美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act23【武藤敬司という名の“転生”】 

『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
 Act23【武藤敬司という名の“転生”】
 
 武藤・橋本・蝶野、闘魂三銃士結成お披露目(88’7’29有明、藤波・木村・越中組戦)以前、当時の武藤敬司を象徴するキャッチコピーは「スペースローンウルフ」。
 宇宙飛行士のヘルメットにブルゾンガウン、ラメ入りの青いロングタイツというおおよそいかついプロレスラーを連想させぬ出で立ちで新時代を予感させるリングコスチュームであった。
 すっくとトップロープを越える形で一回転、リングインするさまは颯爽としたもので、またそれまでの日本人レスラーでは醸し出せない色気を有していた。この時点で既に、のちの“時代を象徴する”自身のキャラクターのあり方を模索していたとも言えようか?
 
 猪木が衰えたり!とは言え、健在時にこのスタイルが許される。それだけ将来を嘱望されていた逸材との証しでもあろうし、何よりも筆者には当時、新日本との対立概念として存在、抗争下にあったUWFに対する“当てつけ”のようにも感じられ、見ていてひやりともしたものだった。
 “ゴンタ”顔の前田に対峙する武藤。蹴りや一見、強引とも思えるタックルにロープ際まで押し込まれつつもなんとか形勢を挽回しようと計り、終盤においてはムーンサルトプレスを放ち気勢を上げる。だが、自力で当時の武藤はUWF勢に総体的に押されている印象を受けた。私には「スペースローンウルフ」なるキャラ立ちがまだまだ確固たるものには思えなかったのである。
 
 だが、渡米後の武藤は一気に「ザ・グレート・ムタ」として変貌を遂げ、躍進を続けた。凱旋帰国後は、全米で人気を博した自信がそう思わせるのか、ガウンをさも無造作にはおって入場するシーンでは風格さえ感じさせた。
 日本でも人気・実力ともに上昇し、まさに“一世を風靡”する活躍を見せる。分けても95年には東京スポーツ社主催の「プロレス大賞」でMVPを獲得。この年は5月に“ミスターIWGP”として連続防衛を果たしていた橋本真也を破り、第17代のIWGP王者に君臨。IWGP王者初のG1クライマックス制覇。10月には史実的にも名高いUWFインターとの攻防戦、高田延彦との死闘も制し、名実共に日本マット界を象徴するトップレスラーとしての位置に登りつめた。
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 筆者が忘れがたいのは、「スペースローンウルフ」時代、ケビン・ フォン・エリックと組んだ猪木に血だるまにされた、86年11月3日、後楽園ホールでのTVマッチ。先輩格の木村健吾を従えつつもメーン抜擢にやや臆する気配を見せつつ、それでも果敢に猪木へと挑んでいった武藤。
 時の新日本ファンは総じて武藤のような“会社挙げて”売出しをかけている風の選手、あの谷津嘉章や鳴り物入りで他格闘技から転向してきた北尾、小川といった面々には拒絶反応を見せる傾向にあった。実力でトップを張れ!ということであるのだろうが、当時、武藤もこのファン心理の範疇にあるようで、この試合での武藤にも容赦無い野次が飛んでいた。
 試合は新日本がケビンの父であり、大物プロモーターのフリッツ・フォン・エリックにお伺いを立て、“最小限、傷がつかない負け”一瞬の首固めで武藤がケビンからフォールをもぎ取るのだが、この試合のハイライトは試合後に尽きた。試合中もややきつい攻撃を見せていた猪木が試合後も荒れ狂い、武藤を鉄拳制裁。武藤はまさしく血だるまにされたのである。
 リング上は苛烈だ!そんな甘いもんじゃねえぞ!かっこつけてんじゃねぇ!と言わんばかりに制止しようと計る木村をも度外視し、なかなか攻撃の手を緩めない猪木。“キラー猪木”と化すその鬼気迫る風体はまさしく可愛い弟子を千尋の谷に落とそうと計る師、そのものであるかのようであった。
 
 時のファンはこの試合後、様々な反応を見せた。先述のような師弟愛をそこに見たとする見識、或いはただ単に自身を脅かす、自分よりも目立とうとした武藤への腹いせ行為だとする見方、武藤に制裁を加えているように見せかけて、会社にプッシュされる武藤に対するファン心理を緩和させようと図ったと見る、深謀遠慮な意見。どれも実は、私は正しいと判断してきた。
 この“猪木劇場”にさらされた武藤は、またそれだけで当時の若手の中で猪木がその将来をおぼろげであろうとも嘱望していた存在でもあったという証左でもあろうから。それこそ時の猪木信者には怒られそうだが、猪木はいくら会社がプッシュしようとしても箸にも棒にもかからない選手を何がしか安易にすくい上げようなどという腹は持ち合わせぬ人物であろうと感じる次第だから。
 TVのゴールデンタイムにメーンで“猪木劇場”の渦中に身を置く。これだけでも武藤が当時の若手の中で、幸せな境遇にあった“稀有”な存在証明にもなろうと思える。
 この後に、武藤は「ザ・グレート・ムタ」として“転生”し、自身のキャラを確立して時代を背負う勇者と成った。怒りを前面に押し出す格闘プロレスにばかり目を奪われがちと揶揄された猪木を嫌ってか、三沢・小橋・秋山といった人気どころが大量離脱し、瀕死の経営危機にあった全日本マットへと転出、その代表取締役社長に就任し、現在に至る。
 現(第49代)IWGP王者、武藤敬司。いまやその背負うものは形がどう、変わろうとも、その原点には時の新日本マットがあるのだという、プロレスサイコロジー。
 武藤はきっと否定するだろうが、新日本マットを盛りたてようとする、その姿勢には“己の故郷”新日本マットを創設した師・猪木に教えを乞うた頃の愛憎をも未だ持ち合わせていようとの、感慨が見え隠れしているようにも思えるのだが、いかがなものだろうか?
 いずれにせよ、普通に歩行も困難と言われている上での現役としての頂点。まだまだ遥か、その上があるようではなはだ敬服の限りである。
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