ブラック・タイガーの訃報にタイガーマスクの引退、夏の初めの事件

 今年の7月30日、初代ブラック・タイガーことローラーボール・マーク・ロコさん(本名:マーク・ハジー)が亡くなったのは、本誌で既報どおりだ。初代ブラック・タイガーと言えば、日本では初代タイガーマスク(佐山聡)のライバルだったことで知られている。今から考えると、ブラック・タイガーなんてエビの品種じゃないかと思うが、当時のインパクトは絶大だった。
 その初代タイガーマスクは1983年8月10日、突如として引退を発表した。人気絶頂だったタイガーマスクの引退がきっかけで、新日本プロレスのクーデターが勃発するのだが、この件に関しては散々語り尽くされたので、本稿では触れない。

 それはともかく、初代ブラック・タイガーの訃報と初代タイガーマスクの引退が、いずれも夏の初めに起こったのは、何かの因縁だろうか。

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[ファイトクラブ]佐山聡の好敵手マーク・ロコ追悼~パニックすると失策のWWE悪循環

ティグレ・エンマスカラドにミスター・カンフーって誰?

ブラック・タイガー「誰が本物の虎だったか!? 今の一戦を見たとおりだ!!」
タイガーマスク「ブラック・タイガーよ……、あんたは虎だった!! そして、俺はタイガーマスクを名乗ってから、初めて虎ではなかった!」

 これは、漫画『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)で語られているセリフだ。1982年4月21日、東京・蔵前国技館で初代タイガーマスクと初代ブラック・タイガーが初対決、結果は両者リングアウトの引き分けに終わったものの、ブラック・タイガーが優勢だったために、上記のようなセリフになったのである。

『列伝』の中でもタイガーマスク編は人気シリーズで、同書では最長となる単行本(少年サンデー・コミックス)で3巻にもわたっていた。しかも、タイガーマスク編はリアル・タイムと同時進行だったこともあって、デタラメな記述が多い『列伝』には珍しく、試合展開などはかなり忠実に再現されている。
 ただし、タイガーマスクの過去については全くのデタラメ。もっとも、当時はタイガーマスクの正体は謎とされていたのだから仕方ない。
 覆面レスラーの正体を明かすのはタブーだったのに、当時からタイガーマスクの正体と噂されていた佐山サトルと、マーク・コステロ(『列伝』ではマイク・コステロと表記されていた)の一戦を紹介したり、かなり踏み込んだ内容だった。
『列伝』の名物である『アントニオ猪木(談)』のコーナーで、猪木は「佐山サトルがそのままタイガーマスクと同一人物であるという説は否定する!」と語っているが、本当に梶原センセイが猪木に取材していたのかについては眉ツバである。

 日本ではタイガーマスク・ブームの中、『列伝』で猪木は、藤波辰巳(現:辰爾)と共にメキシコ遠征した(これは本当)。この遠征にタイガーマスクは多忙のため行けなかったが、メキシコで猪木と藤波は、メキシコ時代のタイガーマスクの名付け親という老記者と出会う。
 メキシコの老記者は場末の試合場で、日本から流れ着いたタイガーマスクの試合を見た。当時は白覆面の『サミー・リー』と名乗っていたが、老記者はタイガーマスクの試合ぶりがアジアの虎のようだったので『ティグレ・エンマスカラド』と改名するように勧める。
 スペイン語が判らない猪木は『ティグレ・エンマスカラド』の意味を尋ねるが、老記者は「ティグレは虎、エンマスカラドは覆面だから、英語で言う『タイガーマスク』ですよ」と答えた。まさしく偶然の一致、日本では漫画からタイガーマスクが生まれたのに、メキシコでも同じ名前だったのだ!

