WJに、ビックリした!!

2003年3月1日、横浜アリーナで華々しく旗揚げしたにも拘わらず僅か九ヶ月で幕を閉じたWJプロレス。終始スキャンダルに包まれたその生涯の中で、同団体にリングアナウンサーとして迎えられたヤマモが見た、数々の信じられない光景とは?

■以下、本文より

【ヤマモ、WJにふと戸惑う】
WJの事務所は東急田園都市線の池尻大橋駅からほど近く、国道に面したビルの4階にあった。
オフィスは綺麗で広く、ゆとりのあるものだった。
その恵まれた環境に自分は驚いたが、逆にまだ旗揚げをしていない団体なのに、この豪華なオフィスは身の丈にあったものなのかという疑問も持った。

【ヤマモ、WJに再度戸惑う】
自分はジャパン女子プロレス時代に、会社が不必要な部分に経費を使い、ゆくゆくそれが原因のひとつとなり団体がピンチになってゆくのを目の当たりにしている。
また、自身が経営に携わったJWPでさえ、どんなに経費を切り詰めても、選手の人気がなくなれば坂道を転がるように団体が下降していく様を体感し、団体経営はまず節約から始まるという持論と言うか、本能のようなものをいつからか身につけていた。
永島さんの言葉を聞いた時、まさに本能的にどこかで軌道修正を図らなければこの団体の将来はおぼつかないのではないかと一瞬思った。

【ヤマモ、WJに三度戸惑う】
メジャーなら、どの団体もそうなのだろうか?
いや、そんな筈はない。これではどう考えても採算は取れない。
(中略)
豪華なメンバー、豪華な外人選手、大会場興行・・・
しかし、その有り様を裏付ける経済的な要素がポンと抜け落ちた団体、それがあの時のWJだった。
砂上の楼閣なのか、あるいは蜃気楼なのか実体が確立せぬまま散財を続けるWJの経営がほどなく行き詰まるであろう事は確実だった。
翌朝、ホテルのレストランでまだデビュー前の中嶋勝彦とバイキングの朝食を食べながらそのあどけない表情を見るにつけ、彼の将来を思い自分は何か複雑な感情を覚えたのを今でも良く覚えている。

【超大作:初公開エピソード満載】
一部のプロレス・マスコミは、WJの力が落ち始めてからは、まるで弱いものいじめのようにようにWJを叩いた。特にスポニチのMという記者はレスラーに対するリスペクトのかけらもないもので、まるでWJの存在がピエロであるかのように、団体を茶化した表現には大いに不快感を抱いた。

【天国へのアングル完遂!】
「夢は現実となった。だが、現実とは時に苦く切ないものでもある」
・WJの凋落にトドメを刺した最悪イベント
・WJを、まんまと騙した外人選手と・・・
・永島勝司が別れ際につぶやいた、切なすぎる言葉とは?

☆好評の「 凄絶!!神取忍vsジャッキー佐藤シュートマッチの真実。」に続いて山本ヤマモ雅俊が放つ、プロレス団体の真実と人間模様を伝えるインサイド・レポート第二弾!!
閲覧はコーヒー一杯分

ヤマモブログ Dear My Life

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WJに、ビックリした!!

商品コード yamamotoma002

価格 315 円

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