[Fightドキュメンタリー劇場 35]長州力、海外武者修行時代~かませ犬発言

[週刊ファイト8月18日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 35] 井上義啓の喫茶店トーク
 長州力、海外武者修行時代~かませ犬発言
 by Favorite Cafe 管理人


 ゴッチの元で一緒に修行したボブ・バックランドはWWWFチャンピオン、ミュンヘン五輪で一緒だったジャンボ鶴田は全日本プロレスでジャイアント馬場に次ぐスター待遇。「なのに俺は、いつまでたっても下積みのまま。前座試合ばかりだ」紛れもなく長州力の本音だった。

■ 闘いのワンダーランド #046(1997.02.06放送)「I編集長の喫茶店トーク」
 1978.05.30 大阪府立体育会館
  藤波辰巳&長州力 vs. ボブ・バックランド&トニー・ガレア
  アントニオ猪木 vs. アンドレ・ザ・ジャイアント

藤波&長州vs.バックランド&ガレア(放送画面キャプチャ)

(I編集長) 今日放送された試合は、若かりし頃の長州が藤波と組んでバックランド組を相手に闘う、非常に貴重なフィルムですよ、これ。こういったフィルムはなかなか見ることができませんからね。これは昭和53年、大変懐かしい試合です。

こんな時代もあった、若かりし日々の藤波・長州

(I編集長) 昭和50年代前半、長州が海外武者修行から帰国しました。しかし、なかなかブレイク出来なかった、その頃のエピソードです。当時、長州力は藤波なんかと違いまして、非常に地味な選手だったんですね。正直、ほとんど話題が無かった選手なんですよ。ですからマスコミも長州を取り上げませんし、活字にもなることも非常に少なかったのは仕方ないですね。当時の週刊ファイトをめくってみても、ほとんど長州の記事は出てこないんですよ。今日放送された昭和53年の試合、この頃は藤波が凱旋帰国して、若きチャンピオンとして目立っていたので、長州のことはもう、ほとんど記事にされなかった時期です。先日、この番組で藤波の修業時代についていろいろお話しましたね。長州については、あまり記事には書いていなくても同じように取材をして、武者修行時代の苦労話を聞いていますので、ここで一つ二つ、エピソードを紹介しましょう。

▼[Fightドキュメンタリー劇場28] 井上義啓の喫茶店トーク
 藤波辰巳 海外武者修行・地獄のゴッチ特訓~凱旋帰国

[Fightドキュメンタリー劇場 28]藤波辰巳 海外武者修行・地獄のゴッチ特訓~凱旋帰国

(I編集長) 昭和51年(1976年)に長州がカナダでサーキットをしておった時には、国際プロレスの剛竜馬と一緒だったんですね。お互いにファイトマネーが入ったときには、二人で飲み歩いていろいろと“わるさ”もしたものだと、思い出話を語ってくれたことがあります。
 ある日、長州が結構なギャラを受け取った夜、街に繰り出したんです。さんざん飲んでへべれけに酔っ払った次の朝、長州がベッドで目をさますと、素っ裸の誰かが自分に抱きついていたんですね。酔っ払って女の子でも連れ込んだのかなと思ったんだけれども、よく覚えていない。しまった、と思ってよく顔を見てみると、なんと素っ裸の剛竜馬なんです。確かに昨晩は剛と二人で酔っ払うまで飲んだ。ホテルは別だったので、その夜は確かに長州は剛と別れて帰ったはずなんです。なんで長州のホテルに剛がいるのか、長州も覚えていないし、剛もわからないという、なんとも笑えるような、笑えないような話をしてくれました。

カナダ修業時代、剛とのコンビ(新聞の写真も非常に小さく荒い)

(I編集長) 長州も他の新日の若手と同じように、フロリダのカール・ゴッチの元で修行をしています。長州はちょうどバックランドと同じ時期に、二人でゴッチのシゴキを受けたんです。ゴッチの家で一緒に練習したバックランドも当時は長州と同じく、駆け出しのペーペーだったんですね。そして二人は藤波がゴッチ道場で鍛えられたのと同様にですね、やっぱり朝6時半に起こされてロードワークをやって、朝から晩までブリッジの練習や基礎トレーニングばかりやらされたわけですよ。ゴッチは凄まじい基礎トレーニングを課すんですよ。長州に言わせれば、“気が狂いそうになるトレーニングだ”と。ゴッチがいろんな技を教えてくれるのなら、まだ良いですよ。ところがあるときは朝から夕方の5時、6時までブリッジの稽古ばっかりが続くんですよ。そして、「ブリッジとは何か」と英語で説明するわけでしょ。アマチュア時代から海外遠征にも行って、ある程度英語がわかる長州でも、ゴッチの話を聞いたところでわかりませんよ。ブリッジの奥義なんて日本語で説明されてもわからない内容ですからね。

ゴッチ道場では、とにかくブリッジの練習

(I編集長) それでも長州はそういったトレーニングを一生懸命こなしてですね、バックランドと「俺たちもいつか花が咲く日が来るまで頑張ろう」と語り合ったんです。その時にはバックランドがこんなに短期間でチャンピオンまでのしあがるとは思ってもいなかったと言うんですね。バックランドだって長州と同じ駆け出し、ペーペーでしたからね。それがあっという間にニューヨークのチャンピオンですよ。

