[ファイトクラブ]マラソン等でプロレスラー世間発信功績大の”銀座の鉄人”三州ツバ吉

[週刊ファイト8月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼マラソン等でプロレスラー世間発信功績大の”銀座の鉄人”三州ツバ吉
 by タダシ☆タナカ
・強さへの憧れA猪木-UWF-極真空手-柔術-格闘技戦-プロレスデビュー
・世界で一番過酷なアマゾン・ジャングルマラソン出発地辿り着くまでに
・パリ昼夜-南極マラソン!解散まで3年バトラーツとトロント2回に試合
・覆面仮装姿で世界3大砂漠(サハラ、ゴビ、アタカマ)、世界7大陸完走
・お世話になった方々への恩返し:夢は自身の銀座プロレス大会実現も
・キリマンジャロ世界最高峰での試合開催でギネス記録を更新する野望
・タブロイド紙時代から週刊ファイトは読者参加型!投稿広く歓迎します
・サービス「現在欠番中」表示全作品も希望者には個別販売可能です!


 プロレスファンというのはえてしてひいきの選手や、応援する団体にだけ目がいきがちであり、好きなプロレスというジャンル自体が世間の側からどう見られているか、社会的な認知度に疎いのは致し方あるまい。多くの方にとって、三州ツバ吉というリングネームの選手のことは、聞いたことないかも知れないが、耐久マラソンの世界では日本を代表する存在であり、そこで現地にて「普段はなにをやっているか」と聞かれて「プロレスラーです」と胸をはってくれていることがいかに凄いことか。
 驚嘆しかない話がこれでもかと続くインタビュー中も、一緒にいた者からも「一冊の本になる」と自然と出たように、たまたま現時点で本になってもいなければドキュメンタリー番組なりに取り上げられてないだけ。それでいて、アマゾンのジャングルからサハラ砂漠、果ては南極までマラソン完走に挑み、「プロレスラーです」と胸を張ってくれている事実が肝心のマット界で浸透してないのは残念至極なこと。
 プロレスラーはやっぱり凄いというのを世界各地で発信してくれているのだから、こういう人物にスポットを当てることも専門媒体の役割には違いない。
 先に「三州ツバ吉」リングネームの由来から紹介すると、実家が銀座にある隠れた人気の大衆割烹「三州」だから。あとヤクルトスワローズのファンだから当初はツバメの「三州つば九郎」だったものの、のちに「ツバ吉」になった経緯である。


大衆割烹 三州屋 銀座店
東京都中央区銀座2-3-4
JR・地下鉄 有楽町下車 徒歩5分
地下鉄有楽町線 銀座一丁目下車 徒歩2分(駅から97m)

強さへの憧れA猪木-UWF-極真空手-柔術-格闘技戦-プロレスデビュー
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2009年の地下プロレスでは、タイ・カンボジアで1ヶ月単身武者修業を積んできたことを紹介!

 現在の主な参戦団体は藤波辰爾のドラディション、北原光騎のキャプチャー、富豪2夢路の地下プロレスなど。なにが驚いたって、週刊ファイトのサイト内検索窓で「三州 ツバ吉」と入れると大量に出てくること。記者が撮った大会もあり「スマン忘れていた」なのであった。


 2017年10月27日のDRADITIONなら、あくまでお客さんのお目当てはマスカラスなんだろうが、オープニングのタッグマッチが田村和宏&蓮見隆太に対する、三州ツバ吉&倉島信行というドラディションの第1試合コンビが激突。三州のハイキックが田村和宏に決まった!

