日本プロレスがジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲の活躍で第二期黄金時代を迎えていた昭和44年5月12日、赤坂プリンスホテルでNET(日本教育テレビ)のプロレス放送参画が発表される。
これにより日本プロレスは日本テレビの独占放送に加え、週に2度テレビでプロレス放送が見られることになる。
プロレスファンにとっては嬉しい出来事ではあった。
しかし、新規に参入してきたNETにおいては、主力タイトルマッチ、ジャイアント馬場、坂口の試合、ワールド大リーグ戦の公式試合においては放送できないという制限付きの中、伸び盛りの若獅子アントニオ猪木を全面に出してのスタートになる。
そんな中、最初にプロレスアナウンサーとして任命されたのが舟橋慶一氏と吉岡晋也アナであった。
当時を思い出すと、吉岡アナの実況は娯楽的な感があり、なぜかアントニオ猪木のファイトスタイルには合わないと子供心に思う節があったが、舟橋氏の実況はアントニオ猪木の戦う姿勢にマッチして、プロレス愛、猪木愛を感じ得る実況だなぁと感じていた。
そう、舟橋氏はプロレス放送が始まると聞くや、日本プロレスのツアーに大きな電気録音機を持ち帯同。
そしてその道のプロである竹内宏介氏や櫻井康雄氏に技の名前を聞きながら、プロレスを勉強する努力をされたと聞く。
その努力が実り、初期のアントニオ猪木の名勝負には必ず舟橋慶一の名アナウンスが付いている。
アントニオ猪木自らが我がベストバウトと称する昭和44年12月2日のドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界選手権試合、翌年8月2日の再戦。
その他、今や夢の対決といわれる対テリー・ファンク、ミル・マスカラス、ドン・レオ・ジョナサン、ジョニー・バレンタイン戦もそうである。
日本プロレスの騰落から猪木と坂口が手を組み新日本プロレスの放送になってからも、因縁の対決タイガー・ジェット・シン戦、
日本人大物対決である対ストロング小林戦、大木金太郎戦、そして究極の名勝負ビル・ロビンソン戦。
世界中が注目した格闘技世界一決定戦、モハメド・アリ対アントニオ猪木戦――他すべて舟橋氏の名アナウンスなのである。
さらに、あのアントニオ猪木のキャッチフレーズである「燃える闘魂」の名づけ親は舟橋氏その人であるのだ。
今回の大阪初のトークイベントでは、アントニオ猪木の若獅子時代から燃える闘魂へ移行してゆく姿を時系列に話を進めながら、これまで聞くことのなかったエピソードを舟橋氏から聞き出したいものである。
関西にお住まいの昭和プロレスファンは、是非この機会に会場に足を延ばしてください。
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