[ファイトクラブ]『プロレスの日』に日本プロレスリング連盟の公式サイト開設!

トップ画像:wikipediaより引用
[週刊ファイト3月6日]期間 [ファイトクラブ]公開中

▼『プロレスの日』に日本プロレスリング連盟の公式サイト開設!
 by 安威川敏樹
・かなり期待が持てるUJPW公式サイトの内容
・日本のプロレス黎明期に存在した協会とコミッショナー
・力道山時代の初代・日本プロレスリング連盟
・UJPWが認可された一般社団法人って何? 『一般』の意味とは??


 2月19日と言えば『プロレスの日』である。1954年2月19日、東京・蔵前国技館で力道山&木村政彦vs.シャープ兄弟(ベン&マイク)のタッグ・マッチが行われ、この試合が日本テレビとNHKで放送された。
 まだ日本には、テレビ局がこの2局しかないというテレビ創成期にプロレスが全国中継され、一気にプロレスの認知度が上がったため、この日が『プロレスの日』に制定されたわけだ。

 そんな『プロレスの日』に、日本プロレスリング連盟(UJPW)の公式サイトが開設された。筆者は本誌で何度もUJPWについて執筆し、時には厳しい意見も書いたため、UJPWのサイト開設には感慨深いものがある。

かなり期待が持てるUJPW公式サイトの内容

 さて、UJPWの公式サイトを見た最初の感想は『なかなか良い』である。筆者は、UJPWが発足してから1年間も法人化していなかったことを、本誌で批判してきた。一般社団法人を申請し、認可されることなどハードルは高くないのに、その動きがほとんど見れなかったので、本当に法人化する気があるのか? とその姿勢を疑っていたからだ。
 だが、UJPWのサイトを見ると、本気度が感じられた。内容的にはまだまだ薄いが、これは開設したばかりなので仕方がないだろう。サイトは生き物のため、これから内容も充実していく筈だ。

 また、1月20日に一般社団法人化され、その約1ヵ月後の『プロレスの日』に合わせてのサイト開設というスピード感も良い。それまでのノロノロした動きがウソのようだ。

▼日本プロレスリング連盟が遂に一般社団法人化! ではあるが……

[ファイトクラブ]日本プロレスリング連盟が遂に一般社団法人化! ではあるが……

 そして、ミッションの部分を読んでみると、筆者が常々主張してきたレスラーの安全対策やコンプライアンス他の選手研修、セカンド・キャリア支援などがしっかり盛り込まれている。
 それに、絵に描いた餅になりそうな、突拍子もない実現不可能な理念も書かれていない。いずれも、努力さえすれば達成できるような目標ばかりだ。このあたりの設定にも好感が持てた。

 理想を語るだけなら誰でもできるが、ファンにビジョンを示した以上は実行しなければならない。実現可能な目標とは書いたが、それには困難が伴うのも事実だ。
 プロレス界には問題が山積みで、それらを解決するためには各団体だけでは限界があるので、UJPWが設立された筈である。それだけに、UJPWの責任は重い。

 特に最近、コンプライアンス面で言えば、有名人によるオンライン・カジノ問題が取り沙汰されている。昔からプロレスラーにはギャンブル好きの人が多いので、このあたりの研修はUJPWが各団体と連携してしっかり行っていただきたい。
 よく言われることだが、ギャンブルは反社会的勢力の入口になる可能性があるのだ。それらは薬物への導火線にもなりかねないので、UJPW主導で教育する必要がある。

 安全面に関しては、プロレスは死者が出るような危険なスポーツにもかかわらず、最も遅れている部分だ。しかも、費用がかかる割には儲かることもない分野なので、資金力のない団体では手付かずの場合が多い。
 だが、プロレスラーの命や安全を守るということは、宝を守るということであり、UJPWが早急に取り組むべき課題だ。それが今後、プロレスラーを目指す子供や若者を増やし、未来のプロレス界が繁栄することにも繋がる。

