毒を食らわば皿までも 取材拒否!プロレス界の失われた10年

マット界の没落の始まりは長州力現場監督率いる新日本プロレスによる週刊プロレスの取材拒否にある。編集長降板事件が勃発してから10年、専門誌が正常に機能しなくなり業界全体が無惨にも坂道を転落していった。ターザン山本!があらゆる制約を排除して怨念を込めた衝撃の聖典「毒を食らわば皿まで」三部作デジタル・リマスター版が完結。「取材拒否!」以降の世界に警鐘を鳴らす分析と金言の数々。

【抜粋】

 新日本プロレスのファンは多い。そう考えた時、私はプロレスファンは一体どっちについているのかと判断した。
あるいは時代はどっちの味方なのかと、そう考えた時、これはもうファンはどっちの味方でもないとわかってしまったのだ。
取材拒否ということ自体にファンはしらけていた。SWSが取材拒否した時はそれなりに『週刊プロレス』の方に風が吹いていた。
ところが、その目がどちらにも吹いていない。

 『週刊プロレス』はプロレスをエンターテインメント論としてダイナミックに展開していった雑誌だった。
もしかすると長州はそこの部分に本能的な拒否反応を示していたのかもしれない。エンターテインメント論でプロレスを語るということは、要するにプロレスとプロレスの試合とレスラーに付加価値を求めていくことを表している。
 『週刊プロレス』はプロレスというジャンルの中でエンターテインメント雑誌としての道を突き進んでいった。なぜそれを当時、声を出して言えなかったかというと、やはり八百長という言葉が存在していたからだ。
この壁はとてつもなく大きかった。有形無形のプレッシャーになっていた。八百長という言葉そのものは現代では、死語に近いイメージがあるのに、ことプロレスに関してだけは絶大な効力を発揮していたのだ。
業界はまさしく八百長コンプレックスの塊そのものだった。これがプロレスのあらたな発展と進化をさまたげてきた最大の理由でもある。
この部分をどうやって吹っ切るのか? まるで八百長という三文字が、マット界の住人たちにとっては踏み絵と化していたのだ。

 新日本プロレスが『週刊プロレス』に勝った瞬間から、もうプロレスマスコミは何も自由な発言ができなくなってしまうのだ。
そんな簡単なことはちょっと考えたらすぐにわかること。実際、私が『週刊プロレス』の編集長を辞めたあとのプロレス専門誌は、もうひどいなんてものではなかった。
すべてが団体の言いなり。大本営発表プロレスを延々とやり続けていった。それって編集者魂なんてどこにも存在しない。
読者にとってもまさしく暗黒時代の突入である。マスコミが批判する精神を失ってしまうと、レスラーは思考停止状態にはいる。
ものを考えなくなる。自分たちがやっていることがいつも正しいのだと思い込んでしまう。それこそが最大の間違いなのだ。
プロレスは時代の気分についていき、その時代の気分を代弁するものがないと、一文の価値もないジャンルなのだ。
なぜならプロレスの試合を見に来ているファンは、みんな時代が抱えているストレスを持っている。それを発散したくて彼らは会場に足を運ぶのだ。
時代の気分を演出することなくしてプロレスは、絶対にファンの心はつかめない。

 これはもうプロレス週刊誌はさっさとこの世の中から消えた方がいい。その方が100倍すっきりする。プロレスを活字という想像力によって加工する技術を持たなくなった時、もはや終わっていたのだ。
想像的貧困の時代がおよそ10年も続いてきたことが、そもそも不思議だ。最大の戦犯は新日本プロレスである。
あと10年前の取材拒否事件を傍観者としての立場をとった人たちも、私からみるとすべて、間接的戦犯者にはいる。

プロレスがアートだったらスポーツに負けることはない。格闘技にだって負けない。逆にプロレスがアートでなかったら、プロレスはダイヤモンドにはなれない。ただの石ころだ。
アートというのはきびしい。外見と中身の両方が高いクオリティーを維持していることが絶対条件なのだ。

毒を食らわば皿までも 取材拒否!プロレス界の失われた10年

商品コード tarzanyama007

価格 525 円

ウィッシュリストに追加する »