9・13『TENKAICHI 77』”プロジェクトR”ローズ達也インタビュー

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“プロジェクトR”ローズ達也インタビュー

――群馬で生まれ育ち、沖縄に渡って選手兼トレーナー生活8年。そんなローズ達也選手がタイトルマッチ挑戦権を賭けた大勝負を久々の沖縄で戦う……ワイルドシーサー沖縄グループに多い達也ファンの間で期待の声を沢山聞いております。

自分も楽しみっす。もう2年も(※1)こっちでやってないっすもんねえ。

――今や群馬よりも沖縄がホームのような感じ?

あるっすねえ。群馬のTENKAICHI(※2)でもちょいちょい試合しますけど、今だったらこここそがホームっす。

――モチベーションが高そうですね。

そっすね。この次期挑戦者決定戦もはじめは7月に東京または群馬、もしくは9月の後楽園ホールってなプランもあったみたいで「聖地・後楽園にまだ上がったことがないからそれいいなあ」ってちょびっと思いましたけど、よく考えてみれば、岩浪選手に勝って、年末にチャンピオンになれば、来年、そんな機会なんて巡って来るに違いないんだから、前向きに沖縄の試合を希望しました。

――その相手となる岩浪悠弥選手ですが、大変な強敵と評判です。

っすね。スピード、パワー、テクニック……フィジカル系すべての項目で上回れてるでしょ。

――それでは勝ち目が……。

そこは「人生の重み」で対抗するっす!

――人生の重み?

岩浪君、今年17歳の高校2年生っすよ。あの名門・橋本道場(※3)でチャンピオンたちに混じって小さな頃から毎日稽古漬けだったんでしょう。アマ経験だって豊富だろうし、何よりセンスの塊みたいな天賦の才を持ってるじゃないっすか。何もかも自分の真逆に感じるようなエリート。だからね、だからこそ彼にないものが俺にあって、それを武器にするってね(ニヤリ)。

――この機会にその微笑の根拠となるローズ選手の半生を紐解きつつ、岩浪戦をディープに楽しめるお話をお聞きしたいです。

素晴らしいっすね! どうぞどうぞ!

――生まれは群馬の?

渋川市っす。群馬県中部で伊香保温泉と頭文字D(※4)で有名ですけど、恐ろしく何もない田舎っす。

――家族構成は?

ガソリンスタンドを経営する両親と5つ上の兄、4つ下の妹の3人兄弟っす。

――ガソリンスタンドが生家?

自宅からは離れていましたけどれど、おかげで石油の匂いが今でも好きだったりしますよ。

――幼少期、少年期、どんな子でしたか?

協調性のないアホだったかなあ。小4から中学まで野球してました。父親が狂信的な西武ライオンズファンで、その影響もあったかな?

――すると「目指せ清原!秋山!工藤!」のような具合?

それがプロ野球選手になりたいとは思ってなかったんっすよ。ひたすらに脚が速くなりたかったんっすよねえ。野球部は練習一番するし、走ってばっかだから速くなるかなあって。

――なられましたか?

小6で学校のマラソン大会で優勝するくらいは(笑)。

――では、野球をやるだけでなしにそれを観戦したり応援したりに夢中ではなかった?

大好きだったのは、ゴジラやガメラとかの怪獣映画とかウルトラマンっすね。それとジャッキー・チェンは神でした!

――ジェッキーが神?

気がつけばもう何年もキックボクシングやムエタイしてますけど、ジェッキー教がどっか抜けてないから今も中国拳法最強説を信じたい自分がいます(笑)。映画は「酔拳」や「蛇拳」もいいけど「プロジェクトA」がとにかく最高で。

――入場曲が映画「プロジェクトA」のテーマ曲だったこともありました。

試合前の煽り映像でインチキ中国人のモノマネとかやったのもその系統のパロディーっす。

――そんなカンフー好きが高じて自分でも格闘技を志したとか?

やりたい願望はあったんですけどね。近所に空手道場さえなかったんでどうしていいかも分からないで色んなテレビやビデオを見たり、バトル系のゲームをやったりに留まってました。

――それはどんな?

ボクシングは、辰吉丈一郎や鬼塚勝也、井岡弘樹、川島郭志、ユーリー・アルバチャコフとか。プロレスは闘魂三銃士や小橋建太。中学半ばにK-1が始まったんでそっからはK-1に相当夢中でした。けど、ムーンサルトプレス(小橋の必殺技)やキックボクシングを教えてくれるとこともなければ手段も分からなくて……だからせめて高校はボクシング部のある渋川工業高校を選んだっす。

――ボクシング部に入部する為だけに?

流石に親にそれを言えないもんで、何となく興味があった電気科が目的のフリををして(笑)。

――すると入学と同時に入部?

そっすね。近隣大学とかも一緒の合同夏合宿があったんっすけど、そこで大学生の先輩として天田ヒロミさんがいて、声がデカくてえらい怖いんだけど、練習が終われば気さくで優しかったのをよく覚えています。

――では、高校三年間はボクシング漬け?

いや、それが半年で辞めちゃうんっすよ?

――何かやらかしましたか?

いやいやいや、近所の整体院でキックボクシング同好会をしているところにボクシング部の同級生が通ってて、そっちに行っちゃったんです。

――ボクシングよりキックが好きだった?

やっぱ、K-1の影響っすね。それにムエタイ。

――ムエタイは田舎町では尚のこと触れようがないのでは?

関根勤が司会をしていた深夜の特番で「格闘王」っていったかな? 世界中の格闘技を紹介するって企画があって、そこでUFC(※5)の第1回を見て「グレイシー柔術、スゲーッ!」ってなったりしたんっすけど、何故か惹かれたのはムエタイなんで(笑)。そうだ。思い返せば、小学生の時、テレビでみた「世界まる見え!テレビ特捜部」でムエタイが紹介されてて、それを見て何故か「カンフーに勝る世界最強はムエタイしかない!」って決め込んじゃったんっすよね。

――決め込む?

