[週刊ファイト6月16日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼[Fightドキュメンタリー劇場 27] 井上義啓の喫茶店トーク
藤波辰巳、日本プロレス入門秘話 ~ 恩人「はるさん」の話
by Favorite Cafe 管理人
藤波辰巳がMSGの大舞台でカルロス・ホセ・エストラーダを破ってチャンピオンになった。日本プロレス入門当時、体が小さく、周囲からはとてもレスラーとして大成できないと思われていた藤波が、WWWFチャンピオンにまでたどり着いたことに誰もが賞賛の拍手を送った。その藤波の日本プロレス入門に至る知られざるエピソードをI編集長が語る。
■ 闘いのワンダーランド #040(1997.01.29放送)「I編集長の喫茶店トーク」
1978.01.13 岡山武道館
アントニオ猪木&長州力 vs. タイガー・ジェット・シン&上田馬之助
1978.1.23 ニューヨークMSG
藤波辰巳 vs. カルロス・ホセ・エストラーダ
(I編集長) 今日は藤波の若かりし頃の海外遠征時代の試合を見ていただきました。もう説明するまでも無く、マジソン・スクェア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダを破ってスリー・ダブリュ・エフ(WWWF)のベルトを奪った試合ですね。藤波辰巳は若い頃、あんな髪型をしてたんだなとか思って見られた方も多いと思いますね。まだまだ若いし、線の細い印象が、いかにもジュニアヘビー級だなと思わせます。
(I編集長) 今日は藤波について、新日本プロレスに移った時のエピソード、さらに遡って日本プロレスに入団した当時の話をしましょう。藤波の入門当時、我々プロレス記者の率直な気持ちとしては、「この体でよく日本プロレスに入団できたな」と思いながら藤波を見ていました。藤波はとても小さい体だったんですね。今でこそ(1997年)肩幅もできて肉も付いて、プロレスラーと名乗っても全くおかしくはない体ですけどもね。今日放送されたMSGの試合の頃は、筋肉はしっかり付いているものの、まだまだ細い印象ですね。
▼藤波MSGデビューと学生プロレスの起源『マット界の黙示録』
(I編集長) 実は藤波は日本プロレスに入門する前から、もう熱烈な猪木ファンだったんです。その熱烈な猪木ファンであった藤波少年がですね、大分で猪木さんの試合があると言うので、もうとにかく自腹を切って親にも言わずに自転車に乗って飛び出して、大分の日本プロレスの会場に行ったんです。
(I編集長) その当時、日本プロレスのベテランの営業マンに「井上晴夫(いのうえはるお)」という人がおったらしいんですよ。藤波は、地元近くで日本プロレスの興行があるたびに何回も日プロ関係者のところに入門のお願いに行ってるんですね。その藤波少年の最初の直訴に対応をしたのが、井上晴夫、はるさんなんです。その時に、はるさんが藤波少年に「どうしたんだ? 何か用か?」と聞いたら、藤波は「プロレスに入りたいんです」と言ったんですね。はるさんは、「どう考えても君の体じゃ無理だよ」と言ったはずですよ。