「ちょっと一息ブレークタイム」昭和プロレス望郷の旅 byプロレス美術館:楽しい古新聞編

 昭和プロレスの資料(?)として、「週刊プロレス」や「週刊ゴング」などの雑誌系と「週刊ファイト」や「東京スポーツ」などの新聞系に大別される。

 たとえば週刊の場合、前者は週刊誌、後者は週刊紙となる。同じ発音だが、「誌」と「紙」で異なる。冒頭から、こんなわかりきったことを書いてしまったが、とにかく週刊誌は比較的に収集・管理が容易い。それに比べ、週刊紙の場合はバックナンバーの発見等が難しいばかりではなく、管理にも手間がかかり、大変面倒な作業である。

 実際にプロレス美術館は開館以来、10周年を迎えるが、力道山時代の「週刊紙」を完全保存(もしくはそれに近い状態)している人と、未だ出会ったことはない。

 余談だが、以前にテレビのレポーターからこんな質問を受けたことがあった。
「今後、どのようなお客さんに来館してほしいですか。」
「街頭テレビを知る世代の方で、さらに理想を言えば、昔の新聞などをコツコツと切り抜き作業を続けている几帳面なコレクターと出会えれば最高ですね。」

 だが、実際に名乗り出てきた人もいないし、おそらく、そのような方との出会いは、今後もないだろう。
 そんな中で、今週は、本当に、偶然に入手した大変めずらしい新聞を紹介させていただきたい。
 本当にいろんな意味で面白い新聞である。
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 これは、昭和41年10月13日発行(10月14日号=1部15円)の日刊観光(日本観光新聞社)。
 名称には「観光」とあるが、実際のコンセプトはとうやらレジャー新聞。現代の「内外タイムズ」といったところか。

 早速、中身を検証してみよう。
 大見出しはご覧のように「東プロ第一戦」と「猪木、豊登 奮闘!」。
 中見出しに「凄惨な流血の死闘」。
 小見出しは何とも平凡なタイトルで、「ビッグマッチ開幕」。
 そして、本文をサラっと目を通すと、単なる”ちょうちん記事”に思える内容。最後に目がいったのが、小見出しの後に続く解説文。
 何気なく、読み過ごすところだったが、とんだ”デタラメ解説”に出くわし、仰天してしまった。
まずは試合結果とその解説を読み比べてみてほしい。

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実際の試合結果(左右とも)デタラメの解説文(下)
19tokyopurokiji090709.jpg 実際に行われた試合は、まず、ダブルメーンイベントの第1試合(事実上のセミファイナル)はディーン・樋口、豊登対ジョニー・パワーズ、サニー・マイヤースとのタッグマッチ60分3本勝負。試合は2-1で日本組の勝利。

 そして、ダブルメーンイベント第二試合(事実上のメーンイベント)はアントニオ猪木対ジョニー・バレンタインの時間無制限1本勝負。試合は30分を超える熱戦の末、猪木がカウントアウトによる勝利となっている。
 だが、寸評文では、まず、猪木は通常形式のシングルマッチを戦っているにもかかわらず、(デスマッチではなく)“ディスマッチ”と表現している。これは、おそらく試合自体が壮絶だったことと、時間無制限1本勝負だったことから、「ディスマッチ」という言葉を使ったのだろう。

 そして、3本勝負のタッグマッチをシングルマッチ2試合と勘違いしているのが傑作である。
 おそらく、このデスク担当はプロレスにタッグマッチがあることすら知らなったのだろう。現場で試合をレポートした記者には全く責任はない。むしろ、この記者も、出来上がった新聞を目にして、ビックリ仰天したことだろう。

 ご存知の方も多いと思うが、ここで念のために、新聞が出来上がるまでの簡単な流れを説明しておきたい。
①現場の記者は試合のレポートを書き、カメラマンが撮った写真をチョイスする。
②社内のデスク担当(新聞社の整理部)が、原稿と写真をチェックし、問題になりそうな部分等をカットする。
③大見出し、小見出しをつけ、簡単な寸評文を書いて、レイアウト担当に送る。
④ゲラが完成し、再チェックの後、印刷所に送られる。
といった手順である。

 これは40年前の出来事である。だが、いくら時代が違い、システムが進化していなかったとはいえ、ゲラが出来上がった時点で、責任者がチェックしないのが不可解である。
 当時の新聞、雑誌の出版の工程や印刷技術は、想像を絶する“アナログの世界”だったらしいが、何ともずさんな管理体制であったことに違いはない。
 というよりも、1人のプロレスのプの字もしらない社員デスクに解説を書かせた上司に問題があっただけかも知れない。
 最後に、ひとつだけ気になることがある。それは当時の東京スポーツの存在。東スポが、この日、東京プロレスの旗揚げ戦に、どのような見出しをつけて、どの程度の報道をしたかである。ご存知の方はぜひ教えてほしい。

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