[週刊ファイト9月10日期間] [ファイトクラブ]公開中
▼スタン・ハンセンが5代目会長に就任したPWFってどんな組織?
by 安威川敏樹
・実は3種類ある鉄道事業者、それがPWFと関係あるのか?
・ジャイアント馬場vs.アントニオ猪木、旗揚げ当初から世界覇権を争う
・PWFが統括するのは太平洋沿岸の世界的規模、でもその実態は?
・プロレスと鉄道会社の深い関係!? 夢があるPWFの存在意義
本誌でも既にお伝えしたが、スタン・ハンセンが5代目PWF会長に就任したと全日本プロレスから発表された。ハンセンは2代目会長も務めており、19年ぶり2度目(甲子園出場じゃあるまいし)のお務めとなる。
ハンセンの会長就任は、前会長のドリー・ファンクJr.逝去を受けてのものだが、PWFは全日本プロレスと共に歩んできたと言っていい。全日と関係が深いハンセンが2回も会長を務めるのは、自然の成り行きと言える。

▼日米を股にかけた偉大なるグレート・テキサン、ドリー・ファンクJr.
実は3種類ある鉄道事業者、それがPWFと関係あるのか?
毎度のこととは言え、プロレスとは関係ない話で申し訳ないが、下記のクイズに答えて欲しい。
以下の3つのうち、1つだけ存在しない鉄道会社がある。どれかご存知だろうか。
①阪急電気鉄道
②関西高速鉄道
③西大阪高速鉄道
これが判る人は、相当な鉄ヲタだ。正解は①の阪急電気鉄道である。
え? 阪急って関西の大手私鉄じゃん。関東在住の俺だってそれぐらいは知ってるぞ。そんな声が聞こえて来そうだ。関西人の反発はもっと露骨で「ワイ、阪急に毎日乗ってるでまんねん」と文法ハチャメチャな関西弁で怒り心頭となるだろう。
関西には他に阪神電気鉄道や京阪電気鉄道、南海電気鉄道などがあるが、阪急の正式名称は阪急電鉄である。つまり『電気鉄道』ではない。
これは、阪急は元々軌道、即ち路面電車だったことに由来する。実態は普通の鉄道そのものだったが、それをボカそうとしたのか『電鉄』と名乗り続けた。もっとも、阪神だって最初は路面電車として認可されたのだが、こちらは堂々と(?)『電気鉄道』と名乗っている。
しかし、今回のクイズはそれが本質ではない。問題は、②関西高速鉄道と③西大阪高速鉄道は実在する鉄道会社ということである。
「長年、関西に住んどるけど、そんな鉄道会社なんて聞いたことないで(普通の関西弁に戻った)」という人が多いだろうが、その人だってこの2つの鉄道会社を利用したことがあるかも知れない。
種明かしをすると②関西高速鉄道とは、1997年に開通したJR東西線の施設を保有している第三セクターの鉄道会社である。JR東西線は、大阪市内の京橋駅から大阪市の中心部を地下で突っ切って兵庫県の尼崎駅まで至る、大阪の新たな動脈と言っていい路線だ。
そして、路線名通り電車を走らせて営業しているのはあくまでもJR西日本で、関西高速鉄道は施設を保有しているのに過ぎない。
このケースでは、実際に列車を走らせているJR西日本を第二種鉄道事業者と言い、施設を保有している関西高速鉄道は第三種鉄道事業者と呼ぶ。
大阪環状線の場合はJR西日本が電車を走らせて営業を行い、施設を保有しているのもJR西日本なので、JR西日本は第一種鉄道事業者となるのだ。かつてはほとんどの鉄道がこの形態だったが、近年では既存の鉄道会社が単独で新路線を敷設するのは資金的に厳しくなったので、三セク会社が鉄道施設を敷設して保有する形が多くなった。
③西大阪高速鉄道も三セク会社で、2009年に開通した阪神なんば線の大阪難波駅~西九条駅の施設を保有している。この場合、阪神電気鉄道が第二種鉄道事業者、西大阪高速鉄道が第三種鉄道事業者となるわけだ。
なお阪神なんば線のうち、大阪難波駅~西九条駅が開通する前から西大阪線という路線名で営業していた西九条駅~尼崎駅は、阪神電気鉄道が第一種鉄道事業者となる。
▼阪神なんば線の千鳥橋駅の近くにある『観光プロレス居酒屋リングサイド大阪』

