総理大臣と戦ったプロレスラー【週刊ファイト副編集長特別編集】

総理大臣と戦ったプロレスラ―、竹村克司。

(以前は竹村豪氏として活躍していたが、2019年にマサ斎藤追悼興行で現役復帰を果たした。)

【戦うこと】それはすなわち諦めずに生き続ける事。

それがたとえ負け戦になろうとも、ギブアップは絶対にしない・・・

その言葉をまさに体現した男が、近代日本の幕開け明治維新の立て役者となった長州藩の御膝元、山口は下関にいると聞きつけた。

その男の名は、プロレスラー竹村克司(かつし)。

そして真っ向勝負で戦った前内閣総理大臣は、安倍晋三。

安倍氏は政治家の父の地盤を受け継ぎ、戦後初の総理として第90代、96代、97代、98代の役職を務めた、もはや説明不要のエリート中のエリートである。

あまりにも屈強で強大な敵。しかし運命は竹村を引き寄せて行く。アントニオ猪木率いる新日本プロレス出身のメジャーレスラー、藤波辰爾が興したプロレス団体「無我」でプロレスラーを長く経験した竹村は、現役引退後、新たな人生の選択肢として地元ではなかった下関で介護福祉士の資格を所得するほどに福祉に没頭。自身でデイサービスを起こすことになる。

ではそんな竹村氏が何故、今、立ち上がらなければいけなかったのだろう。
そして山本太郎率いる“れいわ新選組”からの出馬となったのだろうか?

前者の問いにかかることとして、記者はずっと疑問に思っていたことがあり、当の竹村本人に大変失礼な質問ながら問いかけたことがある。

“本当に総理大臣(経験者)に勝てると思っていたのか?”

「どんなに厳しくても、やってみないとわからないと思ってました。」

彼は静かに、あっさりと、しかし核心を持って答えたように思えた。「だけど、誰かが変えなきゃいけない。壊れかけた世の中を、自分は関係ないとか言えなかったんです。」地方再生を公約に掲げた与党の舵取りは鈍く、今だ下関の街はシャッター街になったまま。若者の地方離れも止まらない。これはすべての自治体に相通じることなのでしょうがコロナ禍で更に悪化した経済は、いつまでたっても景気が浮揚する兆しが見えないと嘆く。

そして、後者の問い対しても語る。「山本太郎さんのれいわ新選組だけでした。しがらみのないところから話しを真剣に聞いてくれた。自分の思いをありったけぶつけられたのは・・・」

まったく地盤をなにもなく、政治に縁もゆかりも薄かった竹村氏にとって出馬までの道のりは平坦ではなかったことは予想がつく。山本さんからの3次面接では「竹村さん、もし立つとなったら安倍(元)総理の山口4区でも大丈夫ですか?」と言われました。だけど、私の意志は全くぶれなかった。

壮絶な選挙戦を展開した山口4区での結果は、
安倍晋三氏、80,448票
竹村克司氏 19,096票(次点)

結果は大方の予想通り厳しいものとなってしまったが、彼は見事なまでに乱入、そしてアピールを果たした政界のリングからは全く降りる気はない。

今後は下関市議会議員選挙を見据えて、活動の幅を広げていく竹村かつし49歳、プロレスラー。
それは、かって夢見たプロレスのリングでメインイベントを掴んだあの日の情熱ように、彼はまた下関の街で何度も、何度もあきらめずに熱い思いを聴衆にぶつけ続けるだろう。

そう、令和維新への戦いはまだ始まったばかり。

ギブアップは、決して彼はしない。

週刊ファイト 副編集長  格闘技I記者

竹村かつしTwitter
@takemura821

竹村かつし公式サイト

れいわ新選組公式HP


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