そしたらK-1でチャンプア(※6)っすよ。あいつが結構負けるんだけど、すげえカッコ良くって、チャンプアになりたくて、チャンプアがサウスポーなもんだから右利きなのに無理やり左利きの練習して、ボクシング部に入部した時も利き腕を訊かれた時、正直に答えたらオーソドックスしか許されそうにないと思ったんで、左利きを偽ってサウスポーに構えて「オマエ、右が強いな」って褒められていい気になって「けど、左が全然だな」って落とされたりして(笑)。

――そこまでするのも信念ですね。

だから、大したことはないっすけど得意技を訊かれた時はチャンプアに憧れた気持ちを忘れずに「左ミドル」って答えてます。今は飯を食うのは完全に左になったけど、ペンはまだ右で持つ。そんな感じっす。

――高校生時代はボクシング部から他に転部もせずキック同好会の毎日?

そっすね。週に3日でしたけど。

――約3年もやり込むとアマ大会に出たりプロを目指したりしませんでしたか?

今と違って気軽に出られるアマ大会もなかったし、それよりも「やってる幸福感」で満足しちゃって、実戦をしてみたいとかまで頭がいかなかったっす。

――すると高卒からは?

前橋工科大学に進学しました。けど、実家のスタンドも手伝わなきゃだったんで、夜間の部っす。すると仕事が終わったら学校って毎日で同好会にも出られなくなって、大学4年間は運動ゼロ生活でした。

――あれほど好きだった格闘技への興味は?

それは全然衰えないで、東京までK-1観戦に行ったりまめにしてました。東京ドームに何万人も集めてすげえ盛り上がっているところに更にK-1 WORLD MAX(※7)ができて、それがまた面白くって。

――大学を卒業されたら何を?

普通に就職しました。SUZUKIの営業っす。そっから俺の人生が急にキック色になるんっす。

――と言われますと?

職場は県内の高崎市だったんっすけど、ここから初めて独り暮らしが始まるんっすね。それに新入社員とはいえ、今まで朝昼働きながら夜に大学だった時からすれば急に終業後に時間ができる。そして、運命的な出会いがあったんっす。

――運命的な出会い?

映画「マッハ!!!!!!!!(※8)」っす。

――ムエタイをモチーフにした超肉弾アクションムービーですね。

カンフーでジェッキー以上に凄いアクションはないと思っていたら、それを超える勢いでしかもムエタイがベースって、俺のハート直撃にも程があるってもんっす(笑)。

――そして、どんな影響を受けたのですか?

映画を見て即、ジムに入会っす。

――それが今につながるワイルドシーサー群馬グループだった?

そうっす。高崎ジムでした。入門当時は健太(※9)選手がいいて、彼がプロデビュー戦の時に俺がプロテストを受けました。

――ここから一気にプロにまで?

入門から割とすぐにアマの試合に出て勝ったら、そこから持病の腰痛が出て休み休みで結局1年くらいかかりましたけどね。

――プロデビュー戦は?

プロテスト直後に決まって、流れて、またその次も決まって流れての繰り返しで、結局、更に1年後ぐらいになっちゃいました。それが2006年のMA日本キックボクシング連盟(※10)のバンタム級新人王トーナメントの1回戦でした。

――ずっとフライ級のイメージがあるローズ選手ですが、その頃はバンタム級?

いや、全然、フライ級なんっすけど、フライ級に人が少なくて新人王トーナメントができなかったから適正ではないけどバンタム級でって感じっすね。

――結果は?

延長戦までいっての判定負けです。相手はHIMIジムのしゅんって選手でしたが、そのまま優勝しました。

――ショックだった?

負けだからそりゃあそうなんっすけど、それよりもプロデビューできた喜びと自信の方が大きかった気がします。

――2戦目は?

これが久保賢司(※11)選手のデビュー戦の相手だったんですよ。

――10代でキック世界王者になり、プロボクシングに転向後、世界ランカーを相手にB級(6回戦)デビューで勝利した久保優太選手の弟で天才兄弟との誉れ高い久保選手ですか?

お陰様で妙に注目度の高い試合になったんですけど、1ラウンド目、左ハイキックでダウンを取ったんっす。けど、2ラウンド目、膝蹴りでKO負け。これは倒されただけにマジへこみました。そうそう、それとこの試合からリングネームが本名の「福島達也」から「ローズ達也」になったんっすよね。

――失礼ながら一見して薔薇が似合う雰囲気ではないローズ選手ですが。

ジムの仲間たちと地元の飲み屋に遊びに行っておふざけで薔薇を咥えたら、その写メが皆に出回って、当時のトレーナーから「よし、お前はローズ達也だ!」ってことになって、そのままっす(笑)。

――ユーモラスで不思議なギャップを醸し出すお名前ですが抵抗はなかった?

まあ、あんまなかったかな? それよか目の前の試合でとにかく1勝したいって気持ちの方が強くて。

――待望の初勝利は?

それがもうちょっと先なんっすよ。3戦目は山梨興行だったんですが泥試合でドロー。「ここまで勝てないのか」って考えに考え込んで、超思い切って一発奮起します。

――何かをされた?

会社を辞めてタイに行きました。

――ここまでお話を聞くだに堅実で真っ当な生き方をされていた感があったのですが、これはまたあまりにも急な転換です。

そっすね。確実に人生最大の冒険でした(笑)。

――ご実家の両親には?

なかなか言い出せなかったっすね。何せ高校時代にキックをやっていること自体反対されていたし、就職してからのジム通いも実家から出たからできたようなもんで秘密でしたし。ただ、プロデビューしたことは軽く母ちゃんに言ってビックリされてはいたんだけど「実業団の野球チームに入った」くらいのレベルに思われていたんじゃないっすかね。

――では、黙って?

