[Fightドキュメンタリー劇場40]I編集長「猪木名勝負第1位」1972年10・10大阪府立体育館ゴッチ戦

昭和47年 猪木vs.ゴッチ戦
[週刊ファイト9月22日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場40]
 I編集長「猪木名勝負第1位」1972年10・10大阪府立体育館ゴッチ戦
 by Favorite Cafe 管理人


 大阪の猪木vs.ゴッチ戦が凄いのは、絶好調の二人が闘ったテクニックの応酬だけじゃ無い。象徴となった「実力世界一ベルト」、自然体で試合を作った猪木、自分を限界まで追い込んでフォール勝ちしたゴッチ、そこを見極めてスリーカウントを入れたテーズ。I編集長は、そのすべての出来事が一つになった試合だとして、これを“猪木名勝負”のナンバーワンに上げている。

■ 闘いのワンダーランド #053(1997.02.17放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1978.10.06 新潟市体育館
  藤波辰巳vs.トニー・ロコ
 1978.10.30 岡山武道館
  アントニオ猪木vs.ジ・エクスキュースナー

1978年10月30日 岡山武道館(TV放送画面より)

(I編集長) 今日はオンエアされた試合の話では無く、新日本プロレス旗揚げの年、昭和47年10月10日、大阪府立体育での猪木vs.ゴッチ戦についてお話しします。

(I編集長) 猪木vs.ゴッチ戦は、言うまでも無く3・6大田区体育館の旗揚げ戦でもやった試合ですよね。記念すべき旗揚げ第一戦ですから当時の常識としては、猪木が勝たなくちゃいけない。こんな言い方をするとおかしいけども、当然猪木が勝たなくちゃいけない試合ですよ。常識的に言って誰だってそう思いますよ、旗揚げ第一戦だもの。
 ところがこの試合で猪木が負けるんですよね。私はビックリ仰天しましたよ。周りの記者なんかも「なんなんだ、アレは。旗揚げした団体のエースが負けてしまっては、ダメじゃないか。いったいどういうことだよ」と、ハッキリ言って大笑いしたもんですよ。記者連中は猪木の前じゃ、神妙な顔をしていましたけどね、外では大笑いですよ。そんなもん、旗揚げ戦だし、テレビも回っておるし、猪木が強い勝ち方で勝って当たり前の試合ですからね。だけど私はそれを見て逆にね、「猪木というレスラー、新日本プロレスという団体、これは凄い団体なんだ」と感じましたね。ハッキリ言えば、八百長をやってでも勝たなきゃいけない試合ですよ。そういった試合でですね、まともにぶつかって勝ち負けを争った、しかも猪木とゴッチが展開したプロレスの内容が素晴らしい。

1972年3月6日 大田区体育館

▼[Fightドキュメンタリー劇場34] 井上義啓の喫茶店トーク
新日本旗揚げ、猪木プロレスに未来を見た、ゴッチ戦!(I編集長) 

[Fightドキュメンタリー劇場34]新日本旗揚げ、猪木プロレスに未来を見た、ゴッチ戦!(I編集長)

(I編集長) 3・6大田区体育館では猪木は全力を尽くして闘ったんです。ホントはこの時、猪木の体調はとんでもなかったんですよね。旗揚げの準備に追われて、もう練習する時間が全く無かったらしいですよ。猪木が言っていたのは、「前の日まで浅草とかで自分で切符を売り歩いていた。“明日、大田区体育館でやります。私の試合を見てください”と。オレだけじゃない、女房もやってくれた」ということですね。女房とは美津子夫人ですね。あの大女優がですよ、恥も外聞もなく、「これが明日の猪木のプロレス試合です。旗揚げ戦です。みなさん来て応援してください」と売って歩いたと言うんですね。その他にも旗揚げの準備がいろいろあって、「とにかくもう、寝る暇もなくて、昨日は一睡もしていない」と言っていましたよ。

2002年5月2日 新日本プロレス「闘魂記念日」、倍賞美津子さんがサプライズで登場

週刊ファイト 2002年5月16日号より

(I編集長) 猪木は他の記者たちに「どうですか」とコンディションを聞かれたら、いつも「絶好調ですよ」と答えるんですよ。どんなに体調が悪くても「自分はベストコンディションだ、見てください」と言っていましたよ。しかしこの日、私と二人になった時に「猪木さん、どうなんですか?」って聞いたら、私の顔をじっと見て「最悪の調子ですよ」と言いましたよ。やっぱりこの男(I編集長)には「絶好調です」と言ってもしょうが無いと思ってくれたんでしょうね。「ひどいもんですよ。もう、3日も前からほとんど寝ていない。チケットを売るだけでこんなに煩わしいことがあるとは、自分はこれまで知らなかった」と言うんですよ。
「東京プロレスを旗揚げした時は、まだ、豊さんがいたり、他のスタッフがいたからいいけど、今回は自分ひとりでやらなきゃいけなかった」と言っていました。もちろん山本小鉄も手助けしていますが、最後は猪木自身が自分でやらなくちゃいけないことが沢山あったんですね。関係者に挨拶もしなくちゃいけない、電話もかかってくる、アレもしなくちゃいけない、コレもしなくちゃいけない、そういった状態で、3・6の旗揚げ戦の日を迎えたんです。

(I編集長) 私はそれを知っておったから「猪木がゴッチに負けても当然のことだ」と言ったんですよ。こういった状態の中で闘ったのであれば、猪木が勝ったら不思議ですよ、ハッキリ言えば。相手がヘナチョコの二流レスラーだったら、これはね、どんな状態でも勝つけども、相手はゴッチですからね。しかもゴッチは猪木の旗揚げ第一戦に参戦するということで、凄まじいトレーニングをして体調を整えてきたんですよ。ゴッチは当時47歳ぐらいでしょう、「本当に絶好調だ」と言っていましたよ。体を見てもそうだしね。今(1997年)の長州だって45歳でちゃんとコンディションを保っていますからね、ましてゴッチみたいにストイックにね、もう節制、節制で毎日トレーニングしていれば、まだまだベストコンディションを維持できますよ。この前SAMURAIの番組でルスカが言っていましたね。「俺がこれだけのベストコンディションでいるのは、一日も欠かさずトレーニングをして節制しているからだ。本当の格闘家は45歳になろうが50歳になろうがベストコンディションを保つ。それが本物の証しだ」と、そういう話をしていましたけども、その通りなんですよ。ゴッチも同じですよ。

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