“80’S・プロレス黄金狂時代”Act27「UWFという名の“血塊”」後篇

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
  Act27「UWFという名の“血塊”」後篇
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 従来のプロレスを否定してかかるということはすなわち猪木をも否定しなければ辻褄(つじつま)が合わない。ここに強いメスを入れ、「俺たちのやっていることが本当のプロレスだ!!」と公言してはばからなかった前田。クーデター事件でダーティなイメージがじょじょにではあるがファンの間に浸透しつつあった猪木・新日本王国の牙城を切り崩すことによってUWF現象なるムーブメントは起きたのだとも言えるのではないか?。
 関節技、そのひとつひとつでさえ、本来は道場でのスパーリングのみで使われていたものや、或いはただたんにつなぎ技でしかなかったものが、必殺技足るものであるという、またファンの見る視点を培っていったという点もさることながら、「所詮、プロレスだ!!」と無碍なく論じる者たちにもおやっ!?という見定めようとする視線を与えたことだけでも特筆すべき功績であったと言えるだろう。
 プロレスだからと言って何も始終、受けに徹する必要はないはずで、だからこその受ける間における観客席には届きにくい対戦者間のみでそうと知れるリアルな攻防が際立っていた。
だから、「UWFも所詮、プロレスだったのだ」と後世、理由(わけ)知り顔で論じる向きにはこの受けに徹しているかのように見せてのリアルな攻防までは見定めきれなかったということなのだ(当時から一部論客はプロレス論だと踏まえた上で、このリアルな攻防にまで着目して書かれておられたりした)。
 またUWFが新日本どころか、旧来のプロレス否定から論じることによって、若い層を筆頭に世間へと凄まじい勢いで喧伝(けんでん)していったから、猪木、もう一方の雄、ジャイアント馬場でさえ、安穏とはしていられない状況を生んだことは、特筆すべき出来事でもあっただろう。発案者はともかく、あの馬場が「シューティングを越えたところにプロレスはある」と吐いた。これはけだし名言ではあるが、と同時にファン側に馬場でさえ安泰として見ていられないのだ!!との空気感を与えてしまい、諸刃の剣でもあったのだと思う。
 UWFとて、様々な選手間の軋轢(あつれき)やフロントと選手間の齟齬(そご)等も手伝って、旧、新共に短い団体生命となってしまったが、時の新日本がUWF的スタイルにもっと能動的に対応し、その後のマット事情を変革していたら、或いは現行のようなプロレス界の凋落は無かったのではないか?いまでもけっして少なくは無いファンの間で囁かれる“お伽(とぎ)話し”レベルのものとは言いがたい、話しではないだろうか?(ロープブレイクの際、ポイントを失うといった競技色の強い試合形式の導入等にはやはり抵抗があったということなのだろうか?UWFメンバーが再び新日本に復帰した折り、思ったより観客増には至らなかったという、複数の関係者による後日談なるものからも、TV視聴率等に代表されるエンターティメント性と競技性の融合がなかなかに難しいという側面も見てとれ、興味深い)。
 米国のプロレス事情の如く、カミングアウトした形で大きくショーとしてのステータスを確立することも出来ず、或いは前述のような格闘技色の濃いプロレス浪漫を作り出すことも出来ず、いまや現行のプロレスは一部マニアックなファン層ばかりに支持を受ける、誠にマイナーな競技へと“堕ちて”しまったと論じたならば言い過ぎと非難を浴びるかも知れない。
 ただ、これは言葉の“綾”として読んでいただけたらと思うことだが、飛んだり跳ねたり、ただ闇雲に動き回ることだけがプロレスだとするならば、まさにアクロバットショーの方が数段、スリリングだと私は思う。様々な紆余曲折を経て、指導すべきレベルの者たちが雲散霧消している実情も嘆かわしい実情として横たわっている。
 極論かも知れない。が、敢えて非難を怖れず言及すれば、だからこそ、私はいまのこの状況下を生み出した、もっともな“戦犯者”のひとりはアントニオ猪木、そのひとなのだなと考える。前田日明たちがそれこそ血眼(ちまなこ)になり、作り上げようとした世界観によって猪木はその足元に、まさにUWFという“血塊”を浴びたが、猪木はその抜群のセルフプロデュース力(自身のキャラクターをどう、生かすか?)、そこから起こった知名度によっていまだプロレス界のカリスマ足りえているのだ。筆者がこれまで幾度となく全盛時の猪木を賞賛するかのような文章を編んだ理由のひとつは、ただたんに非難の批判に終始したかのような“猪木批判”に対する抗弁の意味と、またやはり全盛時の猪木にはひとびとを圧するほどの熱量、プロレスに対するひたむきさを感じてきたからこそなのだが、側面としてUWF設立以降のあきらかに疑問に思える状況に対し、目を背(そむ)けていたというわけでは断じてない。
 ノアを筆頭にプロレスラーの「ライセンス制」導入もあると囁かれている、昨今のプロレス界。本当はこういう動きを筆者は猪木自らが率先しておこなってほしかったとの思いも根強くあった。猪木ほどのカリスマ性を有する者が率先して動けば成しえるものも多々あったろうにと思う私の意見は当たらずとも遠からずだろうか?
 UWF……
 私はそこかしこで、この団体にまつわる想い出もすすんで書いてきた。“青春のあとさき”UWFはまさに我が若き日のプロレスに対する思いを具現化した“想像力なるもの”をふんだんに凝縮させていた団体でもあったのだと思う。今更ながらに当時の技の攻防を見るにつけ、そういう思いが沸き立つ次第である。
                                  (筆記・美城丈二)
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