名勝負は永遠に アントニオ猪木vsドリー・ファンク・ジュニア

【大創業祭目玉企画デジタルリマスター復刊】
 プロレスは現在において広義の解釈がなされてあれもプロレスこれもプロレスといった按配となってはいるが、プロレスがプロレスらしかった時代それは・・・
 前回の出版から4年、内容を大幅改訂し当時の貴重な日本プロレス時代の写真を多数引用、また史実もさらに詳しく記載。もう一度私にとっての運命のベストバウトをみなさんに伝えたい気持ちが再燃、そう忘れもせぬ昭和44年12月2日、時のNWA世界チャンピオンドリー・ファンク・ジュニアに"若獅子"アントニオ猪木が初挑戦した一戦。その衝撃と興奮が私の人生の大きな革命ももたらした。以降数十年に渡り、二人の再戦を望みながら日本のプロレスを見続けてくることになるのであった。

藤井 敏之(猪木、ドリーとの写真中央)
1958年、大阪市住之江区生まれ。
執筆当時、某物流会社に勤務。BI全盛時代からのプロレスファン。初観戦はこの作品のきっかけとなるドリー・ファンク・ジュニアvs.アントニオ猪木戦。古き良き昭和プロレスを今後とも伝えてゆきたい。

 単行本をお買い求めになった方も、きっとご満足いただけるように、細部にわたって完全改訂版として上梓いたします。さらには、巻末付録として「東京プロレス・回顧浪漫」という超貴重資料をボーナス収録。東京プロレス旗揚げシリーズから、アントニオ猪木vs.ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界戦の3年前、猪木の出世試合といわれる凄い試合が東京プロレスの旗揚げで行われていた。23歳の猪木が全米のトップであった“金髪の妖気”ジョニー・バレンタインのUSヘビー級王座に挑戦したのだ。昭和41年11月7日大阪市・天王時公園内野外音楽堂の夜空が通天閣をバックに燃えた興奮の模様。さらには11月19日、大阪球場でのUSヘビー級選手権試合を振り返ります。はっきり言って、これだけのために購入されても昭和プロレスのマニアは歓喜の涙にくれます。

 また、藤井敏之さんと言えば、タイガー・ジェット・シン宅に招かれた数少ない日本人としても知られます。2009年、シン親子がミルトン市名誉市民賞受賞を記念した"WALK OF FAME"が市庁舎内に完成した模様のファイルも特別収録いたしました。

解説・レトロ狂時代

名勝負は永遠に アントニオ猪木vsドリー・ファンク・ジュニア

商品コード fujiitoshi001

価格 1,050 円

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