[週刊ファイト7月3日]期間 [ファイトクラブ]公開中
▼我が巨人軍はNWA世界ヘビー級チャンピオンです!
by 安威川敏樹
・世界最強のプロ・スポーツ・チームだった、ミスターがいた頃の巨人
・週刊ファイトやWJプロレスにも関係があった宮崎満教氏の証言
・甲子園に閑古鳥が鳴いていた時代
・首都圏以外でのビジター・ゲームではヒールだった巨人
・敵地のファンをも唸らせる、NWA世界ヘビー級チャンピオンの実力
『ミスター・プロ野球』こと長嶋茂雄さんがこの世を去ってから1ヵ月近く経つのに、未だに長嶋さんに関する記事は多い。それだけ長嶋さんが偉大な人物だったということだろう。
長嶋さんが引退試合で『永久に不滅』と言っていた巨人軍こと読売ジャイアンツと、プロレスの黄金時代はほぼ同時期だ。長嶋さんの追悼記事で筆者は、長嶋さんはプロレスラー的なプロ野球選手だったと書いたが、巨人とプロレスの共通点をもう少し深堀りしてみたい。(本文中敬称略)
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世界最強のプロ・スポーツ・チームだった、ミスターがいた頃の巨人
長嶋茂雄の全盛期は、そのまま巨人V9時代と重なる。それは昭和40年代のことで、巨人は昭和40年(1965年)~48年(1973年)まで、日本シリーズ9連覇という前人未到の大記録を打ち立てた。その中で、長嶋は巨人の四番打者として君臨し続けたのである。
この頃は『巨人・大鵬・卵焼き』という時代。まだ日本に娯楽が少なく、ようやく庶民でも買えるようになったテレビに映る巨人と、中心打者である長嶋の活躍に日本人が熱狂していたのだ。
元:内外タイムスのG番記者で、後には『悲劇のプロレス団体』と呼ばれたWJプロレスの社長になりかけたり、我が『週刊ファイト』を週刊新聞として復刊させようとしたりした宮崎満教は、当時の巨人のことを『世界最強のプロ・スポーツ・チーム』と評した。
メジャー・リーグ(MLB)最強の球団であるニューヨーク・ヤンキースはアメリカの一都市であるニューヨークの球団に過ぎないし、世界最強のプロ・スポーツ・リーグと言えるNFL(アメリカのプロ・アメリカン・フットボール・リーグ)ですら、当時の巨人ほどの球団は見当たらない。
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しかしV9時代の巨人は、人口1億人を超える日本で、その人気を独占していたのだ。当時のプロ野球中継は、全国ネットではほとんど巨人戦。しかも、毎日ゴールデン・タイムで生中継され、視聴率は連日20%超えだったのである。実際にヤンキースの試合が全米で毎日のようにテレビ放送されるなんてことは有り得ないし、NFLはそもそも週1回ぐらいしか試合がない。
極端に言えば、視聴率20%ということは1億人の2割である2千万人が、巨人戦を毎日見ていたのである。たしかに、こんなバケモノ的コンテンツのプロ・スポーツ・チームは当時の巨人以外、古今東西世界中を探しても皆無だろう。
当時はプロ野球ブームと言いながら、実際には巨人の1強独占状態。プロ野球ファンのうち、巨人ファンが6割を占めていたと言われ、1割が阪神タイガース・ファン、2割が残りのセントラル・リーグ4球団で分け合い、1割がパシフィック・リーグ6球団で分割されていたといったところだろう。
全国テレビ中継があるのは巨人戦だけ、球場が満員になるのも巨人戦だけである。現在は野球離れが叫ばれているが、セ・パに関係なく球場が連日満員になる今の方が、よほどプロ野球ブームだろう。
今では巨人以上に人気を博しているのが阪神だが、1980年代以前の阪神甲子園球場では巨人戦以外、閑古鳥が鳴いていた。巨人戦の甲子園には当時から約5万人の大観衆が詰め掛けていたが、巨人戦以外ではその10分の1に過ぎない約5千人。これも実数発表ではなく主催者発表なので、実際にはもっと少なかっただろう。
現在の甲子園は巨人戦でも阪神ファンが9割を占めているが、当時の甲子園では阪神ファンが6割、巨人ファンは4割もいた。アンチ巨人のイメージが強い関西でも、実際には巨人ファンが多かったのだ。