さらばNWF! 華やかなアメリカの香りがした時代の終焉

 先日、本誌の既報どおりジョニー・パワーズさんが亡くなった。パワーズさんと言えば、アントニオ猪木さんとNWF世界ヘビー級タイトル(後にNWA加盟により『世界』が取れてNWFヘビー級タイトルと改称)を巡り名勝負を繰り広げたため、日本でも知名度が高い。
 パワーズさんと猪木さんは、まさしくNWFの代名詞的存在だった。その猪木さんも昨年10月に亡くなり、NWF時代は完全に終わりを告げたと言えよう。(本文中は敬称略)


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[ファイトクラブ]“死神”ジョニー・パワーズ大往生!かつての貴重なインタビューを公開

大阪万博開催年に、全米レスリング連盟が五大湖に誕生

 全米レスリング連盟、即ちNWF(National Wrestling Federation)が誕生したのは、日本で大阪万博が開催された1970年、アメリカ合衆国の北東部でのことだ。NWFを興したのは、他ならぬジョニー・パワーズとプロモーターのペドロ・マルチネスである。

 NWFと言えば、今でいうインディー団体というイメージが強い。当時のアメリカでのプロレス界は、NWAとAWA、WWWF(現:WWE)が3大組織で、その主流から外れていたという点ではNWFがインディー団体とするのは間違いではないだろう。
 しかし、今の日本でのインディー団体とはかなり様相が違う。NWFの活動地域はカナダを含む五大湖周辺で、つまり北米最大の工業地帯である。現在でこそ、日本をはじめアジアの工業製品が世界を席巻して、五大湖周辺は不景気の風が吹き荒れているが、1970年代はまだまだ隆盛を極めていた。人口も密集しており、たかがインディー団体と侮る存在ではなかったのである。

 NWF世界ヘビー級の初代王者はジョニー・パワーズで、フレッド・ブラッシーを破って同王座に就いたとされた。
 それ以外にもアブドーラ・ザ・ブッチャーやアーニー・ラッド、ジョニー・バレンタインら名レスラーたちが同王座のベルトを腰に巻いていたのである。

 アントニオ猪木が同王座を奪取したのは1973年12月10日、東京都体育館(現:東京体育館)でのことだ。相手はもちろん、ジョニー・パワーズである。
 パワーズはその後、何度も来日して猪木に挑戦するが、二度とNWFのベルトを自らの腰に巻くことはなかった。そして、NWF王座は日本に定着することになる。

 実は、NWFベルトは1万ドル(当時のレートで約3百万円)で新日本プロレスが買い取ったと、後に新日のレフェリーだったミスター高橋が自著『流血の魔術 最強の演技』(講談社)で暴露したが、それについては触れない。日本に定着した王座としては、NWFはかなり特殊だったのである。

NWF王座は、日本で唯一無二の存在

 プロレス団体にとって有形の宝物と言えば、もちろんチャンピオン・ベルトだ。ベルトすら作れない赤貧団体は別にして、1つの団体に1本以上のチャンピオン・ベルトがあると言っても過言ではないだろう。同じ階級のシングル・タイトルを複数所持している団体も珍しくはない。単純に言えば、100団体あれば100本以上のチャンピオン・ベルトが存在する計算だ。
 昭和のプロレス団体だって同じである。団体を旗揚げすると、例外なくタイトルを創設した。

 しかし、団体が新たにチャンピオン・ベルトを作りました、では権威がない。プロレスの本場であるアメリカのタイトルを日本人エースが奪取した、という形にしないとシラケるばかりだ。
 そこで、昭和のプロレス団体ではエースがわざわざアメリカに遠征してチャンピオンを破り、ベルトを日本に持ち帰っていた。こうして、アメリカでも認められたチャンピオンでござい、と日本人エースは胸を張ってベルトを腰に巻いていたのである。

 だが、それらのタイトルが日本用に作られていたのはよく知られていること。アメリカの団体だって、チャンピオン・ベルトを日本に持ち去られては困るわけだ。
 NWA、AWA、WWWF(WWF)といったアメリカの主要タイトルは日本人が挑戦してもなかなか王者になれないか、なったとしても前王者が日本にいる僅かな期間で、元のチャンピオンが帰国する際にはベルトを返さなければならない(負けるか、理由を付けて返上するか)。仮に、そのままベルトを持っていても、アメリカ遠征して防衛戦を行い、負けてベルトを返す必要がある。

