覆面と男の美学-日本で最古の覆面レスラーは誰だ?

 覆面には男の美学が凝縮されている。
 メキシコのルチャ・リブレに多くの覆面レスラーがいるが、彼らは昼は別の職業についていて夜だけプロレスラーになる。
やむを得ず正体を隠しながら、それでもリングに上がり戦う彼らに、我々は賞賛を讃えざるを得ない。

 かつて修道院の運営資金を稼ぐため覆面レスラーとなりルチャ・リブレで戦った神父がいた。
フライ・トルメンタという。「ナチョ・リブレ」や「グラン・マスクの男」といった映画は彼をモデルに作られた(といってもナチョ・リブレはジャック・ブラックカラー一色のコメディ映画なので感動を期待してはいけないが(笑)。

 覆面で顔を隠さねばならぬ理由は「リングで目立つため」「キャラクター付けをするため」「既存レスラーのてこ入れをするため」と変化して日本に浸透していった。理由はどうであれマスクにはレスラーとしてのアイデンティティーが凝縮されている。顔を隠し、別の人格をつくることによって初めて”レスラー”として確立された者もいる。
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 話は突拍子もない方向に進むが、日本で最古の覆面レスラーは誰か?という話になり、「それは関ヶ原で石田三成に殉じた大谷吉継ではないか?」というトンデモ論に行き着いた。
 ”レスラー”というより”ファイター”、むしろ”コマンダー”だ!と突っ込みが入りそうだが(そもそもプロレスに関係がないではないか!)戦国時代マニアの戯言なのでそこはご愛嬌ということで(笑)。

 大谷吉継は癩病に冒されており、崩れた顔を隠すために白い布で覆っていた。そのため頭脳明晰でありながら戦場の第一線に出ることはできなかった。しかし調略や奉行職といった縁の下の力持ち的な働きをし、君主秀吉から絶大の信頼を寄せられていた。
 派手に武功をあげることはなかったが、その覆面の下には石田三成に対する熱い友情と義の志が燃えていた。関ヶ原の戦いでは三成率いる西軍に加担、次々と東軍に寝返る西軍の中で一歩も退くことなく戦い、そして最期は唯一人自刃して果てたのである。

 病を隠すため覆面をし、その下に義の志を隠した大谷吉継。神父という正体を隠し覆面をつけリングにあがったフライ・トルメンタ。
 ハンディを隠しながらも誰かの為に戦う男の姿は、戦場であれリングの上であれ清々しい美しさを醸し出し、観る者に感動を与え続けるのだ。

山口敏太郎事務所 三瓶千詠