安倍晋三・元総理大臣銃殺とプロレスラー

トップ画像:wikipediaより引用

 本誌の既報通り7月6日、空手家兼プロレスラーの『館長』こと青柳政司さんが亡くなった。享年65歳という若さである。

 青柳さんは空手道場『誠心会館』の館長として知られているが、元々はプロレスラー志望。膝の怪我でプロレスを引退していた大仁田厚との異種格闘技戦でプロレス界に足を踏み入れ、その後は新日本プロレスで獣神サンダー・ライガーと闘い、越中詩郎&小林邦昭との抗争、和解後に越中&小林らと反選手会同盟(後に平成維震軍と改称)を結成し、空手家スタイルながらプロレスラーとしてリングで暴れまわった。

 青柳さんは愛知県豊田市出身。私事ながら青柳さんが亡くなる4日前、筆者は豊田市に行っている。この訃報を聞き、何か不思議な縁を感じたものだ。
 謹んで、青柳政司さんのご冥福をお祈りします。

▼追悼・青柳政司~七夕の前夜に星になった空手家

[ファイトクラブ]追悼・青柳政司~七夕の前夜に星になった空手家

ヒールのプロレスラーと親交が深かったケネディ大統領

 青柳館長の訃報に関し、プロレス&格闘技ファンが悲しみに暮れていた頃、日本で衝撃的な事件が起こった。7月8日、奈良県奈良市で選挙応援演説中の安倍晋三・元内閣総理大臣が銃弾に倒れたのである。その後、間もなく死亡。青柳館長とは僅か2歳しか違わない享年67歳だった。
 参議院選挙投票日直前の凶行に関し、日本国民は誰もが背筋を凍らせただろう。国のリーダー経験者が銃殺されるなんて、遠い海外での出来事だと思い込んでいたからだ。

 日本でも戦前は、首相経験者が暗殺されることがあった。1921年の原敬(現職)、1930年の浜口雄幸(現職)、1932年の犬養毅(現職、いわゆる5.15事件)、1936年の斎藤実および高橋是清(いずれも元、いわゆる2.26事件)など、実に多い。また、日本国内ではないが、元首相だった伊藤博文も1909年に中国のハルビンで暗殺されている。
 戦後になると、野党の党首や地方自治体の首長が暗殺されることはあったが、首相経験者が殺されたことはない。未遂および重傷は何度もあったが、いずれも一命はとりとめている。安倍元首相の祖父である岸信介首相も暴漢に刺され、重傷を負ったことがあった。

 ただ、今回は本当に首相経験者が銃殺されるというショッキングな出来事である。日本の安全神話は崩壊したのだろうか。海外あるいは戦前のように、日本は危険な国になりつつあるのかも知れない。

 海外で国のリーダーが暗殺された有名な事件と言えば、アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディの事件だろう。1963年11月22日、テキサス州ダラスでケネディ大統領が銃殺された。
 この事件は日本にもすぐに緊急ニュースとして伝わり、これが史上初の衛星中継となったのは皮肉だ。

 そのケネディ大統領と親友だったというのが、あの“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーである。ブラッシーは来日して力道山と対戦、敗れた後に吠えまくった。

「俺はケネディ大統領とは親友だ! こんなインチキ判定は許さない! ケネディ大統領に訴えてやる!!」

 他国で行われたプロレスの試合に大統領の判断を仰ぐという発想も凄いが、本当にブラッシーの訴えをケネディ大統領が聞いたら、ケネディ大統領はどうしたのだろうか? 普通なら「ワシ、知らんがな」と一蹴するだろう。
 そのケネディ大統領が暗殺された時、ブラッシーはこう言ったという。

「人は誰だって運が悪いってことはあるんだよ」

 とても親友の、そして母国の大統領が不慮の死を遂げた後の言葉とは思えない。ここに、ブラッシーの悪役美学があったのだろうか。
 そのブラッシーは、実際に『人殺し』している。ブラッシー得意の噛み付き攻撃により、大流血したレスラーの姿に、テレビを見ていた老人がショック死してしまったのだ。つまりブラッシーは、遠隔操作により人を殺したのである。現在ならプロレス中継で流血など日常茶飯事だが、当時のテレビはモノクロからカラーへ移行した時期。本当に赤い血が人間の額から流れ出るのを見て、老人がパニックを起こしたわけである。