いや、流石にそれは不味いんで許しを請いに行きました。けど、俺、なんか親に対して悪いことをしている気が嵩んじゃって、両親の目の前で話し出す前に泣き出しちゃったんですよ。

――相当な気持ちですね。

生まれて初めての感情でした。母ちゃんは狼狽してもちろん反対されたんですが、ずっと黙っていた父ちゃんが最後にポンと肩を叩いて許してくれて……そんなことも人生初めてで……改めて両親に感謝っす。

――タイでどちらに?

セーンモラコット(※12)っす。高崎ジムでトレーナーをしていたラップさんの紹介で。1ヶ月くらいかな。

――本場のムエタイはいかがでしたか?

レベルが高すぎて面喰いました。「同じことやるにしてもこんなに違うんだ」って。初の海外でドギマギしっぱなしでしたが、練習についていくのがやっとの夢中でした。試合も5回戦でやりましたけど、もう何が何だか分からないうちに完封されて判定負けっす。

――帰国されてからの手応えは?

向うの技術が高すぎて少しでも吸収できたかどうかさえも分からない感じっす。けど、ずっと練習漬けだったからスタミナには自信がついたかなって。

――そして迎えた次の試合は?

規定ギリギリ(国内3戦以内)のエントリーで、またバンタム級新人王トーナメントにエントリーしてマイウェイジムの土橋義之(※13)選手に1ラウンド、パンチでダウン取られて、2ラウンド、左のパンチでダウンを取り返して、3ラウンド、微妙な具合で、結果、判定負けでした。んで、土橋選手はまたそのまま新人王を獲ってしまうというパターンで。

――負けた選手が全員強豪だとはいえ厳しい状態です。

そんで、沖縄に行くんっす。

――タイの次は沖縄修業ですか?

いやいや、修行に行くってよりか「ワイルドシーサー沖縄グループのジムで住み込み指導員しないか?」って誘いがタイにいる間、群馬からありまして、そこで決めていたんっす。

――タイ修行から人生大冒険が続きますね。

会社は辞めたけど、その後の当てもなんもないし、逆に「何でもできる」って根拠のない自信に満ち溢れてたんっすね(笑)。

――その渡沖から今まで沖縄ですか?

そうっす。そっから8年以上(笑)。

――来られたばかりの沖縄はどうでしたか?

タイからの流れだっただけに同じ南国で風土もなんもあんま違和感なく入り込めたっす。

――当時はどこに住み込みを?

今の天下一道場沖縄に引越す前の場所っす。真隣りのビルなんっすけど、そっちはジムがそのまま飲食可能なイベントスペースになって「天下一スタジアム」って名前でイベントを月いちペースで開催していたんっす。それが今のTENKAICHIシリーズの初期段階で。

――閑話休題ですが、こうして今もジムに住み込まれているのは、常勤しているタイ人トレーナーたちも一緒で、いつも生活はタイ人先生と一緒って不思議な環境ですよね?

っすねえ(笑)。もう愚痴を言い出せばきりがないほどストレスは溜まってますよ。でも、試合が決まったら朝練に付き合ってミットを何ラウンドでも持ってくれるとか、良いところだってあります。でもねえ、あり得ないエピソードだけは日に日に増えていくんだよなあ。

――あり得ないエピソード?

彼らは自給自足に近い生活をしていて、畑で野菜を育てたり、近くの海に釣りに行ったりしてるんっす。そんな料理が夕飯として振る舞われることも多くて、それはそれで助かるんっすけど、一度、何だかよく分からない固い肉を食わされたから何だろうと思ったら、亀なんっすよ。

――ウミガメ?

そこまでデカくなくて、お祭りの夜店で買ったミドリガメが大きくなったような大人の掌を合わせたくらいの大きさでした。釣れたってか、引っかかって獲れちゃったんでしょうねえ。

――まさにカルチャーギャップですね。

真夏にセミが台所にセミが迷い込んできたら、表情ひとつ変えないで捕まえて、そのまま油を敷いたフライパンでカラっと揚げて、そのままアツアツを美味しそうに頬張っていたりしますから恐るべきっす(笑)。

――では、話は戻って、沖縄初試合はTENKAICHIで?

そうっす。よく覚えてますよ。27歳の7月23日に沖縄に上陸して、すぐに我龍真吾(※14)選手とやったんっす。

――元日本ライト級王者でそこから階級を上げK-1 WORLD MAXにも出場し、ライトヘビー級に至るまで10本以上のベルトを巻いたあの“喧嘩師”ですか?

まあ、フライ級とミドル級じゃ公式戦には無理があるんでエンターテインメント性たっぷりなエキジビジョンマッチでしたけどね(笑)。ラスト30秒になったらちゃんと我龍タイムやったっすよ。そうそう、この試合から入場にも多少の工夫が入って、赤いアフロのかつらとグラサンを付けてDJ OZUMAのモノマネをしながらリングインしました。

――それは自発的に?

いやいや、都丸代表(※15)から言われて無理やりっす。

――しかし、それがローズ選手名物のダンス入場(※16)として続いていくのですね。

どうしてもやりたいわけじゃないけど、引っ込みつかなくなっちゃって(笑)。

――沖縄初の公式戦は?

そのまた次の月、9月に全沖縄(※17)バンタム級王座決定トーナメント準々決勝戦ってことになった試合で左ストレート一発2ラウンドKO勝ちっす。その次、準決勝戦、その次、決勝戦でも判定勝ちして全沖縄バンタム級王者になりました。

――勝ち星なしの連敗街道から一気に連勝でベルト奪取とは極端な話です。

ホントっすね(笑)。実は渡タイ前に占い師に見てもらったんっすけど、そん時は「南に行くと運気が上がる」と言われて、その通りになりました。

――それから?

全沖縄フェザー級チャンピオンと王者対決やって勝ちました。そんでMA日本フライ級ランカーになったっす。その次、薩摩サザ波(※18)選手に判定勝ち。

――あの長いリーチが曲者のテクニシャン、現MA日本フライ級王者の薩摩選手に勝利ですか!

