[週刊ファイト6月24日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼甦れ!元祖失神男不滅の闘魂アントニオ猪木に捧ぐ
by猫山文楽拳
・病状
・猪木神話のバイブルは週刊ファイトだった?
・虚実皮膜の仕掛け人
・イノキイズムとジャーナリズム
・スターダム 林下詩美vs.朱里 不滅なり闘魂のゲノム
気付けば昭和は遥か遠くになりにけりの感ある昨今ではあるが、昭和の子どもたちにとりプロレスラーとは人間に非ず。超人であり化け物だった。
なかでも燃える闘魂アントニオ猪木は、アメコミヒーローレベルの強さで、記者は子どもの頃毎週欠かさず見ていたテレビ中継で、彼が負けたところを見たという記憶がない。
全盛期の猪木を最も近いところで取材していた本誌記者・井上譲二(元編集長)はこの頃の猪木をスーパーマンと称した。
曰くリングを降りた猪木は本当に腰が低い気さくな男であったというのだ。
※猪木の引退記念で出版された週刊ファイト縮小版の巻頭記事
普段はどこにでもいる普通の青年「スーパーマン」のクラーク・ケントが、大事件勃発するやいなやスーパーマンに変身して悪人退治に乗り出していくのと同じように、猪木もプロレス会場に入ると、黒いショートタイツとレスリングシューズ身に着け「アントニオ猪木」となり、タイガー・ジェット・シンといった凶悪ファイターをコテンパンに痛めつけた。
そんな魅力が猪木にはあったのだと記事に書いてある。
▼アントニオ猪木氏が「心アミロイドーシス」という難病を告白
病状
数日前にユーチューブにアップされた闘病中の猪木の動画は少なからず衝撃だった。
どうか元気になってください。
元気ですかー!!腸が剥がれちゃったみたいで、また再入院してます。一生懸命リハビリに努めて、元気な姿で1日も早く皆さんにまた元気ですかー!を送りた… https://t.co/d14ld5QVaL @YouTubeより
— 猫村融@岡山県矢掛町在住プロレス・格闘技記者 (@nekoyabunraku) June 17, 2021
これについては17日、初代タイガーマスクの佐山聡らとストロングスタイルプロレスの会見に出席した同団体会長の新間寿氏も「ショックだった」、「元気を与えるはずの猪木が、元気のない姿だったので残念だった」とコメント。SNSで画像を見たが動画は見なかったという。
新日本プロレスの草創期から猪木と共にプロレス界を切り拓き苦楽をともにしてきた。「元気になってくれると願っている」と祈るように語った。
猪木は動画のなかで「実は、腸が剥がれちゃったみたいでまた再入院。せっかくいいとこまで来たんですが」と再入院したことを告白しつつ「一生懸命リハビリに努めて、元気な姿で1日も早く皆さんにまた『元気ですか』を送りたいと思います」とやつれた面差しに笑顔を浮かべる。
かつてアントニオ猪木が築き上げた新日本プロレスはかつてのそれとはまるで違って、スタイルも様変わりし、イノキイズムの痕跡を荷も探ろうにも糸口が見えてこない。
あの頃のプロレスをリアルタイムに見てきた人間も徐々にこの世からいなくなりつつある。
真っ赤なタオルを首に巻きスーツ姿でリングに上がり、選手や芸人にビンタを食らわし激を入れ「ダーッ!」で締める男、或いは物まね芸人に特徴だけ誇張され笑いもの扱いされる往年のプロレスラーという印象以外に、アントニオ猪木を知るプロレスファンがいなくなろうとしてはいまいか。
それではあまりにもったいない。
記者は日本が生んだスーパースター、不世出のプロレスラーアントニオ猪木の偉業をいまこそいまだから振り返り検証しいま一度その功績を讃えそして闘病中の猪木に、エールに替えて病床に届けたいと思った。
猪木神話のバイブルは週刊ファイトだった?
アントニオ猪木のプロレス入りが60年5月、これに対して週刊ファイトの創刊が67年3月だった。
アントニオ猪木の全盛期に伝説の故・I編集長こと井上義啓氏は、第一線記者として誰よりも近いところで猪木と新日本プロレスの取材活動を行っていた。誠にもって羨ましい限りだ。