[週刊ファイト12月28日-新春号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼日本プロレスリング連盟が遂に発足! 高まる期待と不安
by 安威川敏樹
・プロレス界にも存在した協会とコミッショナー。だがその実態は……
・1980年前後のプロレス黄金時代、なぜ統括組織が生まれなかった?
・一本の線で繋がるプロレスラーの安全対策・待遇改善・社会教育
・日本プロレスリング連盟が過去の過ちを犯さないために
・「あの人は受け身が取れない」という言葉はダブーとせよ
日本プロレスの父・力道山の命日である12月15日、日本プロレスリング連盟の設立が発表された。来年(2024年)の5月6日には、同連盟の主催による記念興行を東京・日本武道館で行う予定だという。
筆者は本誌で、プロレス界に統括組織がないことを問題視してきた。各団体がバラバラで、無秩序な状態が続いていたからだ。しかし、それを解消するために同連盟が発足された。
それだけに、同連盟に対する期待は大きい。と同時に、不安があるのもまた事実である。
力道山プロモーション宣材より
プロレス界にも存在した協会とコミッショナー。だがその実態は……
今回、日本プロレスリング連盟に参加を予定しているのは以下の9団体だ。
●新日本プロレス
●全日本プロレス
●プロレスリング・ノア
●DDTプロレスリング
●ガンバレ☆プロレス
●大日本プロレス
●DRAGONGATE
●スターダム
●東京女子プロレス
これは男女の垣根を越えて、主要団体が集まったと言ってよい。同連盟が発展して加盟団体が増えれば、プロレス人気復活の起爆剤になることも考えられる。
これまでも、日本にはプロレスの統括組織を作ろうとした動きはあった。力道山が発足させた日本プロレス協会もその一つだ。
しかし、すぐに木村政彦が国際プロレス団を結成(後のラッシャー木村らの国際プロレスとは無関係)。さらには山口利夫も全日本プロレス協会を設立した(現在の全日本プロレスとは無関係)。
この頃の日本プロレス界にはコミッショナーが存在し、さらに各団体を統括する、今回発足された連盟と同名の日本プロレスリング連盟まであったのだ。
この連盟は、各団体のレスラーが出場したウェイト別日本選手権まで主催している。
ただし、この時の連盟の実態は、力道山が他団体を制圧するために発足されたもので、実際に国際プロレス団(この頃はアジア・プロレス協会に改称)や全日本プロレス協会(この頃は山口道場に改称)は消滅した。
その後、日本プロレスリング連盟もいつの間にかなくなり、日本のプロレス団体は事実上、力道山の日本プロレスのみになったのである。
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力道山の死後も、コミッショナーと日本プロレス協会は存在し続けた。豊登道春がアントニオ猪木と共に東京プロレスを設立、吉原功が国際プロレスを結成してもコミッショナーおよび日本プロレス協会は両団体を認可団体とは認めなかった。認可団体としたのは、日本プロレス興行(日本プロレスの興行部門)だけだったのである。
要するに、この頃のコミッショナーは、日本のプロレス界のためにあったわけではなく、日本プロレス(協会と興行)のためだけに存在していたのだ。
その後、アントニオ猪木が新日本プロレスを設立、ジャイアント馬場が全日本プロレスを創設すると、日本プロレスは興行を続けられなくなり、日本プロレス興行および日本プロレス協会は崩壊。それと同時にコミッショナーも消滅した。
これでは、何のためのコミッショナーや協会だったのか判らない。早い話が、コミッショナーや協会という名称など単なるお飾りで、実態はプロレス界の統括組織とは程遠かったのである。
1980年前後のプロレス黄金時代、なぜ統括組織が生まれなかった?
日本プロレス崩壊後、日本の男子プロレスは全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレスの3団体時代となった。以降、この体制は約10年間も続くことになるが、統括組織が結成されることはなかったのだ。
ただし、コミッショナーが選出されたことはあった。とはいえ、これは新日と国プロのみが認めたコミッショナーで、全日はないがしろ。そして、1981年に国プロが崩壊して、コミッショナーも自然消滅する。