その次もフェザー級の選手に勝って6連勝。全部、天下一スタジアムっす(笑)。

――渡沖して一気に勝ち越しとは、まさに粘りの勝利ですね。

けど、そこらへんから腰痛が日に日に激しくなって、そのせいでと言い訳したくはないけど、MA日本フライ級トップランカーのエリー隆司選手に判定負けで連勝ストップ。その次、炎出丸(※19)選手とRISEで初のRISEルール(※20)で判定負け。そして、加藤竜二(※21)選手と初対決で膝蹴りでアバラ折られてボロボロにされて判定負けの3連敗。

――それにしても強豪ばかりが相手、しかもまったくやったことのないK-1ルール系(肘打ちなし、首相撲制限あり)だったり、日本軽量級史上最強説さえある加藤選手だったりしたわけですね。

その次からは天下一スタジアムで勝って3連勝はしたんですが、その後、沖縄の赤雲會、朋史選手に膝蹴りで顔をカットされちゃってTKO負けしちゃいました。ホーム会場で格下に初負けで……それで思うところあって、全沖縄バンタム級タイトルは返上したんです。

――思うところとは?

それまで体重とかルールとかお構いなしに組まれるがままに試合しちゃってましたけど「自分の本分ってなんだろう?」って考えたら、それはやっぱり肘打ちありのムエタイルールで、目指すところはワイルドシーサーが加盟していたMA日本キックボクシング連盟のフライ級王座なんですよね。俺は「打倒ムエタイ」とか「世界王者になる」とか大風呂敷を広げて遠く遥かな夢に向かって直進するんじゃなくて、目の前の一歩一歩を踏みしめて、まずは一番手前の課題をクリアーしていくってコツコツタイプなんですよ。だから、原点に立ち戻ろうって。

――その決意で迎えた次戦は?

MA日本フライ級王座次期挑戦者決定戦で飛燕野島(※22)戦っす。

――そんな決意から即チャンスです。

けど、フルラウンドやるだけやったんですけど、判定2-1で負けてしまって……この時、初めて「(選手を)辞めよう」と思いました。

――それを踏み留まったのは?

その頃、MMAのパンクラスでランカーだった花澤大介さんと一緒に練習をしていて、MMA式のサーキットトレーニングとか階段ダッシュとかそれまでやったことない刺激をもらって「まだ強くなれる」って確信が得られたからっすね。

――迷いがなくなって、その先は?

加藤選手への挑戦権を賭けて始まったMA日本フライ級王座決定トーナメントでエリー隆司選手に2-0の判定負けっす。その次が勇児(※23)選手とドロー。その次、相模原ジムの松本圭一太選手に判定勝ち。これは久々の勝利って感じがして嬉しかったっすねえ。次がはまっこムエタイジムのハリー永田選手に判定負け。次が同じはまっこジムの古田恭人に判定勝ち、その次が薩摩サザ波選手と再戦で、これはクソみたいな試合しちゃって判定負け。

――凸凹しながらも調子は悪くなさそうです。

んで、その次に今も持っているTENKAICHI KICK バンタム級タイトルのベルトを巻いたんです。

――全沖縄バンタム級タイトル(TENKAICHIタイトルの前身)は返上したのに?

TENKAICHIタイトルという言い方をする前、このベルトは沖縄タイトルだったわけですが、群馬のワイルドシーサーグループの興行も合わせて地域限定にはしないってことでリニューアルしたのと、相手が活きのいい知花デビッド(今年4月、INNOVATIONバンタム級王座を奪取)選手なので強くていいなと。

――改めてタイトルホルダーとなってからは?

群馬でREBELSさんとの合同興行(※24)があって、そこではつまんなーい試合(KAZUKI戦)でドロー。その次はタイ以外で初の海外試合でカンボジアのカジノホテルで90戦以上している現地の人気者とやってドロー。これは自信になりました。その次、INNOVATION(※25)フライ級次期挑戦者決定トーナメント準決勝戦でダイナモ☆プチ選手に肘打ちでTKO勝ちして、決勝戦、勇児選手に飛び膝蹴りで倒して勝ち、すでにINNOVATIONフライ級王者に認定されていた加藤選手への挑戦権を得ました。

――ローズ選手の一番のライバルと目されていた勇児選手に大技でTKO勝利は驚きました。

絶好調かと思いきや、次の小笠原瑛作(※26)選手には何もできないで最後は5Rに肘で斬られてTKO負けっす。

――戦績は優秀ながらそれまでパッとしなかった小笠原選手がこの試合での初KO勝利から一気に開花していったような気がします。

自分がやった感じではキャリア中一番強かったのは彼っすね。ズバ抜けていました。

――前述のTENKAICHIとREBELS の合同興行で小笠原選手は加藤選手に飛び後ろ回し蹴りの大技で衝撃的な失神KO負けをしていますが、それでもですか?

小笠原選手っすね。加藤選手も「(小笠原とは)負けるからもうやらない」と冗談めかして言っていたみたいっすが、多分、それ本音っすよ。物凄いフィームー(※27)で触る事さえできないイメージっす。

――そこまでとは。

けど、その次、相当人生を賭けて臨んだTENKAICHI群馬興行、しかも会場は大箱(グリーンドーム前橋)で加藤選手のINNOVATIONフライ級王座に挑戦してKO負けなんっすよね。あの試合は倒れ込んだところに反則の蹴りを喰らって、それで半失神してしまったりするんっすが、まあ、なんとも良くない負け方でした。

――一番の目標にまたも届かず「辞めよう」とは?

すでにそう簡単に泣き言は言わないようなハートの強さだけは身に付きました(笑)。

――それから約1年前、TENKAICHI KICK フライ級王者、高坂侑弥(※28)選手と王者対決でドロー。高坂選手は、その後、急成長を遂げています。

ちょっとアゲチンな感じっすね(笑)。

――そして、前回の試合。昨年12月13日、加藤選手のタイトル返上(※29)を受けて勇児選手とINNOVATIONフライ級王座決定戦を戦います。

これまた何とも言えない試合でしたねえ。

――観戦していた某ベテラン記者が「パンチや蹴りそっちのけでほとんど肘打ちだけに終始する試合なんて初めて見た!」と言うほど壮絶な斬り合いが続き、第2ラウンド、秘策の大技、回転バック肘打ちが炸裂して痛烈なダウンを奪います。

まさに狙い通りっす!

