[ファイトクラブ]春爛漫、夢爛漫!春はプロレスのリーグ戦の季節!

[週刊ファイト4月12日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼春爛漫、夢爛漫!春はプロレスのリーグ戦の季節!
 by 安威川敏樹
・リーグ戦以外は『公式戦』とは呼ばれないプロレス
・新日本プロレスでもシングルのリーグ戦は春に行われていた
・日本プロレスの危機を救ったワールド・リーグ戦
・レベルが高いチャンピオン・カーニバル
・今年のチャンピオン・カーニバル優勝者は?


 今年は厳冬だったにもかかわらず、3月下旬になると一気に暖かくなって、例年よりも早く一斉に桜が満開となった。
 桜が満開なのはプロレス界も同じこと。全日本プロレスでは4月7日(土)からいよいよ『春の本場所』チャンピオン・カーニバルが開幕する。全日のシングル王座を決める、過酷なリーグ戦だ。

 プロレス界では『春はシングル、暮れはタッグ』という、暗黙の了解があるような気がする。新日本プロレスではG1クライマックスが夏に行われているが、元々は新日でもシングルのリーグ戦は春に行われていた。インドア・スポーツのプロレスにも、季節感があるようにも思う。

 プロレス界におけるリーグ戦の歴史を振り返ってみよう。

リーグ戦以外は『公式戦』とは呼ばれないプロレス

 プロレスは1年中行われる。もちろんオフはあるが、プロ野球のように6ヵ月間ペナント・レースを闘って、6ヵ月間はオフ・シーズンということはない。
 大相撲では年に6場所あって、その場所ごとに優勝者を決める。地方巡業はあるが、エキシビション・マッチという様相だ。プロ野球でいえば、オープン戦のようなものだろう。

 ところがプロレスの場合は、公式戦と呼ばれるのはリーグ戦における僅か1ヵ月ぐらいの期間だけ。プロレス・ファンは奇異にも感じていないが、これは普通のスポーツから見れば実に奇妙な光景でもある。たった1ヵ月の公式戦以外は、ほとんどがエキシビション・マッチなのだから。

 さらにプロレスには、チャンピオンシップ制度がある。チャンピオンがいて、それにチャレンジャーが挑戦して勝てば王者になるというシステムだ。そこには戦績や勝率など関係なく、挑戦者が王者に1回でも勝てばチャンピオンになることができるという制度である。
 そのかわり、引き分ければ王座防衛だ。チャンピオンと引き分けたのだからチャレンジャーは同格、とは見てくれない。

 これはボクシングに倣ったシステムだろう。ボクシングでは1人のボクサーは年間に数試合しかできないため、リーグ戦などは行えないので、チャンピオンシップ制度はやむを得ないと思われる。

 しかしプロレスでは、年間に100試合以上も行えるにもかかわらず、チャンピオンシップ制度を採用し、さらにリーグ戦まで行っているのだ。プロレスでは、リーグ戦とチャンピオンシップ制度の、二重構造となっているのである。

▼2015年のチャンピオン・カーニバルで優勝した曙

新日本プロレスでもシングルのリーグ戦は春に行われていた

 全日本プロレスでチャンピオン・カーニバルが始まったのは1973年のこと。全日が設立されたのは前年の秋だから、旗揚げした翌春にはもうシングルのリーグ戦をスタートさせていたことになる。

 一方の新日本プロレスでは全日のチャンピオン・カーニバルに対抗すべく、1978年からマジソン・スクエア・ガーデン・シリーズ(MSGシリーズ)を開催した。もちろん時期は、全日のチャンピオン・カーニバルと同じ春の季節である。
 新日のMSGシリーズで面白かったのは、勝ち点の付け方だった。全日のチャンピオン・カーニバルでは勝ちが2点、時間切れ引き分けが1点、負けが0点という単純なものだったが、MSGシリーズでは同じ勝ちでもピンフォールやギブアップ勝ちでは他の勝ちと差を付けて、ピンフォールおよびギブアップ勝ちでは5点、リングアウトや反則勝ちでは4点、引き分け2点、負け0点としたのである。

 そしてチャンピオン・カーニバルでは、リーグ戦が終わった時点で勝ち点が多い選手が優勝となったが、MSGシリーズでは上位2名を決勝進出者と決め、決勝戦で勝った方が優勝というシステムを採り入れた。今のプロ野球でいえば、クライマックス・シリーズのようなものである。

 日本で行われているのにMSGシリーズという名称も奇妙だが、当時の新日はニューヨークを本拠地とするWWWF(後のWWF。現:WWE)と提携しており、本場アメリカでも認められているリーグ戦と強調したかったのだろう。全日と提携しているNWAとの対抗心が、日本にも飛び火した形になった。

 しかし新日は世界統一を掲げてMSGシリーズを発展的解消、1983年からはIWGPリーグ戦が始まった。新日本プロレスがNWA、AWA、WWFを統一し、チャンピオン・ベルトを一本化するとブチ上げたのである。

 当然、世界一の称号を手に入れるのはアントニオ猪木になると期待されていたが、決勝戦で猪木は失神KO負け、初代IWGPチャンピオンに輝いたのはハルク・ホーガンだった……。
 現在のプロレス・ファンから見れば不思議ではない結果だったが、当時のホーガンはアンドレ・ザ・ジャイアントや、全日に移籍したスタン・ハンセンよりも格下と思われていたので、猪木の優勝を誰もが信じて疑わなかったのである。

▼ハルク・ホーガンのアックス・ボンバーがアントニオ猪木に炸裂!IWGP初代王者となった

YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=4jcYVd7o2Ww

日本プロレスの危機を救ったワールド・リーグ戦

 時計の針をもっと以前、新日本プロレスや全日本プロレスが誕生する前の、力道山が取り仕切っていた日本プロレスの時代に戻す。
 1954年に旗揚げした日本プロレスは、テレビの普及も相まって瞬く間にプロレス・ブームを日本中に巻き起こした。しかし、その後はブームが去って、苦境に陥ったのである。
 そこで、人気回復策として開催したのが1959年から始まったワールド・リーグ戦だ(※)。

 世界中から(というよりアメリカから)一流のレスラーを集め、世界一を決めるリーグ戦を行うというものだった。タイトル・マッチ級の試合が連日行われるのだから、一気にプロレス人気が再燃した。下手なタイトル・マッチよりも、リーグ戦の方が遥かに盛り上がったのである。
 現在では信じられないだろうが、第1回ワールド・リーグ戦が始まる2日前には、東京でパレードが行われた。羽田空港から大森、品川へと進み、さらに五反田から渋谷へ世界の強豪レスラー達がオープン・カーに乗ってファンに手を振っていたのだ。
 その様子を一般紙が報じるほど、当時のプロレス人気は高かったのである。

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