[週刊ファイト12月14日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼プロレス界 2017年の墓碑銘 ~その1~
by 立嶋 博
・1月15日歿 “スーパーフライ”ジミー・スヌーカ~南海の飛翔体は日本でだけ輝けなかった~
・スヌーカがブロディの遺影の前で見せた静謐と内語
・3月7日歿 “アウトロー”ロン・バス~「ハンセンのパートナー代理」と駄洒落~
・ハンセンと阪神とバスとバースと。
・結局、駄洒落なのか?(確証なし。でもそんな気がしてならない・・・)
今年も、多くのプロレスラー、プロレス関係者が天国マットへと転戦していった。
ひとまず1月から11月まで、そして手元の資料や報道で判明しているだけではあるが、ここにお名前を列記するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げるものである。
なお享年は訃報記事によるものであり、正確な年齢であるかどうかは分からない。
以下、筆者が個人的に思い入れがあるレスラーについて、短い評伝をしたためる。紙数の都合で、数人の方しか取り上げられないことをあらかじめお詫びしておく。
1月15日歿 “スーパーフライ”ジミー・スヌーカ~南海の飛翔体は日本でだけ輝けなかった~
今年、アメリカボクシング界は、軽量級イベント『SUPERFLY』の話題で盛り上がった。
ローマン・ゴンザレス、シーサケット・ソー・ルンビサイ、カルロス・クアドラス、ファン・フランシスコ・エストラーダ、そして井上尚弥など、世界のスーパーフライ級戦線に強豪が集った千載一遇のタイミングで商魂逞しく仕組まれたこのイベントは成功裡に終わり、これまで中菱級以上でないと稼げないと言われたアメリカボクシング界に一石を投じるとともに、日本の「モンスター」こと井上尚弥の全米デビュー戦としてもまずまずの舞台装置となった。
2018年2月に早くも『SUPERFLY2』が開催予定であることも発表されており、井上を含む各強豪がバンタムその他に転級、または引退してしまうまでの短い期間を最大限利用して稼げるだけ稼いでしまえ、というプロモーション側の思惑も透けて見える。
しかし「スーパーフライ」という称号は、ことプロレス界においてはジミー・スヌーカの異名、ないしはスヌーカの得意技の名であった。「ボクシング界にスヌーカを盗まれた! それもスヌーカが亡くなった年に!」と憤っているプロレスファンが少なからずいることを筆者は知っている。
しかし、この名は1972年に全米チャート1位を記録したカーティス・メイフィールドの『Superfly』、及びこの曲を主題歌とする同名の黒人映画(こちらもヒットし、続編も制作された)から後年になって流用されたものだろうと思う。スヌーカがオリジナルという訳でもないのだ。
そしてボクシング界が「スーパーフライ級」を今年になって急に創設した訳でもない。
とはいえ「スーパーフライ」は、トップロープに弾みつつ両腕をいっぱいに広げて飛翔するスヌーカの肉体をよく表した、まことにハイセンスな二つ名であった。名曲『Superfly』は、彼の入場テーマ曲でもあった。
スヌーカがブロディの遺影の前で見せた静謐と内語
筆者がスヌーカについて真っ先に思い出すのは、1988年8月29日、日本武道館で行われたブルーザー・ブロディ追悼セレモニーである。
日本人全選手・レフェリー、シリーズに参加していたスタン・ハンセンら外国人たちが順々に、そして比較的あっさりと祭壇に献花を続けたあと(ハンセンは「あばよ、フランク」という感じでパッと花を投げていて格好良かったけれど)、少しだけ間を空けつつ最後に姿を現したスヌーカが非常に印象的だった。
他の選手が軒並みジャージ姿か、コスチュームの上着などの「正装」を纏っていたのに、スヌーカだけは試合をする姿で、つまり肉体を誇示するように上半身裸で登場した。
どよめいた観客は、こんな時にまでスヌーカは目立ちたいのか、と一瞬鼻白んだ。しかし、テレビ画面に大写しになったスヌーカの表情はいつもとは違っていた。
確かに、瞳の奥に鋭い光を残してはいる。
しかし全体としては、それは「プロレスラー」の月並みな顔ではなかった。ほぼ素の表情、例えるなら、きかん坊の男児を見つめる老婆のような顔、とでも言うのか。濃褐色の皮膚に刻まれた、深い皺が際立った。恐らくスヌーカは敢えて、そういう顔を作っていたのだ。
首を少し振って長い髪を後ろに流し、眼を大きく見開くと、スヌーカは祭壇の前から動かなくなった。口を動かすこともなく、表情も変えず、スヌーカはただブロディの遺影を見つめ続けた。酷い死に方をした同僚に、両の眼だけで何事かを語りかけているようだった。
スヌーカは最後に口角をきっと締め、「やれやれ、全く仕方ねえ奴だったな、お前という奴は」という顔をした後、ゆっくりと、そして丁寧に花を供えて去った。
観客から静かな拍手が送られた。
シングル得意の全米級スターでありながら、同じような髪形の怪物のタッグパートナーとして、日本では陰に隠れることを強いられたスヌーカ。
顔の皺を見るにつけ、ああ、そういえば彼はブロディより年上だったっけ、と筆者は改めて認識したものだった。
スヌーカはその日、ジョニー・エースと組んで高野俊二&タイガーマスク組とタッグで対戦した(輪島の鈍重な試合の後は、選り抜きのハンサムを集めて華麗に、というブッカーのコンセプトだったのか?)。
スヌーカは生き生きと「スーパーフライ」を連発し、チョップを豪快に叩き込み、完全なるベビーフェイスとして圧勝した。
陰から解き放たれた虎。スターの自負と自信。
高野も三沢もエースにも全くいいところを出させない、スヌーカの独擅場だった。
勝ち名乗りの後、スヌーカがリングを降りかけると、観客からブロディを偲ぶ「ウォッ、ウォッ」のコールが起きた。
エースはリング上ですぐにこれに呼応したが、スヌーカはちょっと遅れてエプロンまで戻ると、仕方なさそうにこれに追随した。
おいおいお前ら、いい加減俺を見ろよ。もうブロディはいないんだぜ……。