――その後、同様の一進一退の斬り合いが続き、両者顔面斬り裂きまくって最終回の第5ラウンド、この試合5度目のドクターチェックが入り「肘打ちを放って裂けた肘の皮膚の裂傷」でTKO負けとなる珍しい結果となりました。ラスト1分で致命傷とは考え難い肘の負傷でドクターストップ。「骨まで見えていた(※30)」という証言もありますが、セコンドのタイ人トレーナーは、ドクターに掴みかからんばかりの勢いで猛抗議していました。

けど、タイ語だったんでドクター目が点だったらしいっすね(笑)。俺の為にまわりがいきり立ってくれるのはすっごい嬉しいっす。自分だって悔しいっすよ。けど、負けって決まったら負けしかない。だから理不尽だろうが納得いかなかろうが受け入れて前に進む方が建設的だなって。あの試合、練習もバッチリしたし、自分なりにやり切った感はあるんで、その点の自己満足では悪い気はしてないっす。

――……。

そうそう、あの時に出したバック肘は、対加藤戦用に開発していた取って置きだったんっすよ。もっと深く入って失神させるぐらいまでいけばよかったんっすよね。俺がまだまだ甘いっす。

――そして、驚きなのは、土曜日だったこの試合の翌日早朝6時、羽田空港から沖縄に帰っての日曜日、コザ・ミュージックタウン音市場のTENKAICHI興行で率先してバックステージスタッフの長として働かれていたことです。

まあ、それが条件でTENKAICHIが忙しい中、試合させてもらいましたから。ほとんど眠れずに沖縄戻って、テレビ解説ゲストの薬師寺保栄さんと山本KID徳郁選手を車で送って、会場で裏方やって、イベントの後片付けやって、道具を北谷本部まで持って行って……まったくもって長い1日でしたね(笑)。

――それを顔面や腕を何針も縫ってガーゼだらけになった状態でこなされていたと。

薬師寺さんにもKID選手にも「大丈夫ですか?」って気を遣っていただきました(笑)。

――そうやって常にニコニコとしながら話されていますが、普通できることではないと思います。

んん……意地っすかね? 自分に負けないって(笑)。

――不動心と表現していいものか、あまりにもローズ選手が飄々とされているだけに隠れていて解りにくい部分です。それは今度の試合の決定に関しても同様で、試合がいつ決まるか確定しない状態が春先から6月まで続いていました。これも普通なら集中力が途切れてしまいかねない苦痛だと思います。

まあ、なるようにしかならないっすからね(笑)。 

――そんなこんながありながら、いよいよ9月13日、沖縄で岩浪戦が決まったわけです。

楽しみだけど、岩浪選手、強いっすねえ。VTRも取寄せて見ましたが、自分の一番苦手なタイプ……フィームーの小笠原瑛作選手に似てるし。

――かなり悲観的な観測が?

相性は確実に自分にとって悪いです。けど、伊達に長くやってるわけでもないんで、色々と研究対策はしてます。小笠原選手に比べると●●●●●ではないし●●●の●●●●が苦手なわけではないからやりようもあるんっすよね。

――勝機は見据えておられる?

正直、勇児選手よりも俺にとっては数段上の相手っす。17歳って年齢からしても伸びしろを考えれば、まだまだ何倍も強くなるんでしょう。けど、ここで一旦、ベテランに絡め取られるって経験もしておくといいですよ。俺は「選手としてここで終わってもいい」と覚悟していきますから。

――インタビュー冒頭でも「人生の重み」で勝負すると言われていました。

改めて繰り返すと暑苦しくってなんか嫌ですけどね(笑)。自分、特定の哲学でも宗教でもなく勝手に信じていることがあって「何かを捨てないと何かを得ることができない」って思い込んでるんっす。

――岩浪戦で何かを捨ててかかりますか?

沖縄で8年間、シンプルなキック漬けの生活を脇目も振らず続けてきました。今年で35歳になったばかり。これまでありとあらゆるものを捨ててきた。それは言い換えれば断捨離ってことで、時間と共に沢山の経験をして、その中から多少未練があっても捨て去ってを繰り返して最後に残ったのが今の俺です。俺の半分も生きていない岩浪君にそんな人生の取捨選択をすることがまだそうあるわけもない。今は何でも吸収してスピードもパワーもテクニックも育っていく一方でしょう。けど、捨てる作業はしていない。する時期でもない。だからこそ、勝てるポイントが俺には見えるし、相手が強いのを認める半面、自信もあるんです。

――達人の悟りの境地のような?

いや、そんな、俺、まだまだっす。

――まだまだ?

そんな不動心とか悟りとか、まだ程遠いと思うんっすよね。

――どのあたりで?

