[ファイトクラブ]昭和の時代にコンプライアンス問題で放送カットされた”凄惨試合”を紐解く

[週刊ファイト4月27日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼昭和の時代にコンプライアンス問題で放送カットされた”凄惨試合”を紐解く
 photo & text by 西尾智幸
・まだ、放送基準が緩かった昭和の時代に見せ場が静止画放送
・筆者が観始めてからの記憶では、カットされたのは2試合のみ
・ブッチャーがテリーの胸元を割れたビール瓶で突き刺す
・ハンセンがブルロープでテリーを市中引き回しの刑
・逆に近年のCSでの再放送ではフルバージョンOK?!
・“やられの美学”がテリーの真骨頂。それがリアルすぎたのか?


昭和の時代にコンプライアンス問題で放送カットされた”凄惨試合”を紐解く

 昭和と言えば、まだ“コンプライアンス”という言葉も日本では、全然知らない人が殆どだった時代。今の令和と比べると、いろんな部分で規制が緩かった。
 令和では、放送禁止となるワードも沢山出てきたし、子供向けのアニメ“巨人の星”や“アタックNo.1”でも、無茶苦茶なシゴキがあり、ドラマ“時間ですよ”等の銭湯シーンでは、普通に女性の裸がお茶の間に映されていた。特撮ドラマ、“レインボーマン”の敵の組織が“死ね死ね団”って…。このテーマ曲の歌詞が今となっては、かなりヤバいんですが、子供の頃、筆者は何も考えずに、歌っていました(笑)。まあ、それが普通だったので、今更なのですが。

 そんな当時にもかかわらず“凄惨な試合のため”とアナウンスが流れ、試合の一部分を静止画の挿入で放送された対戦が全日で2回あったと記憶する。その両試合に共通したのが、主役はカットされるほど見事なやられっぷりだった“テキサスブロンコ”テリー・ファンク。そして、大阪府立体育会館での試合であった。

 当時、筆者は両試合とも会場で観戦していたが、生中継ではなかったので、もう一度ゆっくりと試合が観られると録画中継を楽しみに土曜日を待っていた。
 時間の関係上、フルで放送出来ない場合、今の新日本のように試合のいい場面をダイジェストにして編集するのではなく、“5分経過”等とテロップが出て、前半をそのまま5分カットするというパターンが通常であった。しかし、この2試合は試合の一番のヤマ場がカットされ、その部分は数枚の静止画を嵌め込む編集のやり方であり、これは異例であった。
 今回は、そんな凄惨マッチをピックアップしてみた。

S55年 第8回C.C.ブッチャーがテリーの胸をビール瓶でメッタ刺し!

1980年4月18日
大阪府立体育会館 観衆6,800人
<チャンピオンカーニバル・公式戦 30分1本勝負>
▲テリー・ファンク
13分21秒 両者リングアウト
▲アブドーラ・ザ・ブッチャー

 この日は、ジャイアント馬場vs.ジャンボ鶴田師弟対決、因縁のテリーとブッチャーの一騎打ちという豪華なカードで会場は熱気で溢れていた。
 師弟対決は、大技の攻防の末、30分フルタイムの引き分けに終わった。

 そしてメインのテリーの試合が始まった。


 試合の流れとしては、まずブッチャーがパンチ、地獄突きでテリーを流血させ、その後テリーが反撃、パンチ、噛みつきでブッチャーも流血。その勢いで脚攻めに入り、伝家の宝刀スピニングトーホールドが炸裂! たまらず、ブッチャーはロープエスケープから場外に逃げる。それをテリーが追いかけ、場外での大乱闘。そのまま両者リングアウトとなった展開。

 ここからが長い。大乱闘が終わらない。場外、リング内、会場狭しと暴れまくる両者。そして事件が起こる。リング下からビール瓶を取り出したブッチャーは、鉄柱で叩き割り、そのギザギザになった部分で、テリーの右胸を刺しまくり、更に流血させたのだ。
 実はこの時、筆者はまだ17歳。高校生のわりには、頑張って撮影したほうだが、当時の市販フィルムは一番コマ数が多くて36枚。勿論、全部撮り終えると新しいものに入れ替えなければならないが、試合が盛り上がっている途中だと、興奮しているのか焦っているのか、うまくファイルがギアに絡まっていなくて空送りし、同じコマに何重にも撮ってしまい途中で『あれ? 36枚以上撮ってるよな?』と思ってやっと気が付くことがある(笑)。

 なので、この肝心な場面がちゃんと撮れていなくて、ビール瓶で突かれるよりショックな出来事であった(いやいや、ビール瓶の方が絶対、嫌やん!)

 で、その時のTV放送のことに話しを戻すと、このビール瓶のシーンは冒頭で書いたように倉持アナのアナウンスが入り、「あまりに凄惨な試合となったため、一部カットさせて頂きます」と静止画に替わり、情況だけ説明されるが、テリーが刺されるシーンは、静止画でも映されなかった。
 最後に『テリーは錯乱状態の一歩手前まで陥りました。再び中継をご覧下さい』と解説が入り動画に戻ると、ディック・スレーターや渕正信に支えられ控え室に戻るテリーが映された。
 その後、日テレのG+で再放送されたのかどうかまでは追えていないのだが、40数年前のかすかな記憶では、そのテリーの痛々しさにかなり引いた憶えがある。

▲ビデオ画面よりキャプチャー

S58年にはハンセンが師匠テリーを人間扱いせず絞死刑!

1983年4月14日
大阪府立体育会館 観衆6,500人
<60分1本勝負>
○スタン・ハンセン
12分34秒 反則勝ち
●テリー・ファンク

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