 プロレス・ファンなら判る通り、この記述は無茶苦茶なのだが、まずタイガーマスクになる前の佐山聡は、メキシコで覆面など着けていない。当時は素顔でファイトしており、リング・ネームは『サトル・サヤマ』である(そのままやん)。ちなみに『サミー・リー』というのはイギリスでのリング・ネームで、この時も素顔だった。
『ティグレ・エンマスカラド』とは、日本でタイガーマスクになってからメキシコ遠征した時のリング・ネームで、『タイガーマスク』をスペイン語にしただけに過ぎない。

 それはともかく、『列伝』でメキシコでのティグレ・エンマスカラド(つまり、タイガーマスクになる前の佐山聡)は、当時のメキシコ王者であるブラック・ブロンコ(これも架空のレスラー)に挑戦した。
 政界にも顔が利くというブラック・ブロンコは、汚い手を使ってティグレ・エンマスカラドにリングアウト勝ち、ティグレのマスクを剥ぐ。しかし、試合前に嫌な予感がしていたティグレは、あらかじめ目にアイシャドーを塗っており、素顔を晒すことは免れた。
 その後は『ミスター・カンフー』というペイント・レスラーとして、人気はますます上がる。

 もちろん、佐山聡がメキシコでミスター・カンフーというリング・ネームを使っていたのはデタラメだが、梶原センセイが素晴らしいのは、これらのことを思い付きで書いているのではなく、ちゃんと布石を打っていることだ。

『列伝』では、日本でタイガーマスクとして“太陽仮面”エル・ソラールと闘ったとき、試合前にソラールが「タイガーマスクの正体はミスター・カンフーだ」とバラした。そのことがタイガーマスクの逆鱗に触れ、タイガーがソラールにセメントを仕掛けて腕を折ったことになっている。
 実際には、ソラールが腕を脱臼したのはアクシデントで、そんな大怪我を負っても必死で試合を成立させようとしたソラールのことを佐山聡は『プロ中のプロ』と評価していたが、『列伝』の中ではこれも後に『タイガーマスク=ミスター・カンフー』とする布石だったのだ。

 その後、日本でタイガーマスクはマスクド・ハリケーンとマスク剥ぎデスマッチを行う(これも本当)。もちろんタイガーが勝ってハリケーンのマスクを剥いだが、ハリケーンの正体であるボビー・リーは「俺がメキシコでタイガーマスクと対戦した時、あいつは白覆面のティグレ・エンマスカラドだった」と記者団に話す。
 これにより『列伝』では『タイガーマスクの正体は佐山サトル説、ミスター・カンフー説、ティグレ・エンマスカラド説』と複数紹介することにより、ますますタイガーマスクの謎を深めた。
 そして、メキシコで猪木が老記者から聞いた話に繋げているのである。

テラー・ロッカって誰??

『列伝』によると、ミスター・カンフーとなったメキシコ時代のタイガーマスクは、その後もブラック・ブロンコからの嫌がらせが続き、怒ったカンフ-はヌンチャクでブロンコを追い回す。
 このことが大問題となった。ブラック・ブロンコは政界に顔が利くため、ミスター・カンフーはメキシコを追放されたのだ。

 メキシコを追われたミスター・カンフーはイギリスに渡る。しかし、イギリスでもカンフー・ブームが巻き起こり、ミスター・カンフーは人気レスラーとなった。
 実際には前述のとおり、イギリスでの佐山聡は素顔の『サミー・リー』としてファイトしていたが、『列伝』でのメキシコ→イギリスの流れがあまりにも自然で、当時の読者は「タイガーマスクは、イギリスではミスター・カンフーと名乗っていた」と誰もが信じていたのである。

『列伝』では、イギリスでも連戦連勝だったミスター・カンフーだったが、思わぬ強敵が現れる。それが“恐怖のイナズマ男”テラー・ロッカだ。このテラー・ロッカこそが、ブラック・タイガーの正体であるマーク・ロコである。なぜ『列伝』ではマーク・ロコがテラー・ロッカになったのかは不明。
 それはともかく、『列伝』ではミスター・カンフーがテラー・ロッカに大苦戦を強いられる。アマレス仕込みのロッカに、カンフーの空手や空中殺法が通用せず、何とか引き分けたもののアマレスの技術が必要だとカンフ-は痛感し、イギリスを離れてアメリカのフロリダにいるカール・ゴッチの元へ修行に出掛けた(実際には、佐山聡は新日本プロレス時代からゴッチのコーチを受けていた)。
 ゴッチからレスリングの手ほどきを受けたカンフーは、ロッカと決着を着けるべくイギリスに舞い戻ったが、その時に新日本プロレスの新間寿氏から「日本に来てタイガーマスクになってくれ」という連絡を受ける。そしてカンフーは、日本でタイガーマスクとしてデビューした。