今回、メインは廣虎さん(※31)じゃないっすか。もう彼とは長い付き合いで、二人でTENKAICHIとワイルドシーサーを創ってきた紛れもない戦友です。こうやって、セミとメインを闘えることも嬉しい。けど、反面、やっぱ悔しいっすよ。岩浪選手ほどの好ファイターを迎えての挑戦者決定戦でも廣虎さんの復帰戦を超えられないのかって。

――プロモーション側に両選手の上下を表そうとした意図があるようには思えませんが。

いや、それもよく解ってます。その上でそれを悔しいと思える自分も大切にしたいなって。これがある限り俺はまだ選手でいられる気がするんっす。

―――……。

これまで先輩や同僚や後輩や教え子、仲間なら誰が勝っても嬉しい半面、確かにジェラシーがありました。いや、そうだ、ひとつだけない試合があったっす。この前の田嶋さん(田嶋はる)(※32)の世界タイトルマッチ。

――5月31日、沖縄コンベンションセンターのダブルメインで16歳の若き世界王者、ドゥワンダーウノーイ・ルーククロンタンに強烈な肘打ち連打から顔面膝蹴りを打ち抜いて第5ラウンド失神KO勝利で沖縄発の格闘技女子世界王者のベルトをもたらした歴史的一戦のことですね。ローズ選手は、砂辺光久CROSS×LINE代表と共にセコンドにつき、それまで彼女のスパーリングパートナーも務めておられました。

他人の試合で初めて涙が出ました。不思議と羨ましいとか悔しいって気にはならなかったっす。素直に嬉しさで心が満ち溢れた。けど、それは女性のことだし自分と競技ジャンルは一緒でも交わることのない分別の壁があるからなのかもしれないっすね。

――その後に廣虎選手がタイの強豪、デッバンジョン・フェアテックスとの世界王座決定戦、肘打ちでダウンを奪われ眉間を裂かれてTKO負けしましたが、これについては?

残念っすよ。悔しくもある。けど、それとは別に「じゃあ俺が!」ってやる気も沸いてくる。もちろん、俺はまだ日本王者って言えるステージにも立っていないから、まだまだこれからなんですが。

――宿願のINNOVATION王者となったら次は世界?

いやあ、なんも考えてないっす(笑)。そこまで行けないとも思いたくないし、けど、そろそろ選手として終わり時だって気もする。

――大ベテランでおられますが引退も視野に?

もうとっくに終わってもいいはずだとも思います。けど、どんなに心の断捨離をしてもリングへの想いや負い続けてきたベルトへの未練は残るのだから逃げられません。

――ベルトを巻いたその後は?

一歩前しか見てないんですけど「自分のジムを持ちたい」って夢はあります。ずっとインストラクターとして一般会員さんもプロ選手も見てきました。なのにまだ心底他人を強くしようって思ったことはないんっすよね。いやいや、もちろん相手が誰でも一所懸命コーチはしますよ。けど、本物の指導者になるなら、まだ感覚的に違うなって。その世界に入門するにはあのベルトを獲らないと。そんなこだわりがあるんっす。

――王者になれなかった選手がチャンピオンメイカーになった例は、元王者よりも多いと思われます。

俺なりの本物になりたいっすからね。苦労は売るほどしてきたんで、今度はその末に目標を達成したって証が欲しいっす。そんであとは一歩一歩行けるところまで行ってやります!

――なるほど。

それが俺の「プロジェクトA」ならぬ「プロジェクトR」ってところっすかね(笑)。

リングネーム:ローズ達也
英語名:Rose Tatsuya
所属:ワイルドシーサー沖縄
生年月日:1980年6月28日
出身地:群馬県渋川市
身長:166cm
戦型:サウスポー
得意技:左ミドルキック
戦績:33戦14勝(3KO)14敗5分
ステータス:TENKAICHI KICK バンタム級王者、INNOVATIONフライ級1位

【2014年12月13日現在】

※1 もう2年も ローズ達也の沖縄における前回の試合は2013年9月8日、コザ・ミュージックタウン音市場でダイナモ☆プチに3ラウンドTKO勝利。

※2 群馬のTENKAICHI 格闘技イベント「TENKAICHI」創設者の都丸志功は、群馬県出身で約10年前に沖縄県に移住し、ワイルドシーサーコザを第1号店に県下5ジムまで支店を増やす最中、群馬でも4つのジムを運営している。それと同様に沖縄で創設したTENKAICHIシリーズ興行を群馬でも行い、沖縄のイベントナンバリングが今回(9月13日)で77回(スピンオフイベントを含めれば100回以上の開催)に対し、群馬は13回となっている。ちなみにTENKAICHI群馬の主力選手は、TENKAICHI KICK ウェルター級王者の中澤純やTENKAICHI KICK フライ級王者の高坂侑弥、TENKAICHI KICK スーパーライト級王者の畑孟など。

※3 名門・橋本道場 古くは“MAの暴君”森田晃允、“実践空手軽量級最強王者”山本隆治、“スーパーツインズ”山本佑樹と壮泰、最近では“チャラツヨ”加藤竜二、“居合パンチャー”町田光など国内最高峰のチャンピオンメイカーである東京都福生市に本部を構える空手&キックボクシング道場。タイ人トレーナーは皆無で橋本敏彦創始師範が一手に指導を行っている。

※4 頭文字D 「イニシャルD」と読む1995年から2013年まで『週刊ヤングマガジン』に連載されたしげの秀一作の公道レーサー漫画。日本中の峠の走り屋たちを虜にしたカリスマ的人気を誇る。

※5 UFC UFCことUltimate Fighting Championshipは1993年11月12日に第1回大会が開催されたMMA史上最大のプロモーション。現在では野球やアメフトに並んでアメリカのメジャースポーツの域に入りつつある。創設期はMMAのセオリーがまったくない時代で異種格闘技戦の色が濃く、ルールも素手で頭突きもありのほぼノールール状態で、もう二度とできない危険な香りに満ち溢れていた。

※6 チャンプア チャンプア・ゲッソンリット。“白い巨象”と呼ばれたムエタイ重量級選手で速く重い左ミドル一本で戦い抜く男らしいスタイルでK-1に一時代を築いた名選手。元々はルンピニースタジアム認定ウェルター級4位が最高位で普段の体重も70kg程度だったが、ヘビー級選手がほとんどいないムエタイ界において金看板を背負ってK-1ヘビー級の世界に身を投じ数々の名勝負を繰り広げた。

※7 K-1 WORLD MAX 2002年にそれまで重量級のみだったK-1に70kgリミットで魔裟斗をエースにTBS放映で新設した中量級シリーズ。アルバート・クラウス、アンディ・サワー、ブアカーオ・ポー・プラムック、ジョルジオ・ペトロシアンなどのワンデイトーナメントによる世界王者を生み出した。

