キックボクシング!昭和の大スター!沢村忠 死去!「キックの鬼!真空飛び膝蹴り!」享年78歳!

 キックボクシングの創成期・当時のプロスポーツ長嶋茂雄、王貞治(プロ野球)、ジャイアント馬場、アントニオ猪木(プロレス)、大鵬(大相撲)に並ぶ昭和の大スター沢村忠(本名・白羽秀樹)が3月26日千葉県の病院で死去していたことが各紙の報道で明らかになった。1943年1月生まれの享年78歳。死因は肺がん、葬儀は30日近親者のみで執り行われた。

 空手家の沢村忠はキックボクシング2戦目のサマンソー・アディソン(タイ)での惨敗後、キックボクシングに専念。以降 日本キックボクシング協会(現在の新日本キックボクシング協会はその流れを引き継ぐ)東洋ミドル級王座、東洋ライト級王座を獲得し、1977年までの引退までに241戦232勝(228KO)5敗4分の戦績を残すが、地方大会など第6回日本プロスポーツ大賞記録にない試合を含めると500戦以上の試合をこなしていると言われる。

 代名詞にもなった“真空飛び膝蹴り”でKO勝利を量産、1970年10月から1971年3月までTBS系列局で放送された自身が主人公のアニメ“キックの鬼”(全26回)ではオープニング主題歌を自身が歌い大人気を博した。週刊ファイトは旧タブロイド紙時代からたびたび取り上げており、電子書籍版では「54年力道山~沢村忠キックの誕生『マット界の黙示録☆真正文化史』」がある。
 引退後は自動車整備士の資格を取得し、整備工場を経営。キックボクシングの運営などには関わらず、子供たちに空手指導を行っていた。

◆沢村 忠(さわむら・ただし)
本名・白羽秀樹。
1943年1月5日満州国新京(現・中国東北部)出身、旧満州(中国東北部)生まれ。
幼少期から祖父に剛柔流空手を学び、日大芸術学部映画科在学中キックボクシングに転向。
1966年4月11日デビュー戦でラクレー・シーハヌマーン(タイ)にKO勝利
1966年6月21日キックボクシング2戦目でサマンソー・アディソン(タイ)に10数度のダウンを奪われKO敗
1967年2月26日モンコントン・スィートクン(タイ)にKO勝で、初代東洋ミドル級王者
1969年初代東洋ライト級王者認定
1973年第6回日本プロスポーツ大賞
1977年10月10日後楽園ホールで引退式を行なう
戦績 241戦232勝(228KO)5敗4分
次女は元タレントの白羽玲子

資料提供 : Takasan


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’21年04月08日号スターダム後楽園-大阪昼夜 IWGP Vamostar RISE ミャンマー 沢村忠