアップで検討されたとも聞く。

 このシリーズにおいては大きな試合会場も無く特に喜界島や名瀬での試合もあり、小さな船で移動した選手達の船酔いもたいへんだったようである。
 さて、試合はUN史上最も凄惨だったといっても過言ではなかった。
 1本目の場外乱闘時、相棒のジートが加担し坂口を大流血にして19分22秒で坂口の反則勝ち、2本目は坂口の短時間勝負の大反撃で1分24秒、逆片エビ固めで坂口が2-0のストレート勝ちを収める。ベルトを捲いてファンに答えるが顔面からの血が胸から腹へと流れ、今では絶対放送出来ないほどの出血だったのを思い浮かべる。試合後3針ほど縫ったようで、結構インパクトの残る試合をした印象があった。

 ただこの頃はプロレス人気もテレビの視聴率も悪く暗黒の時代だったので、BI砲全盛の頃にインタータッグもしくはNWAタッグリーグシリーズで活躍しておれば、タッグの名手としてもう少し国内でも重宝されたかもしれない。やはり日本プロレスに来日するタイミングなどで、その選手の価値も決まる時代だったかもしれない。

 新日本プロレスにおいては1979年4月17、ペンシルベニア州アレンタウンにて、アメリカ遠征に来ていたアントニオ猪木のNWF王者に挑戦。全日本プロレスにおいても1983年5月13日、兵庫県の赤穂市でジャンボ鶴田のUN王者にチャレンジした。当時の国内両メジャー団体でタイトルは取れなかったが大きな足跡を残している。

 御冥福をお祈りします。

藤井敏之

リッキー・スティムボートより直接送られてきた画像。黄色いシャツが二コリ・ボルコフさん。


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