※8 マッハ!!!!!!!! 2003年、タイで制作された超絶アクション映画。主人公役のトニー・ジャーは「CGを使いません、ワイヤーを使いません、スタントマンを使いません、早回しを使いません、最強の格闘技ムエタイを使います」のキャッチフレーズの通り小細工なしに凄まじいスタントをしてのけた。その特色は、古式ムエタイの奥義がちりばめられつつ、テコンドーなど色々なテイストがハイブリッドされている。

※9 健太 群馬県出身のキックボクサー。プロデビュー時はワイルドシーサー群馬所属だったが、大学進学で上京するにあたりE.S.Gに移籍し、WBCムエタイ日本ウェルター級王者、Krush -70kg級王者、NJKFウェルター級王者、NJKFスーパーウェルター級王者となった。佐藤嘉洋を破った男として名を上げ、日焼けしまくったキレキレマッチョボディを誇示する“褐色のナルシスト”として現在も活躍中。

※10 MA日本キックボクシング連盟 かつてはワイルドシーサーグループも加盟していたキックボクシング団体。1985年に旗揚げされ、当初は小沢一郎がコミッショナーを務め、ほとんど日本のキック界を統一していたが、分離して全日本キックボクシング連盟ができるなど無数の離合集散を繰り返しながら現在に至る。ちなみにワイルドシーサー沖縄と群馬のグループは、INNOVATIONが分離設立されて時点でそちらに移籍している。

※11 久保賢司 RISEバンタム級王者、NJKFフライ級王者、WPMO世界フライ級王者となったキックボクサー。兄は日本中量級最高の王者の一人、久保優太。K-1などでも活躍していたが、2012年にプロボクシングに転向。

※12 セーンモラコット バンコクに居を構えるムエタイの名門ジム。

※13 土橋義之 マイウェイジムに所属する39歳のベテラン選手。MA日本バンタム級新人王となったが、その後はこつこつとランカー選手として試合を重ね、今年7月22日、蹴拳ムエタイ・バンタム級暫定決定戦で勝利しベルトを巻いた。

※14 我龍真吾 “喧嘩師”と呼ばれK-1でも活躍した破天荒ファイター。当初は鷹山真吾のリングネームで日本ライト級王者(新日本キックボクシング協会)となり、所属していた尚武会を離れてフリーになるとJ-NETWORKウェルター級王者となり、自身が会長と務めるファイティングマスターを構えて、ありとあらゆるプロモーションで活躍。M-1など合計10つ以上のベルトを獲得した。城戸康裕を破るなど実力者でもあったが、私生活で事件を起こしニュースになるなどして徐々に業界からフェードアウトしていった。

※15 都丸代表 TENKAICHIプロデューサー、都丸志功。約11年前に沖縄に移住しコザにキックボクシングジム「ワイルドシーサー」を設立。更には格闘技プロいモーション「TENKAICHI」シリーズを立ち上げ、ジムは現在、沖縄に5つ、群馬に4つの日本最大級のグループとなっている。

※16 ローズ選手名物のダンス入場 派手な扮装でダンスパフォーマンスを行うローズ達也の入場はもはや名物化している。2700のネタ「右ひじ左ひじ交互に見て」のコピーは得意の肘打ちをリズムに乗せたキレが尋常ではなく秀逸。お笑いが大好きなローズはモンスターエンジン西森の「鉄工所ラップ」を模した入場をしたこともあったが、これは誰にも伝わらず大スベリしたという。9月13日ももちろん何か考えているらしく、その点にも注目だ。

※17 全沖縄 TENKAICHIプロモーションが制定するチャンピオンシップとランキングは、当初、沖縄限定のものであり、それ故、全沖縄タイトルと銘打たれていた。現在は、群馬で行われているTENKAICHIタイトルもあり、ルールもキックボクシングとMMAの2つを定め拡大化している。

※18 薩摩サザ波 TARGET所属の軽量級ベテランテクニシャン。その名の通り鹿児島県出身。フライ級やスーパーフライ級のランキングで常に上位にい続けている実力者。今年2月11日にとうとうMA日本フライ級王者となった。現在は「薩摩3373」に改名している。

※19 炎出丸 クロスポイント吉祥寺所属の元J-NETWORKスーパーバンタム級王者。沖縄出身でワイルドシーサー沖縄に入門し、ここでプロを2戦経験している。首相撲からの膝蹴りが得意で“地獄のヒザ”の異名を持つ。

※20 RISEルール 厳密には細かく改訂されているが、肘打ちを禁止とし首相撲の攻防を制限したK-1系ルールとなっている。つまりローズ達也が最も苦手とするルールでもある。

※21 加藤竜二 日本のフライ級で獲得可能な一流のベルトを独占し“チャラツヨ”のニックネームで旋風を巻き起こした橋本道場所属のキックボクサー。幼いころから鍛錬してきた空手をベースに後ろ回し蹴りやバックキックでKOを量産する。パンチでは「空手からキックに転向するのでパンチの練習」と高校でアマチュアボクシングを行うと次々と勝ち上がりインターハイに出場。アマボクで負けたことがあるのは井岡一翔と岩佐亮佑の世界王者級が相手のみ。江幡睦との日本軽量級最強決定戦が待ち望まれるが、昨年、瀕死の重傷を負った大事故に遭いリタイア中。

※22 飛燕野島 契明ジム所属の元MA日本フライ級王者。一撃必倒の左フックを武器に伝統のMA日本フライ級の高レベルを保つ役目を担った。

※23 勇児 HOSOKAWAジムを長らく牽引するINNOVATIONフライ級王者で東北キック界のエース。フライ級に満たない小兵ながら、分身の術でも使うかのような高速フットワークと飛び技でリングを縦横無尽に跳ね回り奇想天外な大技を使いこなす。MA日本フライ級王者、UKFインターナショナルフライ級王者、WPMF日本フライ級王者、UKF日本フライ級王者に輝いたベルトコレクターでもある。ローズ達也とは3戦1勝1敗1分のライバル。