 日本プロレスから全日本プロレスに受け継がれたインターナショナルやUNといった王座は、NWAの亜流タイトルだったため、日本に定着してもNWAは全く困らない。全日のもう一つのタイトル、PWFは全日本プロレスが創設したものだ。PWF本部がハワイにあるとしたのも、権威付けのためである。これら3つのタイトルは、今や三冠ベルトのうちの1つでしかない。
 国際プロレスにあったIWAも、同団体のお手盛りタイトルだ。アメリカにもIWAというローカル団体があったが、2つのIWAには全く接点がない。ちなみに、アメリカ版IWAは後にNWFを吸収合併した。

 しかし、NWFだけはインディーとはいえ、レッキとしたアメリカのプロレス団体。しかも、後にNWA勧告により消えたものの、アントニオ猪木が奪取した頃のNWF王座には『世界』が付いていた。
 猪木がチャンピオンになったのは日本だが、それまでのNWFタイトルはアメリカでも盛んに防衛戦を行っていたのだ。力道山がルー・テーズからインターナショナル王座を奪ったのがロサンゼルスとはいえ、それ以前に初代王者のテーズはアメリカで一度も防衛戦を行っていない。インターナショナルのチャンピオン・ベルトですら、力道山が自前で造った物だ。
 日本ではNWFタイトルと言えば、インターナショナルよりも一段下のようなイメージがあるが、アメリカではNWFの方が権威は上だったのである。

 NWF王座は、日本に定着したタイトルで唯一と言っていい、アメリカの団体由来の王座なのだ。

アルファベット3文字の魔力

 アメリカのプロレス団体は、ほとんどがアルファベット3文字となっている。WWWFのような例外もあるが、これはWorldの後ろにWideが付いていたからだ。即ち『世界的な』プロレス団体だったのだが、後にWideつまり『的な』が取れてWWFと3文字になっている。
 また、20世紀のアメリカのプロレス団体は、末尾がAかFになっていたのが特徴だ。AはAssociation(協会)もしくはAlliance(同盟)、FはFederation(連盟)である。要するに、企業というよりは統括組織といった意味合いが強い。ボクシングのWBAやWBC(CはCouncil=評議会)のように、権威が感じられたのである。

 一方の日本では○○プロレスという名称が一般的だった。こちらは、言うまでもなく企業である。日本プロレス協会はあったものの、認可していたのは日本プロレス興行だけで、とても協会と呼べる性質のものではない。全日本プロレス協会(現在の全日本プロレスとは無関係)などという団体もあったが、統括組織とは程遠かった。もっとも、アメリカのプロレス団体だって実態は統括組織ではなかったのだが、アルファベット3文字に本場の魔力を感じたものである。

 しかし1984年、日本にUWFが誕生して以来、日本のプロレス団体もアルファベット3文字のオンパレードだ。UWFのFもFederationだが、もちろん連盟とはかけ離れている。当時の筆者は、日本の団体ごときがアルファベット3文字を名乗るな! と思ったものだ。その後の日本の団体は、FMWやSWSなど、末尾がAやFとは無縁の団体が増えていく。
 ついでに言えば、タイトルもプロレスリング・ノアのGHC王座のように堂々と(?)アメリカの団体とは関係なくウチで創設しましたと謳うようになった。

 1980年代の中頃と言えばアメリカでも、WWFの全米侵攻によりテリトリー制が崩壊して、各プロレス団体は統括組織としての性格を完全に失う。そして、WWFのライバル団体としてWCWという、末尾がAやF以外のプロレス組織が現れたのである。
 さらにWWFも、同名団体のWWF(世界自然保護基金)から名称変更を提訴されて敗訴したため、2002年にWWEと改称した。末尾のEはEntertainment(娯楽)で、もはやEnterprise(企業)ですらない。現在のプロレス界に、アルファベット3文字の魔力は無くなったのである。

 そしてNWF王座は1981年、世界統一という大義名分のもと、お手盛りタイトルのIWGPのため新日本プロレスにより封印された。アメリカの団体のタイトルを日本の団体が勝手に封印するというのもおかしな話だが、この頃には既にNWFという団体は影も形もなくなっていたのである。
 2003年、NWF王座は新日本プロレスで復活したが、所詮は家なき子タイトル。僅か1年でアッサリ消滅した。

 それでも、アントニオ猪木が王者だったころのNWFタイトルは「NWF本部はチャンピオンのアントニオ猪木に対し、タイガー・ジェット・シンの挑戦を受けるよう命じた」などと報道され、NWF王座は本場アメリカでも権威があるタイトルなのか、と思ったものである。実際には、この時はNWFに本部など存在しなかったのだが。
 とはいえ、この『本部』という言葉には、華やかなアメリカの香りがしていた。そんな古き良き時代も、アントニオ猪木とジョニー・パワーズの死によって終焉を迎えたのである。


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