[ファイトクラブ]集中砲火を浴びてあっけなく沈没したSWS~消えたプロレス団体

[週刊ファイト6月15日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼集中砲火を浴びてあっけなく沈没したSWS~消えたプロレス団体
 by 安威川敏樹
・不況のプロレス界に突如現れた黒船、好景気のメガネスーパー
・ターザン山本編集長とG馬場がタッグを組み、SWSを追い詰める
・バブルが弾けてSWSも弾ける
・プロレスラーにあるまじき暴言「八百長野郎!」
・田中八郎社長が知らなかったプロレスの現実
・SWSに通じる、戦艦大和の悲劇


『消えたプロレス団体』を考察するうえで、絶対に外せない団体がSWSだ。普通、プロレス団体を興すとき、最も頭を悩ませるのが運営費用である。大抵の新団体が資金繰りに苦しみ、場合によってはすぐに潰れることも珍しくはない。
 ところが、この法則に当てはまらないプロレス団体があった。それがSWSだ。SWSが発足した時、老舗団体の新日本プロレスや全日本プロレスが羨むほどの潤沢な資金があったにもかかわらず、僅か2年であっけなく崩壊する。

 SWSの失敗により、大企業はプロレスに手を出そうとしなくなった。そのため、プロレス界は他のスポーツに比べて20年は遅れた世界になってしまったのである。

▼ガラスのように脆く砕け散ったUWF~消えたプロレス団体

[ファイトクラブ]ガラスのように脆く砕け散ったUWF~消えたプロレス団体

不況のプロレス界に突如現れた黒船、好景気のメガネスーパー

 SWSが発足したのは1990年5月、旗揚げは同年9月だ。当時の日本はバブル景気に沸いており、社会全体が浮かれていた。
 SWSの親会社はメガネスーパー。バブルでの利益を還元しようとしたわけだ。SWSとは『(メガネ)スーパー・ワールド・スポーツ』の略で、真ん中の『W』はレスリング(Wrestling)ではない。つまり、スポーツ事業の一環としてSWSを発足したのだ。ゆくゆくは他のスポーツにも手を広げようとしていたのである。

 しかし、最初に手を染めたスポーツが悪かった。何しろ、煮ても焼いても食えないプロレス界だ。もし、プロレス以外のスポーツから始めていれば、メガネスーパー・ワールド・スポーツは順調に成長していたかも知れない。
 つまり、SWS事件はプロレス界のみならず、日本のスポーツ史をも変えてしまった可能性があるのだ。もしそうだとすれば、プロレス界は罪作りなことをしたものである。

 メガネスーパーがSWSのエースとして白羽の矢を立てたのは、当時人気絶頂だった全日本プロレスの天龍源一郎。メガネスーパーにとって、タイミングも良かった。天龍は、ドル箱カードだったジャンボ鶴田との対決に行き詰まりを感じていた時期で、さらにファイト・マネーもあまり上がらず、全日本プロレスの核となっていた天龍同盟もちょうど解散した頃だったのだ。
 そんな時に、メガネスーパーから是非あなたが必要だと言われる。天龍の心が揺らぐのは当然だろう。もし、鶴田との抗争が絶頂期で、天龍にとって最高のパートナーだった阿修羅・原が健在なら、メガネスーパーからの誘いは断っていたのではないか。原はこの1年半前に、私生活の乱れを理由に全日本プロレスを解雇されていた。天龍は心の拠り所を失っていたのだ。

 天龍がSWSに引き抜かれると、好待遇に釣られて全日本プロレスを退団するレスラーが続出し、次々とSWSへ移籍した。全日に残ったのはジャンボ鶴田以外では、三沢光晴ら若手とメインから退いたベテランだけになってしまい、全日本プロレスは創業以来の大ピンチとなる。
 新日本プロレスはメガネスーパーの動きを察知し、いち早く引き抜き防止工作を行ったため被害は最小限に食い止めたが、それでもジョージ高野と佐野直喜(現:巧真)がSWSに移籍した。

 現在ほどの多団体時代ではなく、当時の男子プロレスは全日本プロレス、新日本プロレス、UWF(第二次)に、インディー団体のパイオニア戦志やFMW、ユニバーサル・ プロレスリングぐらい。
 それまでのプロレス団体は、エース・レスラーかレスラー経験者が社長を務めることがほとんどだった。例外はUWFぐらいだが、それだって大資本がバックに付いていたわけではない。第一次UWFの浦田昇社長は先輩の新間寿に頼まれて仕方なく社長を引き受けたに過ぎず、第二次UWFの神新二社長は元々新日本プロレスの社員だった。

