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JWA関西30周年記念大会〜魔術の終焉

 2008年10月26日、社会人プロレス、学生プロレス、いや、いわゆるインディー・プロレスすべての元祖、原点であるといっても過言ではないJWA関西が、その30年の歴史に終止符を打った。この歴史的なラスト大会の模様をお伝えさせていただく。「一時的な活動休止」といった甘言を使うことなく、あえて活動停止であり、解散だと発表した心意気やよしである。

 創立当時・昭和53年当時の「プロレスリング」とは選びに選ばれた、一握りの超人だけがリングに上がることを許された特殊なジャンルであった。プロレス団体が新日、全日、国際と全女しかなかった時代のことである。しかし、いまやプロレス界の底辺は限りなく広がり、名乗るだけなら誰もがプロレスラーを自称できてしまう時代になった。そんな時代でも「アマチュア・プロレス」なる呼称を使い、入場無料の公開試合を続けてきたJWAであるが、プロレスを志す若者があえて「アマチュア・プロレス」を目指す意味が自(おの)ずとなくなり、入団希望者が極端に減少してしまった。プロとアマの境界線は最早消えてしまっている。時代に引き裂かれた子供たちは年齢を積み、スタッフの高齢化の問題などが重なったと言える。弾頭の飛来を待ち受けるしかなかったのだ。


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雨の大阪・住吉公園体育館
選手の流した血と汗と涙を知る名物のブルーマット!
開会式風景と、象徴でもあった擬似コーナーポスト

 
 おりしもこの日のサムライTVでは、DDTプロレスリングの「マッスル」ブランドによる舞台裏の仕組みをパロディーにした実験興行の模様が全国のファン向けにも放送されていた。ここではマット芸術の魔術に必要な3つのステップ 
THE PLEDGE確認 THE TURN展開 THE PRESTIGE偉業をモチーフとする、イリュージョンを題材とした映画『プレスティージ』にも使われたトリックの構造が使われ、『流血の魔術 最強の演技』の著者でもあるミスター高橋がマッスルの現場監督だったというオチに向かう台本が大人のマニアを喜ばせていたのは偶然のタイミングなのか。DDTといえば、学生プロレス出身者を大挙採用しているプロ団体である。聖地・後楽園ホールで収録される『笑点』大喜利の秘密がパロディーにされる昨今、元祖のJWA関西はその大いなる役割を終えたのだ。

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2008年10月27日 20:07に投稿されたエントリーのページです。

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