 UJPWは非営利団体のため、カネを生む装置ではないので、動きが遅くなることもあるだろう。だが、これらのプロレス改革は待ったなしだ。

日本のプロレス黎明期に存在した協会とコミッショナー

 2月19日は『プロレスの日』と冒頭で書いたが、この日に放送されたのは日本プロレス協会の試合だった。日本プロレスリング連盟と日本プロレス協会、酷似している名称だが、もちろん全くの別組織である。
 そして、当時の日本にはもう一つのプロレス協会があった。それは、柔道家の山口利夫が大阪で興した全日本プロレス協会で、こちらも現在の全日本プロレスとは無関係だ。実は、2月19日の13日前となる2月6日、NHK大阪が関西および東海地区で全日本プロレス協会の試合を実験放送しており、これが日本における最初のテレビでのプロレス中継とされる。

 ところで協会と連盟では、どう違うのだろうか。辞書を引くと、協会は『ある目的のため会員の協力で設立・運営される会』とある。連盟は『共同の目的のために行動をともにする誓いを結ぶこと。また、その組織』だ(いずれもgoo辞書からの引用)。やはり、違いがよく判らない。
 英語では、協会はassociationと訳され、たとえば、かつて存在したAWA(American Wrestling Association)を和訳すると米国レスリング協会となる。WWEの前身であるWWF(World Wrestling Federation)は世界レスリング連盟だ。

 力道山が日本プロレス協会を興したのは、テレビ中継が開始される半年前の1953年7月30日。ただ、前述のように山口利夫も同時期に全日本プロレス協会を設立したので、日本にはプロレスの『協会』が2つあったわけだ。
 つまり、同業団体を傘下に収めるという現在の感覚における非営利組織の『協会』とはかなり性質が異なり、『協会』と銘打ちながらレッキとした営利団体である。

 ちなみに、全日本プロレス協会と言えば短命のプロレス団体として知られているが、その中枢メンバーはかなりスゴい。
 会長は酒梅組三代目組長の松山庄次郎、顧問が小西寅松(後に日興連汚職事件により収賄罪で逮捕されることになる自由民主党の衆議院議員)、相談役が石川弥太郎、理事が田岡一雄(山口組三代目組長)、勝間芳次、永田熊吉という、現在ならコンプライアンスに引っ掛かりそうなオールスターである。

 この両団体以外では、テレビ・マッチで力道山とタッグを組んだ木村政彦が、いつもジョブ役(お仕事役、負け役)をやらされることに嫌気が差し、日本プロレス協会を離れて熊本に国際プロレス団(ラッシャー木村らが在籍した後年の国際プロレスとは無関係)を設立した。
 そして同年12月22日、力道山vs.木村政彦の一騎打ちが実現。ご存知のように、この試合は壮絶な喧嘩マッチとなり力道山のKO勝ちで決着したが、両団体のエースが激突ということもあって、主催は『プロレスリング・コミッショナー設立準備委員会』となっている。つまり、団体の垣根を超えた対決が行われることを見越して、コミッション設立の機運が高まっていたのだ。

力道山時代の初代・日本プロレスリング連盟

 日本プロレスには協会部門と興行部門があり、協会部門が日本プロレス協会、興行部門が日本プロレス興行株式会社だった。そして、その上には日本プロレス・コミッションが設けられたのだ。これにより、プロ・スポーツとしての体裁が整えられたのである。
 普通、日本プロレスというと日本プロレス協会および日本プロレス興行の総称である場合が多い。そして、時には日本プロレス・コミッションまで含まれることがあるのだ。その理由については後述しよう。

 さらに、この頃には日本プロレスリング連盟まであった。そう、現在のUJPWと同名組織である。
 1956年10月に、日本プロレス協会を含む4団体でウェイト別日本選手権が開催された。その主催者が、日本プロレスリング連盟だったのだ。

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 しかし、このウェイト別日本選手権は、明らかに力道山が他団体を潰すために仕組まれたもの。事実、この選手権は日本プロレスが圧勝し、力道山の思惑通り他団体は壊滅状態になり、日本のプロレス界(男子)は事実上の日本プロレス1団体となる。
 そして、用済みとなったせいか、初代・日本プロレスリング連盟はいつの間にか消滅した。

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