 プロレスのきっかけは「強さへのあこがれ」であり、やはりアントニオ猪木からだと言う。スタン・ハンセンらが暴れていた時期だ。また、異種格闘技戦シリーズに熱中してウィリアム・ルスカ戦などを覚えている他、藤波辰巳(当時)の1978年、ニューヨークMSGでのWWFジュニア級王座戴冠は中継を見ていた。以降、長州力との名勝負数え歌などは無論となるのだが、なんと最初の出会いは「大衆割烹 三州屋」の店員で毎週必ず週刊ファイトを買われる方がいて、家庭環境的には「相撲くらいしか知らなかった」のに、そこからこれはどういう世界なのかと回し読みからスタートしたというから本誌とは縁がある。
 中学、高校にかけてはUWFブームが到来して直撃される。今も用賀の市屋苑 (いちおくえん)にはよく行くそうで、「高田さん、安生さん、中野さんに憧れた」とのことだが、中野龍雄の名が出るのはツバ吉と同じ身長(177cm)ながら低くてもやれてるから。高校時代は柔道、大学時代は極真空手に打ち込むも、プロレスラーへの道はやはり身長制限から難しく感じており、卒業後はスポーツ・インストラクターに。ただ、1997年「PRIDEがちょうど始まるかどうかの時期、まだ中井祐樹さんのパラエストラが出来る前」、村上和成と出会い柔術を教わったこと。あと同じく極真空手の分裂騒動があり、藤原敏男の門下で打撃を磨くことになる。

三州ツバ吉 Wiki

2012年『ゴビ砂漠マラソン2012』で250㌔を60時間26分15秒で完走、MVPを受賞している。

 転機となったのはジムのお客さんからの紹介でRIKIYAと知り合い、主宰していたAXKICK(アックスキック)の大会に柔術ルール、総合ルールなどで3回ほど出たこと。Wiki的なバイオなら36歳にして遅咲きのデビューとなる。以降、頑固プロレス、佐野直のスタンリー興行などに参戦。さらにはたまたまAXKICKを見に来ていた富豪2夢路の目に留まり、「急に出れなくなった選手がいて代打で出ないか」と誘われ、その時は単発と思ったものの、以降もキャプチャーに呼ばれるようになるなど活動の場が広がっていく。
 2008年7月からフランス組織の日本支部として発足する、富豪2夢路の地下プロレスでは旗揚げメンバー。リアルジャパン・プロレス参戦にも広がっていくのだ。

世界で一番過酷なアマゾン・ジャングルマラソン出発地辿り着くまでに

 日本地下阿吽選手権第2代王者になった地下プロレスに関しては、電子書籍ジャーナル拡大版にやたら詳しい濃厚な大会レポートがびっしり収録されていたものの、「現在欠番中」扱いになっている号のが多く、ニーズがあればいずれまとめ直して別冊ミルホンネットのラインで発売するとして・・・。(後述になるが欠番中のタイトルも一冊から販売可能です!)

 今回のインタビューで圧倒的に面白かったのは、やはり「世界3大砂漠マラソンを覆面仮装で完走した唯一の男」、「世界一過酷なアマゾン・ジャングルマラソンを完走した男」の異名通り、マラソンでの世界制覇の道標と、そのこぼれ話の数々であることに間違いない。
 なかでも2015年から17年までアマゾン3回連続出場かつ、いずれも完走という偉業はWikiにも記されてあるが、これまで詳細が明かされることはなかったかも知れない。

 なにしろ、いわゆるマラソンの距離を一日で走るものではなく、4日、5日、6日とかけて文字通りのジャングル、それも沼地などを含む危険なコースであるばかりか、その間の食糧や飲料水など15-20kgにもなる重いリュックをかついだまま早歩きしていく過酷なもの。いわゆる走ってというイメージとは違うのだ。一応、世界各国のこの種の耐久レース、参加者の条件は同じということで、南極のだと夜になると船に戻って寝る。砂漠のだとテントで、そしてジャングルはハンモックというから聞いてみて驚愕だった。ましてジャングルの場合、虫や未知の生物にさされる、かまれるリスクもあるから危険極まりない。参加するというだけでも、普通の感覚だと「狂っている、止めておけ」と諭されるのがオチだろう。

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