※24 REBELSさんとの合同興行 2013年6月9日、ニューサンピア高崎(群馬県高崎市)で行われた「ZOUKA presents TNK1 feat. REBELS」のこと。メインは健太が凱旋マッチとしてUMAに勝利し、加藤竜二が小笠原瑛作に凄まじいKO勝ちを収めた。大型会場で大規模な演出を行った画期的なイベントとなった。

※25 INNOVATION Japan Kickboxing Innovationの略称。2013年にMA日本キックボクシング連盟から橋本道場を中心とする過半数を超えるグループが大量離脱し設立された新団体。加藤竜二、宮元啓介、町田光、山口裕人、田中秀和など個性豊かなチャンピオンが所属する。ワイルドシーサー沖縄と群馬もここに所属している。

※26 小笠原瑛作 クロスポイント吉祥寺所属のREBELS 52.5kg級王者、Muay Thai Openスーパーフライ級王者、元REBELS-MUAYTHAIフライ級王者。少年時代から天才選手として注目されデビューから9連勝無敗で最初のベルトを巻いた。未だ成長止まず将来が嘱望されるスーパーホープ。

※27 フィームー ムエタイ用語で「万能型」の意。相手の攻撃を見切り、カウンターを主として華麗に相手を翻弄するセンスと才能が十分でなければ貫けない甲難易度のスタイル。

※28 高坂侑弥 ワイルドシーサー群馬所属のTENKAICHI KICK フライ級王者。デビュー当初から才能溢れる機敏な動きで注目され、TENKAICHIタイトルを獲得後、二冠王の実績を持つ強敵、隼也ウィラサクレックを相手に堂々と防衛に成功し、現在も急成長中の一番星。空手ベースでもあり胴回し回転蹴りなどの大技を得意とする。

※29 加藤選手のタイトル返上 昨年秋、20m近い崖に落ちる大事故に見舞われ、ICUで生死の境を彷徨った加藤は、復帰戦の見込みも立たない為、保持するタイトルを返上した。

※30 骨まで見えていた 試合中における裂傷でドクターストップがかかるケースは出血量よりも傷の深さであり、これが骨膜まで達していると深刻な二次感染を引き起こしかねない為に危険とする場合が多い。

※31 メインは廣虎さん 9月13日の「TENKAICHI 77」のメインイベントは“オキナワンタイガー”廣虎の復帰戦でブラジルから滞日するトム・サントスとの一戦が決定している。

※32 田嶋はる “日本最強美女”と謳われるほどの美貌を誇る日本キックボクシング界のクイーン。WPMF日本女子アトム級王者、J-GIRLSミニフライ級王者だったが、今年5月31日、沖縄コンベンションセンター展示棟における世界戦で見事KO勝利しWPMF世界女子ミニフライ級王者となった。階級が近いことからローズ達也がオーソドックスで構えて相手のコピーをしてスパーリングパートナーを務めた。この試合で第1ラウンド終了後のインターバルで田嶋は「達也さんより弱いので大丈夫です!」と会話したとのこと。

■ TENKAICHI 77
日時:09月13日(日)  本戦開始・16:00
会場:沖縄 コザ・ミュージックタウン音市場

<メインイベント ミドル級(72.6kg) 3分3回戦(延長1R) TENKAICHI KICK ルール>
廣虎[ヒロト](ワイルドシーサー沖縄/WPMF世界スーパーウェルター級5位、WPMF日本スーパーウェルター級王者、WPMF日本ミドル級王者、元TENKAICHIミドル級王者、元INNOVATIONスーパーウェルター級王者、元CMA KPW ミドル級王者)
vs.
トム・サントス(ブラジル/チーム・ブラジリアンタイ/ファイトドラゴン70kg級王者)

<セミファイナル INNOVATION次期フライ級(50.8kg)王座挑戦者決定戦 3分5回戦(延長1R) WBCムエタイルール>
vs.
ローズ 達也(ワイルドシーサー沖縄/INNOVATIONフライ級1位、TENKAICHI KICK バンタム級王者)
岩浪 悠弥(橋本道場/INNOVATIONフライ級3位)

<ミドル級(72.6kg) 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI KICK ルール>
マーカス・スミス(天下一道場沖縄/TENKAICHI KICK ミドル級2位)
vs.
杉田裕希(天道會/元SKKBミドル級王者、元GLADIATORスーパーミドル級王者)

<ヘビー級 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI MMA ルール>
大番“℃-BOY”高明[オオバン・シーボーイ・タカアキ](パラエストラ広島/GLADIATOR ヘビー級王者)
vs.
井上 俊介(フリー)

<フェザー級(57.15kg) 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI KICK ルール>
真夜(SHIMAZILIANS/TENKAICHI KICK フェザー級6位)
vs.
我那覇 友麻(赤雲會/TENKAICHI KICK フェザー級7位)

<ライト級(61.3kg) 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI KICK ルール>
E.D-MTK[エレクトロダンスモトキ](reversaL Gym OKINAWA CROSS×LINE/TENKAICHI KICK スーパーライト級5位)
vs.
稲嶺 徹(神風塾/TENKAICHI KICK ライト級7位)

<フライ級(56.7kg) 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI MMA ルール>
塩浜 康太(reversaL Gym OKINAWA CROSS×LINE /TENKAICHI MMA バンタム級4位)
vs.
末吉 竜馬(Theパラエストラ沖縄)

<ミドル級(72.6kg) 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI KICK ルール>
Tomo(天下一道場沖縄/TENKAICHI KICK ミドル級5位)
vs.
ムスタファ・ザザイ(ワイルドシーサーコザ)

<スーパーライト級(63.5kg) 3分2回戦(延長Rなし) TENKAICHI KICK ルール>
リュウイチ(神風塾)
vs.
ハマジン(team HAMAHIGA)

この他、プロ3試合、アマ8試合を予定。

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