 実際には、イギリスで佐山聡(サミー・リー)はマーク・ロコと対戦し、フォール勝ちしている。イギリスでのサミー・リーはベビー・フェイスで、マーク・ロコはヒールだったから、外国人ながらサミー・リーに対する声援が圧倒的だった。
 ただ、サミー・リーはマーク・ロコに勝ったものの、佐山聡が苦手にしていたのは事実である。ねちっこいレスリングをするマーク・ロコに対し、佐山聡はてこずっていた。

『列伝』では、ミスター・カンフーが日本でタイガーマスクに変身して連戦連勝。そこへ、ブラック・タイガーを名乗る覆面レスラーがタイガーマスクに挑戦すると表明した。タイガーマスクからテラー・ロッカの話を聞いていたアントニオ猪木は、ブラック・タイガーの正体はテラー・ロッカではないかと推測する。
 タイガーマスクは猪木に対し、ダイナマイト・キッドが「お前が英雄ヅラしていられるのは、マークがやってくるまでだぜ」と言っていた、と明かした。テラー・ロッカの正式名はマーク・テラー・ロッカだと、タイガーマスクは猪木に説明したのである。
 この後『列伝』では、テラー・ロッカからマーク・ロッカと表記されるようになった。しかし、なぜ素直に『マーク・ロコ』と表記しなかったのだろう? ちなみに『テラー』とは『恐怖』という意味だ。

 タイガーマスクはブラック・タイガーとの初顔合わせでは前述の通り引き分けたが、約1ヵ月後の大阪府立体育会館ではタイガーマスクがブラック・タイガーにフォール勝ちした。
 ただ、タイガーマスクに対する最強の刺客として送り込まれたブラック・タイガーとしては、あまりにもアッサリした結末だったような気がする。当時は両リン引き分けが当たり前の時代だったのだから、もう少しブラック・タイガーの強さを引き立てても良かったのではないか、と思うのだ。

 初代タイガーマスクとって、最高のライバルだったのはダイナマイト・キッドだろう。佐山とキッドは、いわゆる『手の合う関係』で、名勝負を繰り広げた。ほとんどタイガーがキッドに勝っていたが、それでもキッドの強さが色褪せることはなかったのである。
 それに引き換え、ブラック・タイガーはタイガーマスクとはイマイチ噛み合わなかった。前述のようにマーク・ロコはねちっこいレスリングをするため、佐山は苦手としていたのである。

 そのせいか、ブラック・タイガー(マーク・ロコ)の強さはファンには伝わらなかった。あまりにもレスリングが巧すぎたために、インパクトに欠けたのだろう。
 一つ、言わせていただけるのなら、ブラック・タイガーが着ていたグレーのランニング・シャツはいただけなかった。なんでブラック・タイガーなのにグレーなの? と思ったのである。
 その後は黒のランニング・シャツを着るようになったのでマシになったが、タイガーマスクのライバルなのだから、上半身裸で闘ってほしい、と思ったものだ。

 ついでに言えば、当時のアイドル雑誌に、ブラック・タイガーの正体が写真入りで公開されていたのである。マーク・ロコの写真が掲載され「これがブラック・タイガーの正体か!?」と書かれていた。
 可愛い女性アイドルの写真に挟まれ、むさ苦しいヤローの写真が載っているというのも時代だが、それだけ当時のプロレス人気が絶頂だったということだろう。

 ちなみに、このアイドル雑誌でのアンケートでは、好きなテレビ番組の第4位に『プロレス中継』がランク・インしている。1位は『欽ちゃんのどこまでやるの』だったが、後に初代タイガーマスクは、この『欽ちゃんのどこまでやるの』の中で自らマスクを脱いで、素顔を晒した。
 このアイドル雑誌での『プロ野球中継』は10位だったから、当時のプロレスはスポーツ部門ではダントツの1位という大人気だったのだ。


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