[Fightドキュメンタリー劇場 29]猪木vs.アリ 「必ず実現する」と信じ続けた男、それは井上義啓

[週刊ファイト6月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[Fightドキュメンタリー劇場 29] 井上義啓の喫茶店トーク
 猪木vs.アリ 「必ず実現する」と信じ続けた男、それは井上義啓
 by Favorite Cafe 管理人

「モハメド・アリと闘う!」アントニオ猪木がぶち上げたアドバルーンは、アリ側が実現を否定したことや、ボクシング界の常識から考えてもあり得ない話だとされた。そして猪木vs.アリの話題は世間やマスコミから次第にフェードアウトしてしまった。しかしプロレスマスコミの中にただ一人、「必ず実現する」と信じて取材を続けた男がいた。それは我らが「I編集長」だった。

■ 闘いのワンダーランド #027 (1997.01.10放送)「I編集長の喫茶店トーク」
1976.08.14 ブラジル イヴラビエスポーツアリーナ
アントニオ猪木 vs. リッキーハンター
1976.09.10 品川スポーツランド
アントニオ猪木 vs. スーパースター・ビリー・グラハム

猪木vs.グラハム(放送画面キャプチャ)

(I編集長) 今日放送された試合は昭和51年夏の試合です。昭和51年と言えば一連の猪木の異種格闘技戦がスタートした年ですね。異種格闘技戦につきましては、テレビ局の都合、その他がございましてオンエア出来ません。残念ながら「猪木vs.アリ戦」の放送も出来ません。それでも昭和51年の猪木の名勝負となりますと、やっぱり、猪木vs.アリ戦は避けて通れません。今日はこの猪木vs.アリ戦についてお話したいと思っております。

(I編集長) なぜ猪木がアリと闘うことになったかということについては、みなさんご存知だと思いますので、詳しくはお話する必要がありません。アリがビッグマウスで「東洋人だったら誰でもかかってこい、100万ドルの賞金だ!」と大口を叩いたので、猪木がそれに応じたんですね。ですから新間さんに言わせると、猪木が挑戦状を出したんじゃなくて、出したのは「応戦状」なんだよと、あれは。向こうが挑戦して来いって言ったんだから、コチラは応じただけで「挑戦状」と書くのは間違いだと言うんですね。まあどっちでも良いようなことだったですけどね。その応戦状を新日プロの杉田渉外部長が、アリのところに持って行きました。そしてアリが「イノキ?誰だ?」と言って目をむいたんですね。簡単に言えばそういった経緯なんです。

(I編集長) ここで一つお話しておきたいのは、全日本プロレスにもすでにそういった話があったということです。これは全く情報として出てきていませんけどね。馬場さんがそういったことを「チョロッ」と話したことがありますよ。全日本プロレスにもアリと闘うかどうかという話が持ち込まれたんですね。「アリと闘う気はないか?」と。全日本プロレスとしては本気には考えてはいなかったんだろうけれども、馬場さんは「もしアリと闘わせるんだったら、桜田だな」と、そう言ったという話ですよ。皆さんご存知のナガサキですね。桜田はものすごくセメントに強い、セメントの「鬼」ですから。馬場さんは「アリと闘えるのは桜田しかいないな」と考えたことがあったらしいですよ。

「アリと闘わせるのなら、桜田だな」(ジャイアント馬場)

(I編集長) 日本のプロレス業界に対してそういったイベントの仕掛けを考えている方面から、対戦の働きかけがあったようですね。その時に猪木が「アリよ、俺と闘え」ということで「バーン」とぶち上げたんですよね。皆さんご存知のように、猪木はプロレスラーですよ。そしてアリは飛ぶ鳥も落とす勢いのプロボクシング・ヘビー級チャンピオンですよ。だから当時の常識から言って、本来闘えるはずがないんですよ。こっちはプロレス専門紙ですから当然、猪木がアリの挑発に応じて杉田渉外部長が「応戦状」を持って行った、と紙面には書きますよ。しかし一般紙なんかからは「猪木が挑戦状というか、応戦状というか、それを出したところでやれるはずがない、何を馬鹿なことを言ってるんだ」と相当叩かれましたよ。猪木のアリへの挑戦というのは、世間ではまだまだ、そういったレベルの認識だったんです。そんな状況にあった当時、ワールドプロレスリングを放送しているNET(現テレ朝)は、クアラルンプールでのモハメド・アリのボクシングの試合の日本国内独占放映権も獲っておったんですね。

