[週刊ファイト12月14日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼ドン荒川さん逝去 大田区体育館と荒川真の関係とは?
by ケン・片谷
・誕生日が新日本プロレスの旗揚げ記念日である3月6日大田区体育館
・オリジナルの得意技「市役所固め」や「サラ金固め」
・天国のプロレス団体は、ますます豪華になっていきます
数十年ぶりに大田区総合体育館(旧大田区体育館)を訪れました。
今日はここで、全日本バレーボール大学選手権が行われます。我が母校早稲田大学男子チームは、決勝戦で強豪筑波大学を下し、見事優勝を飾りました!
昭和の趣を残す大田区総合体育館(以下、大田区体育館)ですが、数年前に完全リニューアルし、すっかりきれいになりました。改装後の大田区体育館を見るのはオイラも初めてです。
新しいファンにはあまり馴染みがないかもしれませんが、実はここ、プロレスにも大変縁深い会場なのです。かつては女子プロレスがよく利用していましたね。かく言うオイラも、以前ジャパン女子プロレスでアルバイトをしていた頃、スタッフとしてもよく大田区体育館に来たものです。
当時のジャパン女子は、2ヶ月に一度のペースで後楽園ホールを満員にしていました。しかし、年に一度のビッグマッチを行う際、後楽園ホールよりもややプレミア感を出したいという理由でよく大田区体育館を使いました。
収用人員は後楽園ホールよりも多い3000人オーバー。さらに蒲田駅から徒歩圏内というアクセスの良さも手伝い、ビッグマッチに最適な会場だったわけです。
ただし、ひとつだけ弱点がありました。当時は冷暖房設備がなかったため、夏暑く冬寒いというとても劣悪な会場だったのです。他にも、駒沢オリンピック公園体育館や横浜文化体育館、川崎市体育館など、前回の東京オリンピック時期に建てられた体育館は全て同じことが言えました。夏は汗だくになり、冬は凍えながら、それでも大好きなプロレスを真剣に観ていたものです。
大田区体育館といえば、プロレスファンにとってはもうひとつ絶対に忘れられないことがあります。そう、1972年(昭和47年)3月6日、新日本プロレスが旗揚げ第一戦を行った会場なのです!
新しく生まれ変わった大田区体育館を眺めながら、そんな郷愁に思い耽っていた時、突然の訃報がオイラを襲いました。
ドン荒川さん逝去。
オイラにとっては、ドン荒川というよりも“荒川真”の方が馴染みのあるリングネームです。
『大田区体育館』と『荒川真』、この二つのワードが頭をよぎった時、背筋がゾクッとするほどの衝撃を覚えたのです。
旗揚げ戦には参加していないものの、新日本プロレス出身の荒川さんですから、大田区体育館から荒川さんを連想しても決しておかしくはないのですが、それ以外でも両者には因縁めいたものを感じるのです。
それは…。実は、荒川さんの誕生日が新日本プロレスの旗揚げ記念日である3月6日なのです!
新日本プロレスは、旗揚げのアニバーサリー興行としてもよく大田区体育館を利用していました。荒川さんがまだ新日本プロレスの所属だった頃は、会場から「荒川~!誕生日おめでとー!!」といった歓声が飛んでいたものです。
本当に久しぶりに大田区体育館を訪れた日に荒川さんの訃報を知る…。オイラには単なる偶然とは思えませんでした。
荒川さんとの思い出は数えられないくらいあります。
初めて新日本プロレスを生で観戦したのは、オイラが中学1年生の夏。会場は、今は無き田園コロシアムでした。当時新日本プロレスは年に一回のペースでオープン会場の田園コロシアムで試合を行っていました。スタン・ハンセンvs.アンドレ・ザ・ジャイアントの伝説の一戦が行われたのは、この一年後のことです。
“前座の力道山”のニックネームで親しまれた荒川さんは、この日も第一試合に登場しました! 持ち前のトリッキーなファイトで、第一試合からお客さんを沸かせていました。余談ですが、プロレスの興行にとって第一試合というのはとても重要なのです。今まさに、満員のお客さんが荒川さんのファイトに引き付けられています。もうこの時点でその日の新日本プロレスの興行は成功したと言っても過言ではないでしょう。第一試合が盛り上がるか否か。その日の興行の良し悪しを占うとても重要な鍵となるのです。もちろん、オイラがそれを知るのはだいぶ後になってからのことですが…。
試合に引き付けられたのは、オイラも例外ではありません。その日から、オイラはすっかり荒川真の大ファンになってしまったのです。
一見、ふざけているのかと思えるほどのひょうきんファイトをしたと思いきや、決めるところはビシッと決める。お客さんは大満足。子どもながらに『これぞプロ!』と感じました。
二度目に荒川さんにお会いしたのは(単なるプロレスラーとファンの関係ですから、敬語というのも変ですね・笑)、その年の暮れに行われた第1回MSGタッグリーグ戦開幕戦の横浜文化体育館大会でした。当然のことながら、前座のヒーローだった荒川さんは、花形の選手が参加するリーグ戦にはエントリーされていません。それでもオイラのお目当てはアントニオ猪木でも藤波辰巳(当時)でもなく荒川真だったのです(笑)!
オイラにとって地元である横浜大会ですから、早い時間から会場に並び、開場時間とともに体育館に入りました。すると、すぐに「バンバン!」というリングの息遣いが聞こえてきました。リング上では荒川さんと、おそらくデビュー前の練習生がガッチガチのスパーリングを行っています。と、またここで余談ですが、この練習生、全く記憶にございませんがいったい誰だったんでしょうね? ひょっとして、後の大物レスラーだったりして(笑)!