[ファイトクラブ]奈良の世界遺産ニュースと1984年のライオネス飛鳥&藤原組長

[週刊ファイト6月18日期間] [ファイトクラブ]公開中

▼奈良の世界遺産ニュースと1984年のライオネス飛鳥&藤原組長
 by 安威川敏樹
・日本のプロレスの風景を変えた第一次UWF、そして藤原組長
・女子プロレスに革命を起こした飛鳥&長与のクラッシュ・ギャルズ
・藤原組長は古代日本で繁栄を誇った藤原氏の末裔なのか!?
・邪馬台国に始まり、ヤマト王権から飛鳥京、藤原京に続く大和国の謎
・『飛鳥』と書いて『あすか』と読むカギは聖徳太子が握っていた!?


 奈良県にある『飛鳥・藤原の宮都』が、世界文化遺産登録の勧告を受けた。この辺りは古代日本にとって首都機能があった場所である。まだ登録が決まったわけではないが、世界遺産となれば地元は大盛り上がりとなるだろう。関西以外の人には判りづらいかも知れないが、この周辺は奈良市の中心部から離れた田舎だ。
 飛鳥・藤原と言えば、我々プロレス者にとってはライオネス飛鳥と、組長こと藤原喜明を連想してしまうのが悲しい性か。この2人は、日本のプロレス界における転換期で重要なプロレスラーだったのだ。

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日本のプロレスの風景を変えた第一次UWF、そして藤原組長

 藤原喜明は、デビューしてからも長らく新日本プロレスでは前座を務める、日の当たらないプロレスラーだった。藤原の役目はアントニオ猪木のボディー・ガード、そして道場を守り抜くことである。
 当時の新日は『プロレスこそ最強の格闘技』という看板を掲げていた。そのため、道場破りが絶えなかったのである。

 最強を謳う新日が、素人相手に負けるわけにはいかない。そこで、道場破りの相手をしていたのが藤原だった。負けが許されないシチュエーションで、藤原が任されたのは、それだけ強さが認められていた証拠である。
 藤原はカール・ゴッチの教えを受け、関節技を磨いていた。全ては新日道場を守るためだ。

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 だが、せっかく身に付けた関節技も、道場以外の実際のリング上では使うことは許されない。当時は、関節技なんて地味な技は、お客様の前で見せるものではない、という考え方だったのだ。
 結局、強さの象徴であるサブミッションは、道場破り相手にしか使用できず長い間、藤原は前座に甘んじてしまう。

 転機が訪れたのは1984年2月3日のことだった。札幌中島体育センターで、藤波辰巳(現:辰爾)vs.長州力が行われようとしていた時、突如として花道を歩く長州を襲った男がいたのだ。他ならぬ藤原である。
 この頃の藤波vs.長州は『名勝負数え唄』と呼ばれ、まさしくドル箱カードだった。だが、何度も対戦を重ねるうちに、マンネリと感じていた猪木が、試合をブチ壊すため藤原に長州襲撃を命じたのである。

 あまりにも安直なストーリー作りに激怒した藤波は、タイツ姿のまま雪の降る会場の外へ飛び出し「こんな会社、辞めてやる!」と吠えた。いわゆる『雪の札幌事件』である。
 だが皮肉なことに、この乱入劇により藤原は出世街道を駆け上がった。『テロリスト』の称号を得た藤原は、前座を脱しメインの試合に抜擢されるようになったのである。

 それでも、藤原は関節技を使うことは許されなかった。当時の藤原が持っていたのは『テロリスト』としての貌と、頭突きぐらいだったのである。

 しかし、猪木が興した事業『アントン・ハイセル』の失敗のため、前年に新日内で勃発したクーデターにより誕生した新団体のUWF(第一次)が、藤原の運命を変えた。藤原はUWFへ移籍することになる。
 UWFには前田日明、高田伸彦(現:延彦)、木戸修、そして初代タイガーマスクを引退していた佐山聡(スーパー・タイガー)ら、新日道場でゴッチ指導の元、強さを磨いていた連中が集まってきた。『テロリスト』として知名度を上げていた藤原にとって、最高の舞台となったのだ。

 新日のリングでは禁じられていたサブミッションを、UWFでは遠慮なく使うことができた。『雪の札幌事件』から約半年後のことである。
 第一次UWFはテレビの定期放送が付かなかったため約1年半で崩壊したが、UWFの存在は確実に日本のプロレス風景を変えていった。その後は他の団体でも当たり前のように関節技をリング上で使うようになったのである。その中心人物だったのが藤原組長であることは言うまでもない。

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女子プロレスに革命を起こした飛鳥&長与のクラッシュ・ギャルズ

