トップ画像:photo by Mike Lano
2024年は大谷翔平で始まり、大谷翔平で終わったと言っても過言ではない。
ロサンゼルス・ドジャースに移籍、結婚、愛犬デコピンの存在、通訳の不祥事、2年連続ホームラン王に打点王の二冠王、トリプル・スリー(打率3割、30本塁打以上、30盗塁以上)にメジャー・リーグ史上初となる50-50(50本塁打、50盗塁)の達成、極め付けはリーグ優勝およびワールド・シリーズ王者にも輝いた。
今年の秋は奇しくも日米で首長が代わったが、もし日本の首相がアメリカの大統領のように国民投票によって選ばれるのならば、大谷が立候補すれば文句なく内閣総理大臣になるだろう。
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これだけある、大谷翔平と大仁田厚の共通点
プロレス界にも大谷翔平に似た男がいる。それが大仁田厚だ。
「どこがやねん! オータニとオーニタという、1字ひっくり返しただけの苗字以外は全然違うやろ。愛されキャラの大谷と憎まれキャラの大仁田。王道の大谷と邪道の大仁田では真逆や!!」
という声が聞こえてきそうだが、そうとばかりも言えない。
大谷のプレー・スタイルは王道のように見えるが、そもそも二刀流なんて邪道。専門化が進んだ近代野球で投手が打者を兼任するなんて、大谷は異端児もいいところだ。
その二刀流も、今年は肘の故障のため投手は断念したが、大仁田だって膝を骨折して最初の引退をしている。肘と膝の違いがあるとはいえ、故障による一時的なリタイアも両者の共通点だ。
バットを武器としているのも共通項と言えるだろう。ただ、大谷が使用するのはメープル材の木製バット、大仁田が振り回すのは有刺鉄線電流爆破バットという違いはあるが。
さらに、大谷がバットで打つのは野球の硬球、大仁田がバットで叩くのは相手レスラーという点では全く違う。
知名度という点でも両者は似ている。石破茂の名前は知らなくても大谷翔平は知っているという人は多いだろう。
現役プロレスラーで断トツの知名度を誇るのが大仁田だ。長州力も知名度はあるが既に引退しているし、大仁田は一般人にも知られている唯一の現役プロレスラーと言えるだろう。
大仁田厚の二刀流、プロレスラーと政治家だけではない
もう一つ、大仁田厚が大谷翔平と似ているのが二刀流という点だ。大谷は投手と打者という同じ競技内での二刀流だが、大仁田の場合はプロレスラーと政治家という全く違う分野なので、大仁田の方が大谷よりもスケールは大きいと言える。
しかも大仁田は、大谷と同様に同じ競技内、即ちプロレスの中でも二刀流を演じているのだ。
大仁田の代名詞と言えばデスマッチ。つまり、プロレスでは邪道と言われるジャンルだ。
だが、大仁田のプロレス・キャリアが始まったのは、王道中の王道と言われる全日本プロレスのリングである。要するに、大仁田のプロレスは王道と邪道の二刀流というわけだ。
大仁田は全日本プロレスの新弟子第1号。全日が旗揚げしたのは1972年10月で、大仁田が入門したのは翌年の1973年だった。
もちろん、この頃の大仁田はデスマッチのデの字も無縁で、極々普通のレスラーである。格闘技経験もなく、まさしく叩き上げのプロレスラーだ。この点では、強豪の花巻東高校出身で甲子園に2度出場し、北海道日本ハム ファイターズからドラフト1位指名を受けた超エリートの大谷とは大きく異なる。
何しろ、当時の全日はエリート主義。叩き上げレスラーが出世の見込みなどほとんどなかった。
しかも、全日の総帥・ジャイアント馬場は『プロレスラーは大きな体でなければならない』という思想の持主。身長が180㎝そこそこで、体重も100㎏に満たない大仁田は、良くて中堅レスラー止まりと思われた。
ところが、全日のライバルである新日本プロレスに登場したジュニア戦士の初代タイガーマスク(佐山聡)が大人気を博し、それに対抗しようとしたのか大仁田にもチャンスが与えられ、アメリカでチャボ・ゲレロを倒してNWAインターナショナル・Jr.ヘビー級チャンピオンとなる。
この試合は日本でも放送され、無名レスラーだった大仁田が大ブレイク。絵に描いたようなシンデレラ・ボーイである。
とはいえ、この頃の大仁田のファイト・スタイルは、ハッキリ言って地味。Jr.ヘビー級でありながら、タイガーマスクのような華麗な空中殺法もなく、後にド派手なファイトを展開する大仁田とは程遠かった。
そして、チャボの弟であるヘクター・ゲレロとの試合後にリング下へ着地した際、左膝を粉砕骨折してしまい、それが元で1984年に最初の引退を余儀なくされる。
しかし、プロレスを忘れられない大仁田は4年後の1988年にプロレスラー復帰、翌1989年には新団体FMWを設立した。
その後の大仁田のことは説明不要だろう。膝の故障により、まともなレスリングが出来なくなった大仁田は、デスマッチ路線に活路を見出す。あまりの残酷なファイトぶりが話題を呼び、大仁田は一般人にも知られる超人気レスラー(アンチを含む)となった。
もし、膝の怪我がなくてそのまま全日に居続けていたら、大仁田はどうなっていただろうか。ジュニア戦士としては、二代目タイガーマスクとなる三沢光晴が台頭したので、大仁田は地味な中堅レスラーとしてキャリアを終えていたかも知れない。
そうなっていれば、大仁田はデスマッチ路線には走らなかっただろうし、日本のプロレス史は大きく変わっていた可能性がある。そして、大仁田は現在のような知名度は得られず、当然のことながら参院選に出馬することもなかっただろう。
大谷も今年は肘の手術もあって打者に専念したことが、メジャー・リーグ初の50-50に繋がった。つまり、怪我が幸いしたことも、大谷と大仁田は似ていると言えよう。
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