[週刊ファイト1月25月号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル 第31回
PRIDEの“取材拒否”よりもDSE社長の一言にカチン
周知の通り、2000年代に入ってからのプロレスは、ゴールデンタイム放送で勢いづいたPRIDEと『K-1』に押されっぱなしだった。旧・新日本プロレスの身売り(05年11月)および『週刊ファイト』休刊(06年9月)の最大の要因はそこにあった。
『ファイト』の販売部数が急激に落ち始めたのは04年だが、その頃、PRIDEを運営するDSEの社長が口にした皮肉っぽい一言は今でも私の脳裏に焼きついている。
『週刊ファイト』は80年代から出版社などに写真の貸し出しを行っていた。
それは会社が商売の一環として始めたのではなく、他社の頼み事にも「ノー」と言わないI編集長の親切心から始まったと記憶している。
紙焼き写真1枚につき4000円。スポーツ紙のそれと比べたら格安の料金だ。
このため口コミで出版界に広まり、プロレス本が急増した90年代にはかなりの数の写真が貸し出された。
ところが、I編集長の退社後にこの担当を引き継いだSは、