▼ケネディ大統領と親交があったというフレッド・ブラッシー

 さらに“喧嘩狂”ハードボイルド・ハガティもケネディ大統領とは親友だったと公言していた。実際に、ハガティとケネディ大統領が握手している写真もある。
『正義の味方』たるアメリカ大統領が、稀代の悪役であるブラッシーおよびハガティと親交があったというのが面白い。このあたりは、いかにもアメリカ的というべきか。

リンカーン大統領とプロレス

 ケネディ大統領以外にももう一人、アメリカ大統領で暗殺された人物を忘れてはならない。エイブラハム・リンカーン大統領だ。『人民の、人民による、人民のための政治』と説いた大統領である。黒人の奴隷解放を訴え、アメリカに蔓延る人種差別と闘った大統領だ。

 実は、リンカーン大統領もプロレス界とは縁が深い。縁が深いどころか、リンカーン自身がプロレスラーだったのだ。
 リンカーンが大統領になる遥か前の少年時代、チンピラに絡まれ、フルボッコにされたという。そのため、リンカーンは恋人に愛想を尽かされてしまった。
 失恋したリンカーン少年は強くなるためにプロレスラーを志す。メキメキ頭角を現したリンカーンは、弱冠21歳でイリノイ州の郡チャンピオンに輝いた。

 当時は1800年代後半で、日本で言えば江戸時代末期。日本人がチョンマゲを結っていた頃に、リンカーンはプロレスラーとして闘っていたのである。かのフランク・ゴッチが統一世界ヘビー級王者となったのは1908年で、日本では明治時代(日露戦争勃発の4年後)だったのだから、それよりかなり前の話だ。
 リンカーンが活躍していた頃のプロレスは、現在ほどショーアップされてなかったようで、いわばアマチュア・レスリングの延長のようなスタイルだったらしい。

 しかし、1865年(明治維新の3年前)、リンカーンは暗殺されてしまう。56歳の時だった。
 もし、リンカーンが大統領にはならずに、プロレスラーとしてずっと活躍していれば、不慮の死を遂げずに済んだのかも知れないが……。

力道山の死因

 政治家ではないが、日本で殺害されたプロレスラーといって忘れてならないのは力道山だろう。
力道山はまさしく日本のプロレス界の父であり、力道山なくして日本のプロレスは語れない。

 力道山は人気絶頂の1963年、暴力団組員に刺されてしまう。その傷が元で力道山は死亡。享年39歳だった。
 今回の安倍元首相の銃殺事件と、力道山の刺殺事件は、背景が全く違う。そもそも、力道山は安倍元首相と違って政治家ではないし、力道山は『計画的』に殺されたわけではない。力道山が酔っぱらったうえで、暴力団員とイザコザが起きて、弾みで殺されたようなものだ。一方の安倍元首相の場合は、犯人が用意周到に殺害を計画していたらしい。しかも、犯人の供述によると宗教がらみだったという。
 しかし、似ている部分もあると言えるのだ。それは、力道山も安倍元首相も、ワンマンで君臨していたという点である。

 安倍元首相は、日本の内閣総理大臣で最も長い任期を務めた。一方の力道山は、日本のプロレスを実質的に始めた人物であり、長い間プロレス界に君臨している。
 違う点は、安倍元首相が銃弾に倒れた時は既に手の施しようがない状態だったのに対し、力道山はナイフで刺されてもまだ死に至るほどではなかった、ということだ。

 安倍元首相は、銃撃されたその日に死亡したが、力道山の場合は12月8日に刺されて死亡したのは12月15日である。つまり、1週間のタイム・ラグがあった。
 力道山の死因に関しては、力道山が自分の肉体を過信して、医者が禁じていた飲食物を勝手に摂取していた、とも言われている。

 だが、力道山の未亡人である田中敬子さんは、力道山の死因は医療ミスだった、と断言していた。もし、適切な治療が行われ、回復した力道山が再びリングで大暴れしていたら、今のプロレス風景は全く違ったものになっていたかも知れない。
 いずれにしても、人を殺害するのは許されない行為である。首相経験者やプロレスラーが殺されたのは誠に遺憾ではあるが、それは名もない一般人でも変わることはない。

▼「力道山の死因は医療ミスだった」と語る田中敬子さん


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