ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』⑤“ケン・片谷”誕生と畠中浩旭

テスト期間真っ只中!
今週、全国の大学生は前期期末テストのピークを迎えていることと思います。
現役大学生のオイラも例外ではありません。残すは今週末のテストと、8月6日締め切りのレポートを残すのみ!
これを乗り切れば、楽しい夏休みが待っています。頑張るぞ!

さて、東京スポーツ掲載でのまさかの親バレにより、TPG(たけしプロレス軍団)からのプロデビューに“待った”がかかったオイラ!
その後父親とは和解し、大学進学→高校教師と、プロレスラーとはかけ離れた人生を送ることになりました。
しかし、プロレスラーになりたいという夢はあきらめきれず、ついに32歳で遅咲きのプロデビューを果たすの です。

キングダムエルガイツでのデビュー戦後、オイラは現在自らが代表を務めるCMAプロレスリングの所属となりました。
そして、初めてレギュラー参戦したのが、北海道を中心に活動を続ける「アジアン・スポーツ・プロモーション」。
将軍KYワカマツさん率いる「どさんこプロレス道場・元気」のプロテストを受けた時、同団体のコーチをしていたのがアジアンプロレス代表の畠中浩旭選手でした。その畠中さんが、オイラが東京でデビューしたことを聞きつけ声を掛けてくれたのです。


アジアンでの巡業は、とにかく過酷を極めました。町から町、村から村へ、連戦に次ぐ連戦。会場に到着するとすぐにリング設営→2時間ほどの練習→試合→リング撤収→移動…、ひたすらこれの繰り返しです。一番キツかったのがリングトラックの運転でした。スタッフのいないアジアンは、若手選手が交代でリングトラックを運転するのが当たり前なのです。何より辛いのは、北海道がとてつもなく広いということでした。翌日の会場まで数百キロ離れているなんてザラ!一日に500キロ移動したことも珍しくありません。それも、経費節約のため高速道路を使用することは許されず、東京↔大阪間ほどの距離を、下道で10時間掛けて移動するのです。

それでも、今思い返してもアジアンでの思い出はためになることばかり。デビューしたてのオイラにとって、見るもの聞くもの全てが勉強でした。
当時のアジアンは、畠中さんをはじめ皆大型選手揃い!アポロ菅原さん、高杉正彦さん、徳田光輝さん、太刀光さん…。185cm102kgのオイラが、一番小さく感じたほどです。
東京のインディーで試合をしても、ほとんどがオイラよりも小さな選手だったので、自分より大きな選手が集まるアジアンはお手本の宝庫! ここでオイラは、ヘビー級の戦い方、自分をより大きく魅せる動きなどを先輩レスラーから自然と盗んでいったのです。
オイラが今得意技として使っている「ジャンピングパイルドライバー」も、実は畠中さんから盗んだものです。畠中さんは、ジャンピングパイルドライバーのことを“サクラダさん”と呼んでいました。レスラー同士では、技の名前をその技の名手の名前で呼ぶことがあります。例えば、バックドロップのことを“ルー・テーズ、フライングボディー アタックのことを“マスカラス”という調子で。つまり、畠中さんも師匠であるケンドー・ナガサキこと桜田一男さんからジャンピングパイルドライバーを盗んでいたのです。


アジアンに参戦して2シリーズ目だったか、道南にある離島の奥尻島での試合前に、突然畠中さんから呼び出されました。
畠中さんは、ちょうどその日のマッチメイク(対戦カード)を考えている時でした。
『オメェー(北海道弁・笑)、今日から“ケン・カタヤ”で行け!「ケン」がカタカナで、「カタヤ」が漢字だ。いいな!』
オイラは、何が何だかさっぱり分かりませんでした。デビューから約一年、オイラはずっと本名の「片谷健」で試合をしてきました。ところが、突然今日からリングネームを変えろというのです。
さらに畠中さんはこう付け加えました。『いいか?オメェーは今日から“ケン・片谷”だぞ!そうだ!日系ブラジル人三世がいい。リング上では英語以外絶対にしゃべるなよ!』
なぜ、日系ブラジル人なのか?なぜ、ブラジル人なのに英語なのか?ちんぷんかんぷんでしたが、オイラは『はい!』と即答しました。
大先輩である畠中さんを目の前にして、『Yes』しか選択肢はなかったのです!

その日の試合が始まりました。「ケン・片谷」のコールに違和感を感じながらも、すでにゴングは鳴っています。
試合開始早々オイラは相手にリストロックを決められてしまいました。すると咄嗟に『痛えっ!』と叫んでしまったのです!
すぐに畠中さんとの約束を思い出しました。
『しまった!日本語をしゃべってしまった。こりゃ、畠中さんに怒られるぞぉ。』
試合後、すぐに畠中さんの所へ謝りに行きました。
オイラの顔を見るなり畠中さんは、『バカヤロー!英語以外しゃべるなって言ったべやーっ!』と烈火の如く怒鳴りました。
悪いのはオイラです。怒られても仕方ありません。傷心のままオイラは先輩方のセコンドに付きました。


全試合終了後、いつものようにリングを片付けていると、異変を感じました。
なんと、会場を後にするお客さんから次々に声を掛けられたのです!
『ケンさん、お疲れさま!』
『ケン!次は勝てよ!』
そうです、お客さんが親しみを込めて“ケン、ケン”と呼んでくれるのです!
翌日の試合でも、『ケ~ン、頑張れよー!』『ケンさ~ん!』とリング上に声援が飛びました。本名で試合をしていた時には考えられないことです。
ただ、苗字と名前をひっくり返しただけなのに、お客さんにとってはとても呼びやすく、そして親しみやすくなったようです。

以後、オイラはこのリングネームがすっかり気に入ってしまいました! と同時に、一夜にしてオイラを人気選手(?)に仕立て上げた畠中さんのセンスは素晴らしいなと思いました。

かくして、『ケン・片谷』は誕生したのでした。


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