 そんな中で、大手眼鏡産業のメガネスーパーがプロレス経営に乗り出したのだ。この頃の全日本プロレスや新日本プロレスは、テレビ定期放送がゴールデン・タイムから撤退し、放映権料が激減していた。UWFやFMW、ユニバーサル、パイオニア戦志にはテレビ中継すらない。バブル景気に沸く一般社会とは対照的に、プロレス界は不況を迎えていたのだ。
 大企業のプロレス界進出に、他団体は『黒船襲来』と大騒ぎになる。このまま、我々の団体もメガネスーパーに乗っ取られるのではないか、と。

 そんな中で、雄々しく立ち上がった男がいた。週刊プロレスのターザン山本編集長である。

ターザン山本編集長とG馬場がタッグを組み、SWSを追い詰める

 新団体SWSを『金権プロレス』と呼び、週刊プロレス誌上で徹底批判したターザン山本編集長。アメリカではプロレスラーが好待遇の団体にジャンプ(移籍)するのは当たり前のことだが、ターザン山本編集長は『カネよりも義理人情が大切』という日本人の正義感を煽った。
 これにより、誰よりも男気があると評価されていた天龍源一郎は一転『カネで恩師のジャイアント馬場を裏切った男』というレッテルを貼られ、人気が急落してしまう。もっとも、ターザン山本編集長自身が馬場からカネを受け取り、SWSバッシングを行った『金権編集長』だと後に告白しているが。

 SWSは単にレスラーのファイト・マネーだけが良かったのではない。レスラーたちの保障も充実していた。
 だがこれも、宵越しの銭を持たないプロレスラーこそ魅力的、という当時のファンから総スカンを食ってしまう。プロレスラーはサラリーマンではない、と。
 新団体を設立するなら、UWFの前田日明のようにファイト・スタイルやイデオロギーが理由であって欲しい、とファンは願っていた。カネや将来の保障が理由で、育ててもらった団体に後足で砂をかけて出ていくなどもってのほか、という感情である。

 しかし、保障面やセカンド・キャリアなどの問題は、プロレス界が最も遅れていた部分だ。SWSを設立する5年前、プロ野球(NPB)では労働組合日本プロ野球選手会が発足されている。プロ野球選手会は、オーナー側に様々な待遇改善要求を行い、実現させてきた。
 だが、プロレス界は他のスポーツに比べると遅れていると言わざるを得ない。現在ではメジャー団体はSWSと同じく他企業の子会社となっているのでまだマシだが、インディー団体となると悲惨で、何の保障もないのである。

 当時はまだ、保障面での意識が薄かったとはいえ、『金権』の2文字で最も大事な部分をないがしろにされたのは非常に残念だ。冒頭で『プロレス界は20年遅れている』と書いたのはそのためである。そもそも、こんな引き抜き事件が起きるのは、プロレス界に秩序がないからだ。
 それに、日本のプロレスラーが他団体にあまり移籍しないのは、義理人情が理由ではないだろう。トップ・レスラーが他団体から好待遇を提示されて引き抜かれようとしても、移籍した後で現在の地位を保てる保証はどこにもない。それならば、安定したギャラとポジションを約束された現在の団体に留まった方がいいわけだ。移籍するのは、あまりにも安いギャラか、不当な扱いを受けた場合である。天龍は、全日本プロレスを活性化させたにもかかわらず、ほとんどギャラは上がらず、また会社が自分を認めてくれているか疑問に感じたから好待遇のSWSに移籍した。

 天龍がジャイアント馬場に退団を申し出た時、馬場は天龍に、お前を社長にするから、と言って引き留めたという。しかしこれは、あまりにもムシが良すぎる話だった。天龍がそんなに大事なら、それまでにキチンと評価しておけば良かったのだ。だが馬場は、天龍に辞めると言われたので慌てて社長の座を譲る、とエサをぶら下げる。
 もちろん、天龍は断った。天龍が社長になれば、間違いなくジャンボ鶴田と軋轢が生まれるだろう。天龍は鶴田との一戦に敗れた後、全日本プロレスに別れを告げた。

バブルが弾けてSWSも弾ける

 もっとも、ターザン山本編集長の指摘が全て間違っていたわけではない。SWSのレスラーたちには、あまりにも理念がなさ過ぎた。理想のプロレスをやりたかったわけではなく、保障面を考えたわけでもなく、単に目の前の現金に釣られた連中がほとんどだったのだ。

 SWSは、大相撲のような部屋別制度を採り入れた。全日本プロレス天龍同盟系の『レボリューション』(道場主:天龍源一郎)、全日本プロレス正規軍系の『道場・檄』(道場主:将軍KYワカマツ)、新日本プロレス系の『パライストラ』(道場主:ジョージ高野)の3つである。
 だが、この部屋別制度も結局は派閥を生み出しただけだった。特にレボリューションvs.檄&パライストラ連合軍がお互いの利益を巡って激しく対立。これが後の崩壊劇に繋がる。

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