日本最初のプロレス シュライナース・クラブ慰問団

プロレスは力道山が日本に持ち込んだものと考えられている。
大筋でその理解は間違っていないが、力道山以前にも日本にプロレスは持ち込まれている。
記録によると、日本で最初のプロレスの興行は、1951年9月30日。GHQのW.マーカット少将が会長を務める在日慈善団体『トリイ・オアシス・シュライナース・クラブ』が、進駐軍の慰問と日本の身体障害児救済チャリティのため、両国のメモリアル・ホール(旧国技館)でアンドレ・アドレー対レイン・ホールの試合を行ったのが最初である。
会場には日本人はほとんどいなかったそうだが、そんな中でこの興行を見ていた数少ない日本人の一人が、かの力道山。最前列で見ていたそうだ。
この興行でプロレスに可能性を見出した力道山は単身渡米、プロレスを学んで日本に帰り、日本プロレス協会を設立する。
草創期のプロレスには色々と面白いエピソードがあるのだが、それはまた別の機会に。
w1.jpg 力道山が大相撲を廃業、工事現場で働きだして一年後、朝鮮戦争国連軍のために編成されたボクシング前ヘビー王者ジョー・ルイスと7名のプロレスラーからなる慰問団が、フリーメーソンの在日宗教団体シュライナーズクラブの招きで西洋相撲を展覧した。
 両国メモリアルホールにおいてリングを使ったこの格闘芸術に魅せられた力道山は、未知のプロレスリング挑戦を決意する。
『マット界の黙示録☆真正文化史』①54年力道山~沢村忠キックの誕生より
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