最初は欧米の一流紙も「猪木vs.アリ」の実現の可能性を報道した

(I編集長) その関係から当時のNET運動部長だった、永里さん、永里公平さんがアメリカに行って現地のテレビ局の副社長といろいろ話をする機会があったんです。その席で猪木vs.アリ戦の話を出したんですね。しかし米テレビ局副社長からは「テレビ関係者なのに何を常識外れなこと言ってるんだ、そんなことが有り得るわけがないじゃないか」と一蹴されたんです。そりゃそうでしょう。プロボクシングというのはボクシングコミッショナーがあって、その規定がある。現役のボクサーが空手マンとかプロレスラーとかと闘えるはずがない。そんなことをしたらライセンスを剥奪されてしまって、一生飯が食えなくなりますよ。だから、そんな馬鹿なことは有り得ないということなんです。永里さんとしては「それだったら一旦ボクサーをやめて、引退して猪木と闘い、その後またカムバックしてはどうか」というような提案もしたようです。でもそれも「有り得ない、そんな手を使ったら、信用されなくなってボクサーとして一生ダメになるから出来るはずがない。エキシビションでも無理な話だ」と言われてしまったんです。

永里公平氏(NET運動部長)

 やっぱり常識的に実現出来る試合では無い。そんな経緯を「朝日・毎日・読売」、それに共同通信とかのスポーツ担当の記者が書きまくりましたから、多くの人は不可能な話だと考えたんですね。そういった状況でしたので、猪木vs.アリ戦の話題は世間から「スーッ」と消えていってしまったんですよ。それはそうですよね、アメリカのテレビ局のアリ関係の重鎮も「絶対ありえない」と言ったんですからね。

(I編集長) だから猪木vs.アリ戦については、プロレスマスコミだけが「ワーワー、ワーワー」面白半分に書いているように思われたんですよ。そして「出来もしないのに猪木の売名行為だ」「猪木はただ注目を集めるためだけに、そんな汚い手を使う男だ」といろいろ悪口を言われていたことも確かですよね。それでこの話はプロレスマスコミからも次第に消えていったんです。ところがどういう訳か、一人だけ「猪木vs.アリ戦は実現の可能性がある」と書き続けた男がおったんですよね。その男の名前っていうのが「井上義啓」と言うんですよ。

I編集長だけは「実現する」と信じて書き続けた

▼『週刊ファイト』メモリアル第5回
 I編集長がプロレス記者を辞め、 ボウリング場で働き始めたワケ

[ファイトクラブ]『週刊ファイト』メモリアル第5回 I編集長がプロレス記者を辞め、 ボウリング場で働き始めたワケ

(I編集長) 私なんですよ、これ。この「井上義啓」というバカがですね、世間では「猪木vs.アリ戦は有り得ない」という結論で統一されてしまっているのに、ひとりだけバカみたいに「実現の可能性はある」と書き飛ばしていたんですよ。だから会場なんかでマスコミ関係者と出会いますと「ファイトさんは猪木vs.アリ戦がお好きですね、ふふーっ」て笑われてね。東スポで編集局長やっておられる櫻井さんとかとも一緒に取材しておりましてね、あの櫻井の旦那もそんな感じでからかって来ましたよ。ところが私は誰がなんと言おうとも、「実現する」と踏んでいたんですよ。その理由はただの直感では無いですよ、これ。プロレスとは推理するもんですからね、直感とか、そんな無責任なことで記事を書いたんではないですよ。

「ファイトさんは猪木vs.アリ戦がお好きですね」(当時のマスコミ関係者)

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