[ファイトクラブ]コロナに揺れたPURE-J8・10後楽園で考えるプロレス

[週刊ファイト8月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼コロナに揺れたPURE-J8・10後楽園で考えるプロレス
 Photo & Text by こもとめいこ♂
・Leon20周年とヒール不在のPURE-J
・メインに所属選手3人の是非
・バンダナに隠された山下りなの決意
・全カード画像増量でお届け


 ジャンボ鶴田が亡くなって20年になるという。「人生50年」を地で行く早逝だったが、筆者も気がつけば、その鶴田の享年を過ぎていた。
 今年亡くなって20年と言われて改めて調べるまで、鶴田の享年の事を意識していなかった。
 
「鶴田が馬場の許を離れて新団体を旗揚げしていたとしても、猪木の道はなぞっていない。鶴田は鶴田であって、昨日も今日も変わりはしないのである。百歩譲って、自分の殻を破ろうとしたとしよう。自滅して跡形もない」
井上義啓著 ベースボールマガジン社刊『プロレス本 No3 不在証明』より 

 この本は1994年の刊行で、天龍や三沢との一連の抗争を見た後の文章というところは大事な点である。
 筆者がライターをはじめる遙か以前に亡くなっていてその素顔は知る由もないが、「鶴谷は鶴田」という思いに変化はない。
「鶴田最強説」は天龍革命以前から全日本プロレスファンにはお馴染みで、ただし当時は
「プロレスなんてこんなものですよ」
という馬場イズムを、
「あたかも真剣勝負」
な新日のストロングスタイルに対するカウンターとして
「あえて」
評価していた事の延長であった。

 だから
「もし鶴田全盛時に総合格闘技があったとしたら」
と仮定した場合の解答は、
「鶴田は総合のリングにはあがらない」
になる。藤波、藤原が
「猪木を決して辱めない男」だったとするならば、鶴田は
「決して馬場さんを辱めない男」
だった。
「ケンドーナガサキ最強説」
の様なオチはつかない。
 
 TAJIRIの本や言動にはプロレスに関する含蓄が溢れているが、先日も考えさせられるTweetがあった。


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