ジャイアント馬場vs.アントニオ猪木、旗揚げ当初から世界覇権を争う
プロレスへ話題を切り替えるが、PWFが発足されたのは1973年3月。全日本プロレスの旗揚げが1972年10月だから、その僅か半年後である。
PWFはアメリカ合衆国ハワイ州ホノルルに設立、初代会長としてロード・ブレアーズが就任した。昭和の頃、PWFが絡む選手権試合が全日で行われると、試合前にブレアーズ会長がリングに上がってタイトル・マッチ宣言を読み上げていた姿を憶えてるファンも多いだろう。
PWF設立前の全日で世界選手権争奪10番勝負が行われ、全日の創業者であるジャイアント馬場が8勝0敗2分の好成績を収め、百田家から寄贈された力道山ゆかりのインターナショナル・ヘビー級ベルトを腰に巻き、初代世界ヘビー級王者となった。
間もなくPWFが創設され、世界ヘビー級王座はPWF世界ヘビー級王座となる。同王座は馬場のNWA加盟に伴い『世界』が取れてPWFヘビー級王座と改称されるが、これが現在まで続く三冠ヘビー級王座のうちの1つだ。
しかし、よくよく考えてみれば、初代王者を決める場合は複数人のレスラーを集めてリーグ戦なりトーナメントなり行いそうなものである。しかし『10番勝負』を敢行したのは馬場だけ。
要するに『争奪』と銘打っているが、最初から馬場が初代王者に就くことが決まっていたのだろう。10番勝負というのは、その箔付けである。
なお、この少し前に世界ヘビー級王者を名乗った日本人レスラーがいた。他ならぬアントニオ猪木である。
猪木は、1972年3月6日に行われた新日本プロレスの旗揚げ戦で、『真の世界一ベルト』を保持していたカール・ゴッチに挑戦して敗れ、同年10月4日にゴッチを破って同王座に就いた。全日が旗揚げする直前である。6日後の10月10日には再びゴッチに敗れてしまい、このベルトはお蔵入りとなった。馬場が世界ヘビー級王者となったのも、猪木への対抗心かも知れない。
▼[Fightドキュメンタリー劇場34]新日本旗揚げ、猪木プロレスに未来を見た、ゴッチ戦!(I編集長)
ただ、猪木の世界ヘビー級王座は封印され、馬場の世界ヘビー級王座は生き残った。この違いは、やはりPWFを設立したことが大きい。
猪木の世界ヘビー級王座は所詮、カール・ゴッチが個人的に所有していた、昔のAWA(バーン・ガニアが興したAWAとは別組織)のベルトに過ぎないが、馬場はPWFという後ろ盾を創った。PWFは、本土とは離れているとはいえ一応はアメリカの一部であるハワイに本部がある。この時代は海外、特にアメリカのベルトというだけで権威を保持していた。プロレス組織や団体が認定していないゴッチのベルトとは説得力が違ったのである。
馬場は全日設立当初からPWF構想を練っていたという。このあたりが馬場の賢いところだ。

PWFが統括するのは太平洋沿岸の世界的規模、でもその実態は?
プロレス団体にはチャンピオン・ベルトが必要である。しかし全日が創立された頃、馬場用に作られた2代目のインターナショナル・ヘビー級ベルト、そして猪木が保持していたUNヘビー級ベルトは日本プロレスが所有していたし、全日と提携していた国際プロレスのIWA世界ヘビー級ベルトを使わせてもらうわけにもいかない。IWAベルトを馬場が独占したら、全日設立に協力してくれた国プロに対して恩を仇で返すことになるからだ。
かと言って、根なし草のタイトルを創り出しても所詮はお手盛り王座。そこで力道山ゆかりのインター・ベルトが役に立った。力道山が絡んだベルトというだけで権威があるし、それにPWF認定ということで世界的に認められたチャンピオン、というイメージ作りに成功したのである。