[ファイトクラブ]日本のプロレス界はハードフォークの歴史!何度も起きた分裂騒動

[週刊ファイト12月7日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼日本のプロレス界はハードフォークの歴史!何度も起きた分裂騒動
 by 安威川敏樹
・ハードフォークとは仮想通貨用語で、分岐のことを指す
・日本マット界の天下統一に成功した力道山
・力道山の死後、ハードフォークが起きた日本プロレス
・日本プロレスのソフトフォーク、2局テレビ中継
・遂に日本プロレスが崩壊、ハードフォーク時代に
・現在のプロレス界はハードフォーク真っ盛り


 今年(2017年)の大相撲九州場所は横綱・白鵬の40回目の優勝で幕を閉じた。前人未到の大記録だが、それに注目する人はあまりいないに違いない。現在の相撲界はもっと大きい問題を抱えているからだ。
 今、多くの人の関心事は横綱・日馬富士による暴行事件だろう。ハッキリ言って土俵どころではない。

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 この原稿を書いている時点で、被害者の貴ノ岩の師匠である貴乃花親方は、この件に関して何も喋っていない。そのため、事件についてここで軽々に語るのははばかられる。

 一説には、貴乃花親方はクーデターを起こして日本相撲協会と縁を切るのではないか、と言われている。そして、新たな相撲団体を設立しようというのだ。
 そうなれば、相撲界にハードフォークが起こるわけである。ところで、ハードフォークって何?

 ハードフォークとは仮想通貨用語で、分岐のことを指す。食器のフォークは先が分かれているが、そんなイメージだ。覚えたての言葉なので、筆者が嬉しがって使っているわけである。
 ハードフォーク自体は、今までの欠陥を補うために新しいルールを作成する行為なので、決して悪くないのだが、そのために仮想通貨ではしばしば分裂騒動が起きた。

 今年の8月1日には、世界最強の仮想通貨であるビットコインがハードフォークのために分裂して、新たな仮想通貨のビットコインキャッシュが誕生した。ビットコインキャッシュはハードフォークによってビットコインの弱点を解消し、急成長を遂げている。
 現在の日本では、仮想通貨がようやく認められ始めて、ビットコインで支払いができる店舗が急増しているが、仮想通貨での決済が当たり前になる頃には、ビットコインは消滅しているかも知れないのだ。

 日本相撲協会は公益財団法人なので、そう簡単には分裂しないだろうが、ハードフォークを繰り返してきたスポーツがあった。言うまでもなくプロレス界である。
 公益法人ではなく、単なる営利団体の集まりに過ぎないプロレス界は、集合離散の歴史だった。

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日本マット界の天下統一に成功した力道山

 日本初のプロレス団体といえば、1953年7月30日に立ち上げた日本プロレス協会だろう。翌1954年2月には力道山と木村政彦がタッグを組み、シャープ兄弟と対戦したことにより、日本での本格的なプロレス時代が始まった。
 その3ヵ月後、木村政彦は熊本で国際プロレス団(後の吉原功が興した国際プロレスとは別組織)を設立した。また、力道山と木村政彦がタッグを組んでいた頃、大阪では山口利夫が全日本プロレス協会(現在の全日本プロレスとは別組織)を立ち上げており、1954年には日本にプロレス団体が3団体あったことになる。
 とはいえ、この頃の日本のプロレス界は組織が未発達だったので、とてもハードフォークとは呼べない。

力道山vs木村政彦の“昭和の巌流島”。力道山が木村政彦をKOした空手チョップ

YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=9oNac-RHEIk

 同年の12月22日には、日本プロレスの力道山と国際プロレス団の木村政彦が“昭和の巌流島”として対決した。結果は力道山が掟破りによりKOで圧勝、国際プロレス団は1956年に消滅し、また山口利夫も力道山に敗れて1957年に崩壊した。
 こうして力道山は日本のプロレス界を平定、日本のプロレス団体は事実上、日本プロレスのみになったのである。

力道山の死後、ハードフォークが起きた日本プロレス

 日本マット界を統一した力道山だったが、1963年12月15日に39歳の若さで死去。日本プロレスは力道山夫人の百田敬子を新社長としたが、力道山の死後にエースとなった豊登道春らは新しく日本プロ・レスリング協会を設立し、百田敬子をハシゴから外してしまった。
 実は百田敬子の日本プロレスリング興行株式会社も、その後は名義上で存在しており、日本プロレス興行と名乗る会社は二つあったことになる。もっとも、百田敬子の日本プロレス興行には1人もプロレスラーは存在せず、興行は全く行われなかったが。
 いずれにしても、力道山の死後に日本プロレスでひっそりと行われたハードフォークとも言える。

 その後、日本プロレスによるハードフォークといえば、東京プロレスと国際プロレスだろう。日本プロレスの社長になった豊登は無類のバクチ好き、会社の金を使い込んだとして日本プロレスを追放になった。
 しかし豊登は、若手のホープだったアントニオ猪木を誘って、1966年10月に東京プロレスを旗揚げした。ちょうど同時期、相撲界気質の日本プロレス経営に嫌気がさしていた吉原功は、国際プロレスを設立した。まさしく日本プロレスを襲ったハードフォークである。

▼WeRemember 1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!!

WeRemember 1966年のアントニオ猪木 君は東プロ時代の猪木を見たか!!


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