(I編集長) 当時の長州はしきりにそのことを言っていましたね。「バックランドはチャンピオンになっているし、ミュンヘン五輪で一緒だったジャンボ鶴田も全日本で大スターになっている。ミュンヘン・オリンピック当時は鶴田と比べても、俺の方がネームバリューは上だったのに」と言ってましたね。「なのに、上だったはずの俺が未だに下積みで、一方の鶴田は全日プロに入門したときから英才教育を受けている。今や押しも押されもしない全日プロの看板スターだ。俺と一緒にゴッチ道場でしごかれたバックランドもみるみるうちにWWWFのチャンピオンになった。みんな素質があるから、ちゃんと大スターになっている。ところが、いつまでたっても俺だけは下積みのまんまで、前座試合ばっかりやらされている」と言うんです。これは、紛れもない当時の長州力の本音なんですね。

たった入門1年で、ファイト紙でも見開き2ページに特集される鶴田

(I編集長) 昭和53年当時の長州は、マスコミに対して少しは笑顔も見せることはあるけれども、私の印象としては、だいたいが「ブスーッ」としていたイメージですね。黙り込んでですね、「面白くねえや!」という顔をしていたんですよ。そんな長州も昭和54年の6月にはロサンゼルスに渡って、坂口と組んで北米タッグに挑戦したんです。当時の北米タッグチャンピオンはマサ斎藤とヒロマツダでした。新日のマットで北米タッグチャンピオンになって、そのままアメリカに持って帰ってしまったんですね。そのタッグベルトを坂口・小林組では無くて、新コンビの坂口・長州組がロサンゼルスまで奪回しに行ったわけですよ。

(I編集長) そのロサンゼルスで運良く、というか、実力というか、勝ちまして、長州は北米タッグチャンピオンになって帰ってきました。長州はここで「俺もやっとチャンピオンになった。ついに日の目を見た。マスコミも取り上げてくれるだろう、ファンもチャンピオンとして認めてくれるはずだ」と思って帰って来たんですよ。

北米タッグタイトルを新日取り戻した、坂口&長州組

(I編集長) ところが、帰国しても一向にマスコミは取り上げてくれない。プロレス専門誌(紙)に長州の「長」の字さえ書いてない。北米タッグの試合があった時だけは、坂口がどうした、長州がどうしたとは書いてあるけども、写真はどうしても坂口が中心なんです。マスコミとしては、坂口をメインに写真を掲載しますよ。控え室で坂口・長州が並んでベルトを巻いている写真、後ろに猪木がいてその両脇には藤波や星野とかそういった連中や若手が取り巻いていて、「カンパーイ」とやってる写真なんかは撮っているんです。そういった写真が記事の隅の方に小さく、たまに出る。長州はもうこんなに小さく写っている写真ですよ。長州の談話の一つでもあるかと思ったら、当然それは無いですよ。当時の報道の仕方はそんなもんだったんですよ。タッグではリーダーの方に質問を向けていくから、質問を受けるのは坂口なんです。  だから、受け答えはほとんど坂口でしょ。それでもたまには長州にも質問が飛ぶんです。それに応えた長州が「今日の新聞には俺の談話が出ているぞ」と新聞を広げてみると、全然載っていない。それで長州はどんどんどんどん、むくれていくわけですよ。だから長州は我々マスコミの前では「ブスーッ」とした顔をして、モノも言わなかったですよ。坂口・長州が控え室で並んで座っていると、やはり北米タッグチームですから、カメラマンは紙面で使えるかも知れないと反射的に写真を撮るわけですよ。そしたら長州が「ジローッ」と見るんですよね。「お前ら、いくら撮っても、この写真が使われることがないじゃないか。もう撮るな!」とかね、そんなことをしょっちゅう言っていましたよ。写真を撮られて、「使いもしないのに撮るな!」と言ったのは、私の記憶では長州だけですよ。普通のレスラーはそんなこと言わないもんね。だからこれも、北米タッグチャンピオンになった長州であっても、いかにマスコミがスポットを当てていなかったか、ファンが騒がなかったかがわかる一つのエピソードですね。

(I編集長) 我々にしてみれば、もう、しょうが無かったんですよね、長州のスタイル、マスコミに対する態度からするとね。長州は説明するまでも無く、確かに強かったですよ。レスリングの実力としては立派なもんでしたよ。しかし派手さが無い。北米タッグでもチームリーダーでは無いし、どうしても扱いが軽くなる。そういったことが長州には鬱積していくわけですよ。

(I編集長) そして昭和57年(1982年)、長州は今度はメキシコ遠征に旅立ちました。そこでついにシングルのタイトル、UWA世界ヘビー級チャンピオンを獲るわけです。アントニオ猪木も巻いたそのシングルベルト、世界チャンピオンになったんだから、長州は「コレで俺は注目されるに違いない」と思って、意気揚々とメキシコから帰国したんです。そしたらこれがまた、あんまり話題になっていない。週刊ファイトにしたって多少は取り上げましたよ。でも表紙にするわけでもないし、大きく写真を載せた訳でも無かったですね。談話も載せていないし。世界チャンピオンのベルトを巻いたのに、そんな扱いだから長州が「プッツン」してしまったわけですよ。

長州力のUWA世界タイトル奪取、週刊ファイトの扱いはそれなりに大きいが・・・

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