噂をすれば何とやら。
茨城清志は元気そうだった。時間にルーズなことで有名だったのに、記者のほうが遅れてしまっていた。六本木の新名所ミッドタウンは、不況なんて嘘のような混雑ぶりだ。今宵のお目当ては「誓い=You Make Me Feel Brand New」などで知られる往年の名コーラス・グループ、スタイリスティックスの東京Billboard Liveでの公演である。茨城さんは明日の券まで買っていた。ガチンコのファンなのである。新しく出たCDも買ったそうだ。長野県から出てくるには準備万端だった。
井上譲二記者の『マット界舞台裏』の内容に悪態をついていた。メキシコで日本料理店をやる予定などないという。FMW時代から付き合いの長いパンディータと、その弟がレストランをやりたいとのことで、一緒に計画を練ったことはあるが、そもそも日本料理店ではないという。
「工事現場で働いているところを見た」なる目撃談も否定。すべては嘘っぱちが広まっているだけだという。話は、あっちにいったりこっちに戻ったり、脈略はないのだが、とにかくすべての伝聞を否定する点では共通していた。
いわくW★ING伝説とも言える大会開始の遅れにせよ、川崎でのマスカラス対カネック戦に関しては、マスカラスが映画の撮影のため巡業班とは別行動していて、本人が開始時間になっても会場に現れないためだったと振り返る。それでも、菊池孝さんには悪く書かれたそうだ。「呼んでもいないのに、私のせいにされても困る」と弁明を繰り返す。
なるほど、確かにW★INGでなにか事件が起こると、なんでもかんでも「茨城が悪い」ことにされてきた。池袋のホテル未払いに関しても、最初に5、600万円の金を出したのは茨城さんであって、それは大迫社長が払うことになっていたという。「踏み倒したのは私じゃない」となるわけだ。
2001年の「9・11」には、メキシコにいたそうである。ホテルにいると女子レスラーのスレイマから電話がかかってきて、テレビを見ろという。「見たけどスペイン語で何言ってるのかわからない。映画かなにかにしか思えなかった」と振り返える。それでメキシコまでも飛行機が飛ばなくなって足止め。「ようやく解除されたとなって空港に行ったら、やっぱり今日もダメとなり、市内に引き戻った」という。ちょうどゴングの清水勉記者もいたが、肝心の大会が見れなかったとか言っていたと、思いだしたように語り出した。本人は、「市内にいたってプロレス会場なんかいかないよ~」と笑っていた。
ミスターポーゴの名著『ある極悪レスラーの懺悔』には、スレイマにせよ、カンザスのべティ・ニコライにせよ、女子レスラーの話が出てくるのであるが、本人によれば「そもそも女子プロレスなんか見たことなかった」ということになる。
なんでも浅草にあるBARさくら(小畑千代と佐倉輝美)にいたら、黒人のサンディー・パーカーとべティがやってきて、「そしたらベティーとカンザスでも再会したから、家に泊めてもらったり・・・」という、ポーゴ本にも出てこない話になるのであるが、若いファンには良く分からないであろうから割愛しておく。
なんでもサンディだけでなく、ローラ・ゴンザレスも茨城さんと同じ3月2日の誕生日なんだそうだ。業界の内輪ネタに関しては、また別の機会に紹介できるかもしれない。
『ある極悪レスラーの懺悔』では、ロサンジェルスで韓国の大巨人パク・ソンナンの持つノース・アメリカス・ヘビー級にミスター・セキこと関川哲夫が挑戦する試合で、一度見たら二度と忘れる事が出来ない人をおちょくったようなオトボケ顔のミッキー茨城が登場。カメラのケースには日の丸が貼ってあったと記されているが、ご本人によれば「いくらなんでも日の丸をつけるほどの愛国者じゃないよ!」とのこと。まぁ、ポーゴさんはこんなところまで日本人がやってきたということを描きたかったのかもわからないが・・・。
韓国のキム・スン・ホーがどうたらと言うんだが、記者には誰のことかわからなかった。あとで調べてみたら、オリンピック・オーデトリアム新春恒例のバトルロイヤルにて、74年1月18日の大会参加リストにキムも、ミスター・セキもエントリーされていた。茨城さんがベースボール・マガジン社の記者時代だった頃の話である。
ミスターポーゴ著『ある極悪レスラーの懺悔』