 藤原組長が大ブレイクした1984年、女子プロレス界にビッグ・スターが誕生した。全日本女子プロレスのライオネス飛鳥&長与千種のタッグ・チーム、クラッシュ・ギャルズである。
 クラッシュ・ギャルズもまた、女子プロレス界に革命を起こした。それまではイロモノ扱いされていた女子プロレスを、一気に男子プロレスと同格に押し上げたのだ。

 クラッシュ・ギャルズはダンプ松本ら極悪同盟と、典型的なベビー・フェイスvs.ヒールという全女の伝統を保ちながら、男子プロレスのエッセンスをふんだんに盛り込む。それまでの女子プロレスは、男子プロレスとは別物、という風潮が強かったのである。
 しかしクラッシュ・ギャルズは、男子プロレスで流行っているような技を積極的に取り入れた。また、全女はフジテレビが定期放送をしていたにも関わらず、クラッシュ・ギャルズはTBS系の人気お色気ドラマ『毎度おさわがせします』にも出演している。一般人に受け入れられるよう、積極的なメディア展開をしていたのだ。

 当時の男子プロレスは女子プロレスをバカにしていた。女子プロレスをプロレス誌が記事にすると『あんなもん載せるな!』と男子プロレス団体から抗議が来ていたほどである。
 しかし、クラッシュ・ギャルズの登場により、潮流が変わった。男子プロレスにとって、女子プロレスは無視できない存在になったのだ。

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 まさしくクラッシュ・ギャルズは、女子プロレスの地位向上を実現させたのである。あれだけ女子プロレスを蔑んでいた新日本プロレスが、女子プロレスのスターダムと提携するなど、当時は考えられないことだった。
 それも、クラッシュ・ギャルズなくしては有り得ない。ライオネス飛鳥と長与千種は女子プロレス最大の功労者と言えよう。

藤原組長は古代日本で繁栄を誇った藤原氏の末裔なのか!?

 ところで、こんな疑問を抱いたことはないだろうか。藤原組長は、藤原氏の末裔ではないのか? ということだ。
 藤原氏とは、今回の世界遺産登録の勧告を受けた『飛鳥・藤原の宮都』を築いた一族のこと。藤原氏は、飛鳥時代の藤原鎌足から始まり、奈良時代の藤原不比等、平安時代の藤原道長ら、長きにわたって古代日本で黄金時代を謳歌した氏族だ。

 そして、現在でも藤原氏にまつわる苗字は多い。たとえば、日本で最も多い苗字である『佐藤』は、藤原公清(ふじわらのきみきよ)の官職『佐(すけ)』に藤原の『藤』を付けたものだ。あるいは、栃木県の佐野に領地を得た藤原氏が、佐野の『佐』と藤原の『藤』を組み合わせて『佐藤』と名乗った場合もある。
 似たような例では、伊勢国の『伊藤』、加賀国の『加藤』、尾張国の『尾藤』も藤原氏の末裔だ。

 藤原氏の始まりは、前述の藤原鎌足である。7世紀ごろの飛鳥時代、当時は政治で強大な権力を行使していた蘇我氏を討つべく、中臣鎌足は蹴鞠をキッカケにして中大兄皇子に近付いた。
 中臣鎌足と中大兄皇子は、飛鳥の里の東側にある多武峰という山中の談山神社で、蘇我氏討伐のための談合を重ねる。そして645年、中臣鎌足と中大兄皇子は蘇我入鹿の暗殺に成功、さらに、その父親である蘇我蝦夷も自殺に追いやった。これがいわゆる乙巳の変である。

 蘇我氏を討って実権を握った中大兄皇子は大化の改新を推進して、後に天智天皇となった。天智天皇は中臣鎌足に藤原姓を与え、中臣鎌足は藤原鎌足となる。これが藤原氏の始まりだ。
 藤原鎌足の死後も後継の藤原氏は天皇家との関係を保ち、蘇我氏以上の独善的な政治を行って、飛鳥時代から平安時代の中期までの長い間、繁栄を誇ったのである。

 ところで先程、多武峰や談山神社などをサラッと書いた。実はこれ、初見ではなかなか読めない難読地名であるが、あなたは読めるだろうか。この付近は他にも『尾曽』『高家』『下居』『上居』など、普通では絶対に読めないような難読地名の宝庫だ。
 そして、藤原喜明は藤原氏の末裔なのか? それについては、上記の難読地名の読み方と共に、次章で書くことにする。

 また、ライオネス飛鳥の『飛鳥』も、我々は『あすか』と読めるが、普通に考えるとこんな読み方はしない。
『飛鳥』を『あすか』と読む謎には、実に面白くて魅力的な説があるのだ。それについては、藤原組長の末裔問題や難読地名と共に、後に書くので興味がある方は最後までお読みいただきたい。

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