[週刊ファイト11月12日期間] [ファイトクラブ]公開中
▼53年前の11月5日、『狂虎』タイガー・ジェット・シンが犯した悪行
by 安威川敏樹
・『列伝』に描かれた、日本デビュー直後のT・Jシン前代未聞の凶行
・時代の分岐点、本当にT・Jシンがブタ箱にブチ込まれていたら……
・常識外れのヒールを誕生させた、当時の様々な社会情勢とは?
・『シンは全日で、ブッチャーは新日で光らなかった』は本当か!?
・日本で悪の限りを尽くした人類史上最大の悪人、T・Jシンの恋人
先日『インドの狂虎』タイガー・ジェット・シンが来日した。人類史上、最大の悪人である。彼ほど日本人に憎まれたインド人はいまい(現在の国籍はカナダ)。
シンは日本で悪行の限りを尽くした。アドルフ・ヒトラーやサダム・フセイン、ショッカー首領ら以上のワルだと言えよう。

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『列伝』に描かれた、日本デビュー直後のT・Jシン前代未聞の凶行
「フー・アー・ユー(何者だ)1?」
「フン! てめえのようなチンピラ悪党がなれなれしい口をきくんじゃねえッ! おれはタイガー・ジェット・シンだ!!」
「(態度が豹変し)ゲエッ……。お、お名前はかねがね……。インドの猛虎といわれ、カナダ地方で暴れておられるのをよく存じあげてまさ(と言って媚びへつらう)」
現代の日本人は絶対に使わない、語尾に『まさ』を付けるのもどうかと思うが、これは漫画『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)のタイガー・ジェット・シン編に描かれているコマである。
1973年5月4日、川崎市体育館での山本小鉄vs.スティーブ・リッカードでシンが突如乱入し、小鉄を痛め付けた。つまり『まさ』とシンに媚を売っているのはリッカードということになる。あまりにも鮮烈すぎる、シンの新日本プロレス初登場だった。
話は少し脱線するが、原作者の梶原一騎(高森朝雄)氏と共に不朽の名作ボクシング漫画『あしたのジョー』を描いた漫画家のちばてつや氏が先日、鬼籍に入られている。
筆者は『あしたのジョー』を、その弟である故・ちばあきお氏の漫画と共によく読んでいた。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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話を元に戻すと『列伝』では、新日のエース兼社長のアントニオ猪木は、プロレスはあくまでもビジネスであり契約をしていないシンと闘うわけにはいかないと、シンに対して無視を決め込むことにしている。だが、シンは猪木をさらに怒らせる行動に出た。
それが、あのあまりにも有名な『シン・新宿伊勢丹襲撃事件』である。
大勢の人が行き交う夕方の東京・新宿。猪木が当時の妻である倍賞美津子との買い物帰り、突然シンが手下の外国人レスラー2人を引き連れて猪木を襲う。猪木は、レスラーは個人的なケンカはしないという理由で無抵抗だったが、シン及び手下レスラーは容赦なく猪木に暴行を加えた。
そこへ警官隊が駆け付け、シンは「ようポリス諸君!! 諸君とはケンカせん、留置場ぐらしが長びいては、イノキをブッ殺すチャンスを失うからな!」と言って場は収まったものの、怪我した猪木を気遣う倍賞美津子。
「アントン大丈夫!?」
「ほ……ほんのかすりキズだ。だ、だがシンめ、もう許さん!! 招かざる客だが、こうなったらマットへ引きずり上げ、徹底的にブチのめしてやる!」

時代の分岐点、本当にT・Jシンがブタ箱にブチ込まれていたら……
子供の頃の筆者はこのシーンを読んで、倍賞美津子が猪木のことを『アントン』と呼んでいたことを知ったが、それはともかく『列伝』ではシンの日本デビュー(試合をしたわけではなく乱入だが)の翌日か数日後に新宿事件が起きたように描かれている。
しかし、実際には『シン・新宿伊勢丹襲撃事件』が起きたのは、シン乱入事件から半年後の1973年11月5日のことだ。そして、猪木はシンと同年5月中に対戦している。つまり、猪木はシンを無視していたわけではなく、同シリーズ中にシンを新日マットに上げているのだ。
作画担当の原田久仁信氏によると、この事件に関する資料が無かったため、全て想像で描いたという。ちなみに、シンが警察に連行されたというのは完全な作り話だ。
本当にシンがブタ箱にブチ込まれていたら、ドえらいことになっていただろう。もしシンが『列伝』で描かれているように、それを覚悟で猪木を襲ったのなら、どんなメリットがあったのだろうか。
『シン・新宿伊勢丹襲撃事件』がヤラセだったことは、新日のレフェリーだったミスター高橋が自著『流血の魔術 最強の演技』(講談社)で証言していた。つまり、シンをヒールとして売り出すために、猪木の指示によりシンに自分を襲わせたというわけである。
ただ、ミスター高橋は同書で「一般紙でも大々的に報じた」と書いているが、これは記憶違いのようだ。筆者は翌日の1973年11月6日の朝刊、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、サンケイ(産経)新聞という五大全国紙の社会面を隈なく調べてみたが(サンケイのみ大阪版)、『シン・新宿伊勢丹襲撃事件』については全く掲載していなかった。要するに、プロレスごときヤラセなど、我々一般紙が報道するに値しないという姿勢である。
シンは警察には連行されなかったものの、新日本プロレスは事情徴収を受けた。新日側は、内部のことなのでこちらで処理しますと言って誤魔化したが、警察はヤラセだと思っていただろう。
シンがホテルへ逃げ帰る途中でタクシーに轢かれそうになったと同書では明かしているが、事故が起きていれば大変なことになっていた。シンは重傷か死亡、創設間もない新日は責任を取られ恐らく崩壊、プロレスのヤラセが世間にバレて信用を失い、飛び出してきたとはいえ歩行者をハネて重傷もしくは死亡させたタクシーの運転手は法で罰せられるか、無罪になったとしても職を失っていたに違いない。新日のヤラセのおかげで、運ちゃんはとんだ迷惑だ。
そもそもガチだとすると、シンの猪木に対する行為は傷害罪(同書によると猪木の怪我は自作自演らしいが)に該当する。もちろん、現行犯なら即逮捕で、私人逮捕(警察官以外の一般人が逮捕すること)も可能。さらに、この罪は親告罪ではない。即ち、被害者の猪木が加害者のシンを告訴しなくても、シンは起訴される可能性があるのだ。
まあ恐らくは、シンと猪木との間に示談が成立して不起訴となるだろうが、ヤラセでなければシンにとってかなりリスクの高い行為である。

常識外れのヒールを誕生させた、当時の様々な社会情勢とは?
シンが日本に来襲した1973年とは、どんな年だったのだろうか。新宿事件の直前にはプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)が前人未到の9年連続日本一達成という明るい話題もあったが、8月は金大中事件が勃発、10月には第四次中東戦争によるオイルショックと、混沌とした時代だった。
2月は為替レートが固定相場制から変動相場制に移行。1ドル=308円だったのが200円台に突入して円高になり、日本のプロレス団体は外国人レスラーを招きやすくなった。