[ファイトクラブ]ブレット・ハート80’s WrestleConキラー・ビー再会 ドリーjr レイ・ラニ・カイ

[週刊ファイト5月25日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ブレット・ハート80’s WrestleConキラー・ビー再会 ドリーjr レイ・ラニ・カイ
 photo by George Napolitano 編集部編
・ウェンディ・リヒター&レイ・ラニ・カイなぜTop画像?初回Wマニアの頃
・規模が桁違いグッズ物価高騰米でもフィギュア$15なので日本より安い
・ハーベイ・ウィップルマンと究極Jobberブルックリン・ブローラー健在
・現CAC重鎮ブライアン・ブレアとジム・ブランゼルのキラー・ビーが再会
・ドリー・ファンク・ジュニア 仕切り屋マーティ夫人は新たな女帝襲名か?
・キャラ強し!コンベンションでは必ず呼ばれるサージェント・スローター
・ロシア出身ならぬ米国人・怪力ニキタ・コロフと車椅子参加マグナムTA
・マニー・フェルナンデス トミー・リッチ マーティ・ジャネッティ ファン集団
・Midnight Expressランディ・ローズ&デニス・コンドリー ランディ偽超人
・スティーブ・カーン著作本Mr.ヒューズ パパシャンゴ ジェリー・ブリスコ
・トニー・アトラス ヴァル・ビーナス Headbangersスラッシャー&モッシュ
・意外にもDr.デビッド・シュルツを称えていた主役のブレット・ハートさん
・相棒亡くすも俺生きていると様々な写真に納まるBushwhackerルーク
・オマケ特写Ax(ビル・イーディ)&Smash(Cクルスチェフ)=デモリッション


ウェンディ・リヒター&レイ・ラニ・カイなぜTop画像?初回Wマニアの頃
パワー・オブ・ペインなどの名義を使い分けたウォロードとバーバリアンに挟まれたレイ・ラニ・カイと、ウェンディ・リヒター

 5月18日号がゴールデン・ウイーク特集だったせいで、先週号が壮絶なボリュームになってしまい次号以降回しになった1つに、ニュージャージー州モリスタウンで開催された『80’s WrestleCon 4』がある。こちらはWWEが公認しているイベントであり、なんとホッケー会場としてもニューヨーク/ニュージャージーの住人には馴染みのある大きなメネン・スポーツ・アリーナにて、朝の10時から夕方4時まで、もの凄い数のスーパースターたちを招いて開催された。

 本誌はジョージ・ナポリターノ記者を派遣。とはいっても、全部の時間張り付いているわけにもいかず、「帰ったあとに●●が来たとか、午前中だけ△△が来ていた」とあとから聞くのだが、撮れた分だけでもあまりも枚数が多すぎて、正直、なにかニュースがあった際のストックにしておくしかない。

 主役のブレット・ハート、相棒のブッチ・ミラーこそ4月3日に78歳で亡くなったばかりなものの、ニュージーランド出身ザ・ブッシュワッカーズのルーク・ウィリアムス(76歳)が元気なところを見せたのは後半にたっぷり紹介として、さてトップ画像を誰にしようかと悩んだ。
ファンによって思い入れのある選手は違うだろうし、ドリー・ファンク・ジュニアとマーティ夫妻も来ていたりしたのだが、週刊ファイトにとっては現地で取材していたウェンディ・リヒターとレイ・ラニ・カイが一緒に納まった1枚が、現場MSGのリングサイドで写真撮っていた本誌には感慨深い。なのでこの二人を選ばせて貰った。

 この二人のことを書き出せば長編記事になってしまい本編では無理がある。しかし、第1回『レッスルマニア』前夜を現場で取材していた記者には、歌手シンディ・ローパーとウンディ・リヒターの台頭が、ハルク・ホーガンや俳優ミスターTの参戦、ロディ・パイパーの毒舌と並んで世間大衆に向けてブームを作り出す土台作りにいかに大きなことであったことか。これぞまさに「環状線の論理」であり、ちょうど当時始まったMTVチャンネルでも特番が放送され、お茶の間の庶民が学校でも職場でも、街の喫茶店でもプロレスを話題にしたのであった。今の日本の、あくまでマイナーなヲタクのジャンルに成り下がっている現状からしたら、いかに当時の街の雰囲気が24時間音楽を流すMTVの開局と併せて、プロレスがどうのという会話がいたるところで交わされたことか。そして、ファビュラス・ムーラの刺客レイ・ラニ・カイから女子王座を奪回するのが1985年3月31日の『レッスルマニア』なのであった。


 この日の主役ブレット・ハートもまた、ちょうど『レスリング・ウィズ・シャドウズ』のDVDが新装・再発となったタイミング(写真上)もあるので、そこのクライマックスであった「モントリオールのダブル・クロス事件」があまりにも有名であるが、その先例だったのが1985年11月25日のMSG定期戦なのだ。ムーラが覆面を被ったスパイダー・レディとしてウェンディ・リヒターに挑むのだが、明らかにフォールを返しているのにレフェリーが3カウント入れたことにして不可解な王座移動劇が強行された。もちろんシナリオにない予定外の裏切りにあったウェンディは、WWFを離脱することになる。歴史は繰り返していくのであった。

 もっとも時が流れて両者は和解。2010年には殿堂入りを果たしたし、その後は本誌も取材した各種のコンベンションにも招かれるようになっている。但し、レイ・ラニ・カイと一緒に撮らせたのは過去を現場で見てきている記者には感慨深いのであった。

▼ニュージャージー80’s Wrestling Con盛況!親父ロッキー・ジョンソン、ブッシュワッカー、ウェンディ・リヒターも元気

ニュージャージー80’s Wrestling Con盛況!親父ロッキー・ジョンソン、ブッシュワッカー、ウェンディ・リヒターも元気

規模が桁違いグッズ物価高騰米でもフィギュア$15なので日本より安い

 大きな会場のグッズ販売がどういう感じかは写真を見れば一目瞭然だろう。いくら物価高の米国とはいえ、日本に比べたらTシャツやフィギュアの値段はリーズナブルかも知れない。

 誰もが名前知ってるスーパースターとかよりも、膨大な写真を受け取って「おお」と思ったのはヒール・マネージャーのハーベイ・ウィップルマンと、ブルックリン・ブローラーことスティーブ・ロンバルディだった。こういうのこそ、冒頭箇所に紹介しておかないといけない。
 ウィップルマンはハワード・フィンケルと抗争してタキシード・マッチまでやったが、インテリで著作に『Wrestling with the Truth』があり、2000年代以降は舞台裏にかかわっている。

 ロンバルディはスタジオでTVマッチを収録していた時代の究極のJobberであり、昔のミミ萩原とか、今の月山和香、ストーカー市川らの比ではない。ファンタジー活字の媒体で信じられているルー・テーズの936連勝より、ブルックリン出身のイタリア系ロンバルディの936連敗(実際はもっと!)の方が、完全なリアルなのであってシュート活字では神として崇められている。

現CAC重鎮ブライアン・ブレアとジム・ブランゼルのキラー・ビーが再会

 リング上でタッグチームだったといっても、ブライアン・ブレアとジム・ブランゼルのキラー・ビーはこの会場で再会なのだった。そういうモンなのです。

ドリー・ファンク・ジュニア 仕切り屋マーティ夫人は新たな女帝襲名か?

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