カクタス・ジャック:デスマッチの王30年

 ミック・フォーリーがIWAジャパンの伝説的試合でテリー・ファンクから「王冠」を受け継いだ瞬間を振り返る。

 テリー・ファンクがいなければ、ミック・フォーリーの伝説はこれほど大きくならなかっただろう。

 8月20日はIWA川崎ドリームの30周年記念日であり、「キング・オブ・デスマッチ」が初めて誕生した日として永遠に記憶される。

 その称号はフォーリーに渡った。カクタス・ジャックこと彼はWCW離脱から約1年後にこの舞台に立っていた。スティングやベイダーとのクラシックな抗争を繰り広げた3年間の活躍の後、フラストレーションが高まり、新たな道を模索していたフォーリーは1995年に「日出ずる国」へと飛び込んだ。独立契約者として自由を謳歌しつつ、師テリー・ファンクと共に新たなキャリアを切り開いたこの時期を、フォーリー自身は非常に愛していたという。大手アメリカ団体に所属していなかったが、自らのスケジュールを組み、収入も管理できたからだ。

 当時51歳のファンクは、プロレス再発明の先駆者であり、常に業界の最先端を走っていた。土曜朝のアニメの合間に流れる予定調和の試合ではなく、人々が求めていたのは血と暴力だった。特に日本ではその需要が高かった。

 こうしてIWAが主催した「キング・オブ・デスマッチ」トーナメントが1995年8月20日、川崎球場で開催された。メインの目玉はファンクとフォーリーであったが、他にもタイガー・ジェット・シン、レザーフェイス、フリーバーズ後期のテリー・ゴーディらが出場。NWA世界王座戦や若き田尻義博の参戦も大会を彩った。

 試合は長くはなかった(決勝も14分弱で終了)が、内容は濃く、流血でキャンバスを染め上げながら新時代の青写真を描いた。フォーリーとファンクはその中心にいた。

ミック・フォーリー&テリー・ファンク ― ゲームを変えた瞬間

 フォーリーとファンクは既に日本のデスマッチに慣れていたが、川崎ドリームは「世代交代」を象徴する試合となった。フォーリーはついに「プロレス界のルネサンスマン」であるファンクから勝利を得たのだ。

 フォーリーは自身の自伝オーディオブック『Have A Nice Day』で、この試合について解説している。計画ではC4爆破のクライマックスに向かうはずだったが、レスリングの歴史的瞬間の多くがそうであるように、物事は予定通りには進まなかった。

 1994年にファンクが大仁田厚と戦ったFMWの伝説的爆破戦のように、試合終盤にリングが爆発する仕掛けだったが、実際の爆発は期待外れで、フォーリー曰く「ローマンキャンドル程度」だったという。観客も失望し、ファンク自身も困惑した様子を見せた。ここでフォーリーは即興的に展開を変える。

 フォーリーは血だらけのまま機転を利かせ、バービー線が絡みつくリング上でラダーを使ったエルボードロップを披露。試合の決着自体はやや地味だったが、全体としては歴史に刻まれる名勝負となった。空港で父に迎えられた際、フォーリーは必死に焼け爛れた皮膚を隠したという。

30年後 ― フォーリーが語るファンクとあの夜

 30年経った今もフォーリーはあの瞬間を鮮明に覚えている。彼はこう語った。

「キング・オブ・デスマッチ・トーナメントが大切だったのは、勝ったからじゃない。テリー・ファンクの承認を得て勝ったからだ。もしWWEからのオファーがなければ、私は日本を主戦場にして、あの夜テリーから渡された“松明”の威光でキャリアを築いていたはずだ。」

 ファンクはプロレス界で永遠に王者のような存在でありながら、マンカインドとしてWWEの「アティテュード時代」を後押しする前から、フォーリーの未来を見抜いていた。

「王に挑むなら、外すな」――テリーもミックも、それを見事に体現した。


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