[週刊ファイト2月11日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼ジャイアント馬場23回忌によせて~いまひとたび邂逅昭和プロレス
by 猫山文楽拳
・週刊ファイト秘蔵写真をバンバン散りばめ華やかに偲ぶ王道16文23回忌
・4歳児は見た!昭和の蔵前国技館衝撃の流血試合
・悲しみが止まらなかったG馬場ブッチャーインター王者戦
・G馬場がハヤブサとタッグを組んで新崎人生と組み打った釈迦説法ドーム大会
・余談・昭和の全日本プロレス女子事務員面接の一部始終
昭和の全日本プロレスは新聞の求人欄に事務員募集広告を出していた。
浮気性の父が愛人宅から帰ってこなくなって生活不安から職探しを始めた母があるとき久しぶりに明るい表情で言った。
「おかあさん全日本プロレスに、面接に行ってくるわ!」
この母は、OL大手電機メーカーのOL時代には企業内のミスコンに選ばれ見合いの話を断るのが大変だったとか東宝の撮影所に見学に行けば女優にスカウトされた等数々の武勇伝を持つとんでもない美女だった。
残念なことに風貌父親似で無愛想な私は今日にいたるまでその母の恩恵に預かれたためしがない。
時は昭和プロレス黄金期、土曜日曜から月曜までテレビのゴールデンタイムでプロレスを生中継していた。なかでも全日本プロレス中継は、ラフプレーを得意とする外人選手を招いていたこともあり選手の流血頻度高く荒唐無稽なケレン味をストレートに出しまくっていたがゆえに子どもにもわかりやすかった気がする。その一方アグレッシブさで月曜日に放映されていた国際プロレスの金網の死闘に勝る興奮と並ぶものがあったとするならば、クリストファー・リーのドラキュラ伯爵位ではなかったか。
幼少期にお茶の間で呼吸をするがごとく当たり前にプロレスを観ることの出来た時代、新日本プロレス、全日本プロレス、でんすけ劇場と国際プロレスは、当時のテレビっ子たちの人間形成に強い影響をもたらしていたと思われる。
ハゲ親父は首をフリフリ面白いことをやってくれると、毎週日曜の朝欠かさず観ていたでんすけによって刷り込まれていた昭和のおおらかな子どもたちの脳内に、ヒールの凶器攻撃を明らかわざと見逃す極悪パンキッシュスキンヘッズレフリージョー樋口が植え付けたトラウマが奇妙な均衡を保って同居し続けてきた。
両親の夫婦関係が軋みだした昭和41年11月のある日仕事休みで自宅にいた父が「誕生日プレゼントを買いに伊勢丹に行ってくる」唐突に言って私を連れ出しタクシーに乗せられ着いたところはデパートではなく蔵前国技館だった。
この頃父は不仲の母と角突き合わせたくなくプロレス観戦に来たくなると私をダシに使った。
当時わずか4歳の女の子がプロレスでうおーとか狂喜するわけがない。
「うわーっ!帰る」
泣き叫んでいたが、メインイベントともなるとなぜかレスラーに対する恐怖心よりジャイアント馬場に対する親しみが勝り、父と声援を送ったものだった。
子ども心にG馬場はテレビの国に住んでいるミッキーマウスやポパイのようなキャラクターとして認識していたと思われる。
当時のプロレスはそれでなくても分かりやすく、外人=悪者だったから、選手の区別がつこうがつくまいが、日本人レスラーを応援すれば流れ的に間違いはなかった。
昭和41年11月5日蔵前国技館
インターナショナル・アジア両タッグ選手権
G馬場
吉村道明
vs.
マイク・パドーシス
フリッツ・フォン・ゲーリング
※馬場吉村組がインター・タッグ王座奪取
アジア・タッグ王座4度目の防衛